「あぁ、実に良い森だ」 濃霧に包まれた森の中、一人の男は吐き出す言葉とは裏腹に途方に暮れていた。 見渡す一面が樹木に覆われ、如何にも体に悪そうな湿った空気が辺りに立ち込めている。 「しかし、オレの直感が警告音を鳴らしているわけだが」 男――いや、俺は遠い記憶の片隅にある、創作上の世界の一部を直観によってこの場所と重ねていた。 ただ、霧が立ち込め、様々な怪しげなキノコが群生する土地、ちょいと湿った森なんぞ他にいくらでもあるだろう。 だが、己が身に起こった現状と、己の体の知識、そして何より直観が今自身が何処にいるのかが嫌というほどに予測させる。 もっとも、上空を『春ですよ~』などというのんきな声を上げながら飛ぶ人影を見たことがそれらを確信に近づける最大の要因だっただが。 あの能天気な声が無性に苛立たしい。 もう少し夢を見させてくれてもいいのではなかろうか。 しかし、春か。冬越しの心配は先送りできそうだ。 とにかく、もしこの場がまさにその場ならば、ここは人にとってこの上なく危険な場所に違いなかった。 「まぁこの際、此処が何処か、そんなことはどうでもいいとして」 此処が何処であろうとも、己が行うべき業務は変わらない。創作上の世界に転生したことは意外ではあったが、それは実に興味深い事柄なのだから。 しかし、俺は今そんな事を抜きにしても優先して考慮しなければならない問題を抱えていた。 普段なら、目的をより良く達成するため、如何に保身を保つかを考える。しかし、何時襲われるかわからないこの場所、身の安全の確保と食料などという常人ならば誰もが危惧すべき事などほっぽり、考え把握しなおさなければならない事項を抱えていた。 「まったく、如何したものか」 そう、その問題とは。 「まさか妖怪に転生するとは、なぁ」 自身の種族の問題だった。 東方二次創作、異界のからの異種転生記 『阿行さん作業小屋日誌』 「しかも面倒な妖怪に転生したわけだ」 つったっていても仕方が無いので森の中をひたすら歩く。 ついつい愚痴を独りで呟いてしまう。 始めは新鮮な気持ちで森林浴を楽しんでいたが、代わり映えの無い景色と、冷静になりつつある思考によって感じる退屈を感じずにはいられなかった。 妖怪に転生。 よくよく考えれば、人よりも体力寿命共に優れ、その存在のルーツごとによっては特殊な力さえ授かる妖怪。 慣れ親しんだ種族からの迫害という可能性は大きなデメリットではあったが、これはこれで新鮮なものだ。 しかし、今の自分に授けられた特殊な力はあからさまに危険で、不便で、加減の利かない力である。 とても好んで使おうと思える代物ではなく、不満を隠せない。 人さまの世界を好き勝手に壊す趣向など持ち合わせてはいない俺にとっては、これは過ぎた力である。 知的好奇心は刺激されるが、危険と迷惑を無視してまでそれを確かめる気が湧いてこなかった。 もっとも、そんなことを言いつつも、俺のことだ案外しょうもないことに使いそうな気がしないでもないが、どちらにせよ、俺の尻拭いが可能だと思えるほど信用のおける存在が現れなければ、そして相当の覚悟もとい投げやりにならない限り使わない方が無難だろう。 まったく、もう少ししょうもない力なら試行錯誤しながらもより良い使い道を模索していただろう。それはもう嬉々として。 もっとも、自分がもう少し楽観的ならばこの力を喜んでいただろうが、平穏に暮らすという目標をかなえるためにはその特典のほとんどが問題となることに違いはなかった。 まてよ? ふと、生前使用していた能力のことを思い出す。 そう言えばアノ能力は今も使えるのだろうか? もし使えるのならばそちらをこの体の能力ということにして面倒な力はお蔵入りとしよう。 アノ力は中々に便利であるし、ルーツを探られ難い力だ。この身の存在概念がばれたとしてもそれなりに誤魔化すこともできるだろうしな。 俺はそう思い立つや否や、力を目の前の小石に行使してみた。 「隔離」 数秒後、小石の半分が消失する。 「転送」 これまた十数秒後、消えたはずの半分が宙に現れる。 「転送」 数十秒後、そして残されたもう半分の小石も消失し、別れたはずの小石が再び元の形となった。 うむ、問題ない。やけに時間がっかったが問題ない。 さようなら新しい力。君が日の目を見るときは何時になるかわからないが、遠い未来まで耐え忍んでほしい。 それにしても、どんなご都合主義か己の力と現状を把握できているのは幸いだった。 混乱も暴走も無いことはうれしいことだ。 まぁ、憂鬱であることには変わりはないのだが。 唯一救われたのは食料を必要としないということだろうか。 人としての持っていた三大欲求がすべて趣向品的な扱いになっている。 どうやらこの体に備わっていた知識によると、妖怪としてのアイデンティティに限っては、人どころか知的生命体が存在するだけで約束された様なものだった。 