拍手の御礼もサイトの更新も年単位で放置している人間失格がどのツラさげてつぶやくなう。

ケンカオが好きだ。愛している。溺愛している。どうしようもない。仕事中も食事中もトイレでも寝ても覚めても妄想している。あらゆるストーリーをケンカオに置き換える。和服はもちろん服を見ると薫殿のに着せてみる。音楽の歌詞は基本なんでもケンカオ解釈できる。マンションのチラシは現代版の設定妄想につかえる。常に脳内に「ねえ剣心」「薫殿」がうずまいている。そんな自分が怖くなる。ただの漫画の中の空想の人物の架空の世界の拡大解釈に過ぎない。でも自分の中で二人は確かに存在している。病気である。他の漫画には一切興味がない。読まないことはないがそれだけだ。るろうに剣心という作品だけだ。この世界を卒業したりかけもちしたりする人がいる。なにもなかったかのように離れて行く。個人の自由で何も否定はしないがすごいと思う。自分にはありえない。もう1◯年もケンカオ一筋でこれからもそうだ。飽きたことはないしこれからもない。過去の各種方面のサイトをよく記憶している。ケンカオサイトにもいろんな歴史がありその時々の時代の中心的存在がいた。神たちはいまどこでなにをしているのだろう。

なにがここまで魅力的なのか冷静に考えてみる。ケンカオ対照的な性格。帰る場所を持たない彼と、お帰りをくれる彼女。
互いの欠けた部分を補う感じ。年齢差。身長差。剣士、みなしご、それでいて明るい未来を作りたい共通項。緋村の暗い過去消せない、超えられない、記憶の中で美しくしかならない妻の存在。それをうずうず見守る薫殿の健気さ。一途さ。いじらしさ。お互い引け目があって片想いな感じ。平行線で交わらないもどかしさ。×じゃく⇨⇦。表向きには薫の片想い。でも根底にはみたいな。ひねくれている自分は薫殿が傷つく姿も好きであえて冷たくされるのも好きだ。巴と比較したり振り向いてもらえなかったり一人で生きていかなきゃいけなかったり縁にひどいことされたりそれでも緋村が好きな薫殿とか悲惨で胸が痛むけどそれも好きだごめん。たぶんそれもケンカオが前提になっているからで全ては結局そこからはじまりそこに終わるのであった。

だからこそこれだけ素晴らしい設定でありながら二人をうまく調理しなかった原作者の罪は思い。もっと、つかえただろう。発展できただろう。平和の象徴としての薫殿。ふいに投げかける言葉。そこにいつしか惹かれてしまった緋村の葛藤と気づき。一方で薫殿の闇の部分も掘り下げてほしい。ただの明るい小娘じゃない。孤独に打ちひしがれることもあるし嫉妬もする。菩薩じゃない。緋村もそうだ。理性の塊のようで実に人間的だ、傲慢だ。全然ヒーローじゃない。性欲だってある。執着もする。そういう生々しいリアルな感じが原作には足りない。ラブコメじゃないんだから当然だ。でも求めてしまってしょうがない。読みたい見たい知りたい。ケンカオで想定される全てのシチュエーションを見てみたい。ずっと読んでいたい。世界に浸りたい。ページに入りたい。登場人物になりたい。いやそれはいい。神谷道場になりたい。

みたいに思う人間がどれだけいるだろう。ケンカオの人口を把握できればいいのに。電車にのるとき、この車両にかつてでもいいからケンカオにはまった人がいるだろうかなどと考える。まあいないだろう。少なくとも原作終了からこれだけ経ってここまで病気な人間はそういないはずだ。だが確かにいることはいてそれが嬉しい。マイナーだろうが共有できている。だがどんなに妄想してもこれは現実ではないことを自覚しなければならない。それでもケンカオが好きだ。好きだ好きだ好きだ。どうしてくれよう。さて小説を読んで妄想しながら寝るか。断片的なセリフやシーンがいくつもあって120くらいあるが才能がないのでまとめられないし言語化できないが考えるだけで至福。生きる上で欠かせないもの、それが自分にとってのケンカオである。誰にも言えない見せられない秘めたオタク心でのお目汚し失礼しました。



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