外で聞こえるたくさんの誰かの声は、何だか遠い。
不思議と、校舎の中からはもう声はしなくて。
日直なんて、ロクなこと無いなあと日誌を書きながら思う。
ペアの友達は部活があるみたいだったから、後は任せてって送り出したんだ。
そしたら、担任からプリント渡されて、閉じといてくれーだもん。
やっと終わったと思ったら、まだ日誌全部書いてないし、黒板消してないし。
ずらりと並ぶ机とイスの中、溜息をつく。
かりかりかり。
静かな教室に、溜息もシャープが紙を塗りつぶしていく音も溶けてしまって。何だか寂しい。
欠席者と早退者の欄を書き込んで、細長い日誌を閉じた。
これで後は黒板だけ。
のろのろと立ちあがる。
イスが床を擦って、自己主張する音が、ヤケに大きく響いた。何ていうか、忌々しい。
黒板に残された文字は、筆圧強く、濃い。それも忌々しい。
…消えないって、こんな濃く書いたら。
粉が飛ぶから、あんまり好きじゃない黒板消し。それでもやらなくちゃ帰れない。
キュイキュイキュイ。
背伸びしても、背の高い黒板の上の方に手が届かない。あーもう。
そんな消せない黒板の上部を眺めてまた溜息をついた時、ガタンと大きな音が後ろからした。
ビックリして振り返ったらそこには――
「トウノさん、まだ残ってんの?日直?」
驚いたクラスメート、イナンくんの顔が、そこにあった。
終礼が終わったら、今日はもう会うことも無いと思ってたのに。
一瞬にして、あたしの血はジュッて沸騰したと思う。
ほっぺたが、熱い。
殆ど喋ったことも無いのに、あたしは彼に恋をしている。
いつ好きになったのかは、よく判らない。
ビックリして振り返っちゃったから、イナンくんはわざわざ話し掛けてくれたんだろう。
だから何か答えなくちゃと思うんだけど、声がまだでなくて、必死に頷いた。
「でも、あと、黒板消すだけなんだ」
「そっか」
ああ、笑顔が眩しい。部活中に来たんだろうか。ユニフォーム姿も眩しいよ。
日直なんてロクなこと無いなんて、思ってごめんなさい。
寧ろ先生、プリントありがとう!話せるなんて思ってもみなかったよ、役得だよ!
そう思いながらも、どきどきしすぎて直視できない。
イタタマレナさから、また黒板をごしごしこする。
後ろからは、がさごそ机を探ってる音がしてる。
でも、見えなくてもイナンくんがいるってだけで、かなり緊張してるよ。
膝が震えそう。
キュイキュイ、キュワキュワ
動揺を捻じ伏せるように、一生懸命、黒板を消す。
心臓の音にあわせて、一生懸命。
一心不乱に消していたから、隣に来た人影になんて、ちっとも気付いていなかったんだ。
頬をさした大きな影に驚いて、あたしは硬直する。
「ちょっとごめん」
大きな影――イナンくんは、体と同じに大きな手で、あたしの持っていた黒板消しをそっと取り上げた。
耳元近くでする声。ちょっと触れた指先。
やばい。やばいやばいやばい。
全身が心臓に鳴ったみたいだ。
どきどきどきどき。どきどきどき。
心臓の動きすぎで、胸が痛い。飛び出ちゃいそうだよ。本気でヤバイ。
イナンくんは、そんなあたしの動揺も知らず(当り前か)届かなかった黒板の上のほうなんて、軽々と消していく。
嘘みたいに近い距離が、頭の中をチリチリ焦がす。
夢でも見てるんじゃないの、あたしってば。
「こんなもんでイーでしょ」
ニッカリ笑ったイナンくんに、あーもう、夢でもイイやなんて思って。
「ありがとう」
ぎこちなく笑って見せたあたしに、照れたようにちょっと俯いてイナンくんは笑った。
なんかそーゆーとこも、かわいくって好きだ。どうしよう、すごい好きだ。
そんな気持ちでいっぱいで、胸がきゅんきゅんする。
「これ、あげる」
お礼だよと精一杯勇気を振り絞って、ポケットからアメを取り出して差し出す。
また、指先が触れて、異常なほどに鳴り出す心臓。
ああ、どうかこの異常な血液の流れが伝わったりしませんように。気付かれませんように。
イナンくんははにかんだように、ヘヘと笑ってから「得した、オレ」なんて爽やかに笑うから。
あーもう、どうしよう。かわいいよ、かっこいいよ、眩しいよ。
見てるあたしの方が照れる。好きだ。
カッコワルイけど、にやけちゃう。変人に思われたらどうしよう。どうしようもない。
「あ、じゃあ、日誌とか、プリント、ついでだし職員室持ってくよ!」
「えぇっ、いいよ!悪いよ!」
イナンくんは軽やかに(さすが運動部)あたしの机の上からプリントと日誌を掻っ攫って、風のように教室から出て行った。
ひるがえって、風を含んだ、白とグリーンのユニフォームの残像。
それと「また明日!」って言葉が、鮮やかに。
胸を打ち抜いて行ったから、夢の中みたいに、足元ふわふわ。胸はきゅうきゅう。
外でたくさんの誰かの声が聞こえる。けど、心臓の音のほうがうるさいよ。
また明日、だって。どうしよう。かわいい、颯爽としすぎ、っていうか笑った顔も好き。
顔が熱い、にやけちゃう。立ってられなくて、しゃがみこんで顔を覆った。
あー、ダメ。あたしもう、かなり彼に
メ ロ メ ロ だ 。
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