つまり、何も食さずとも、摂取せずとも死なないということ。 生活基盤が全く整っていない今現在の状況にとってこれは大きい。 危険なものとの遭遇以外では命を保証されているわけだ。前世以前での記憶を振り返ってもこの条件は限りなく有利なものであることは理解できた。 食いものに困り、野草を食して腹を下したのは。まぁ、今思いなおせば良い思い出だが、好んで追体験したいとは思えない。 うむ、実に良い事だこれは。 この体に生まれて、唯一といっていいほど感謝する。 しかし、 「当面は衣食住の確保が目標か。死にはしないが人の記憶が根強すぎる」 この色々な意味で頑丈すぎる体は人に交じって生活するにはいささか不便であった。 しかし酒は飲みたい。 三大欲求を満たさぬとも死にはしない。 だが酒は飲みたい。 そう、長年の生活によって築かれた習慣と趣向は崩しにくく、自然と欲してしまうのは仕方がないことである。 ただ、一般的な人間にとって己の存在は薄気味悪い存在として認識されるだろう。 個人で生活することに慣れた俺であったが、交流すら困難な状況というのは多少堪える問題だ。 集団の中で生活を送れないというデメリットは、集団の中にあえて混ざらないのとは別物の厳しさが存在する。 「とりあえず、住居を構えて襲われない立場と酒を確保しないと」 そのため、最低限の立ち位置を確保するため、異端ながらも無害であるという立場を確立するため、彼は周辺の集落の有無と、その交流権利を得るべく人里を求めて歩き出すのだった。 特にものを食べるという行為は当然の習慣である。 新たに本能付け加えられた人食という習慣を抑えるためにも、人としての食事をとりたかった。 元人として人を食らうことは、本能は求めても理性が許さない。 というか美味しそうに見えない。 前世の記憶など無ければ純粋に本能に従うことができただろうが、生前からの己の特異性に嫌気がさす。 だが仕方がない。 人としての生活を送る。 それは、予想が間違っていなければ、この世界での生活を安全にする手段だろう。 ついでに言えば、己の趣向を満たす妨げになる事は避けるべきなのだ。 何故ならば、オレはより旨い酒を飲みたいのだから。 自給自足は目指すつもりだが、作るにも己の限界は知りえているし、飲むなら可能な限り上手い方がいい。 そうだな、理由はシンプルなのがいい。 良い酒を手に入れるためにも、人と親しく生活を送る。 気ままで単純な思考の方が説得力があるだろう。 つまり、人して一般的常識である物事を厳守する必要性があるわけだ。 そう悟ると、俺はよりよい堕落した生活を目指して計画を立てることにした。 「で、家を掘り始めたわけなのだが」 そう、土を掘り始めたわけである。 当初は名案に思われた思いつきだが、落ち着いて考えれば迷案でしかなかった。 周囲にそれこそ腐るほどに群生する木々を使わずに家を建てる。 それいはいくつかの理由はあったが、一番大きな理由は実に子供らしい発想が原因だった。 いや、俺の精神年齢を考えれば痛々しい事この上ないのだが。 まぁ、生まれて一日もたたない妖怪だ。多少は大目に見てほしい。 「掘りすぎたなこれは」 陽の光は届かない。 俺は妖怪ではなくモグラにでも転生したのではなかろうか。 もう十分すぎるほどに掘り、手がヒリヒリする程度で済んでいるのが奇跡的なくらいだった。 掘る労力より、掘った土を運ぶ労力の方が大きかった気がする。 『隔離と転送』生前の能力を使ったのはいいがこの体ではまだ扱いにくい。 というか、あまりにサクサク掘れるから調子に乗ってしまい、それによって出た土の運搬に能力が追いつかない。 俺自重しろ。 それにしてもサクサク掘れた。何処かで、女性は霊力を始めとする精神的な能力が優れ、男は肉体的な力が優れるとあった気がしたが、俺はいったいどうなのだろう。妖怪によっての力なのか、この世界の法則によっての力なのか判断がつかない。 いや、公式的な設定がどうだったかなんてものまで覚えてすらいないのだが。 人間、日常的なもの、必要なもの、興味があるもの以外忘れるものだ。若かりし頃の娯楽の一部など精密に覚えているほど、俺はもの覚えは良くなかった。 役に立たない回想はここまでにしておこう。 とりあえず住居はここで構わないだろう。この洞窟も生前の能力を活用することによってそれなりの強度にすることができた。よほど強い地震でも起きない限りつぶれることはないだろうし、少々無骨だがそれは後々直せばいいだけの話である。問題はない。 「さて、早速休んでみるとするか」 今日やるべきことは十二分に成した。 早速、この作品の使い心地を試すことにしよう。 少々口寂しかったが、俺はそう自分に言い聞かせて穴倉の奥へと潜るのであった。 |
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