+++カノン

 朝がきた。

 彼女は瞼の内側から光を認識し、眉をしかめながら目を開けた。

 地平線の彼方より上がる強烈な朝日に、目をすがめる。

 余りに寝起きの目に眩しいので、太陽に背を向けるように転がった。

 この辺りには太陽の光を遮る物は一切ない。影がほしければ、自分の背を光が指す方に向けるしかない。


荒野。


 草木一本とない枯れ果てた大地の上に、彼女は横になっていた。

 朝焼けはまるで夕方のように空を赤く染めていく。

 暫くして彼女は上体を起こした。

 いつ眠ったのかは覚えてなかった。

 ずっと寝る時間を惜しんで活動していたので、疲労がピークに達し、眠ると言うより気絶していたのだ。

 彼女は人の姿をしているが人間ではないので、不眠不休で暫く活動しても死ぬことはない。そんな体に支障を来すほど、彼女は頑張り続けていたのだ。

 どのくらい意識を失っていたか、彼女には分からない。彼女の近くには時間の経過を示す物が何一つない。

 寝ぼけた頭で周囲を見回し、この辺りはまだ土が赤くて良い、と感じ入り、誰ともなく頷いた。

 起き上がって煤汚れた白いローブを軽く払う。直ぐまた汚れるのだが、今度は払わなかった。

 彼女は呪文を唱える。

 それは神の言葉で、空を飛ぶことを指していた。

 紡ぐ旋律は、人では発音できないものであり、だからと言って彼女は精霊でもなく、もっと神族に近い存在。

 彼女は竜族の巫女である。

 術が発動し、彼女は目的の場所へと浮遊していく。

 暫く飛んで行けば溝が地平線へ向けて真っ直ぐ引かれていた。

 彼女は風を起こして、溝に溜まった砂を飛ばして行った。

 やがて太陽が彼女の頭上から照りつける時間になった。

 その時間になって、ようやく辺りの光景に変化が現れた。

 溝の横に子供が積み石をしたような物が置いてあり、其を境にして、向こう側の溝に溜まっている砂はこんもりと盛り上がっていた。それが何本も横に並んでいて、まるで広大な畑のようであった。

 ただこんな乾いた砂では畑としての役目を果たすのは難しいだろう。

 よく見渡せば溝に対して垂直方面に何かが沢山転がっていた。

 彼女はそこまで飛んでいく。

 それはドラゴンの死体だった。

 ドラゴンだけではない。

 有りとあらゆる生きとし生けるものの成れの果てが、地面が見えないほど転がって居た。

 彼女は泣きそうに顔を歪めて、目を見開いたままのそれをそっと閉じる。

 そしてそれを溝に向かって引きずって行った。

 亡骸を見るのは初めてではない。この畝の下に埋まっている分だけ見てきた。

 けれど、何度見ても、その顔を見る度悲しみが込みあがってきていけない。

 この溝は彼女にとって同胞の墓であり、新たな命を芽吹かせる為の苗床であった。

 亡骸を埋め、土を被せ、呪文で水を生成して撒く。雨は殆ど降ることがなく、気を抜けば砂は砂のままで、同胞を養分に土になることはなくなってしまう。




 あの出来事を何と呼べば良いのだろう。

 事件の名称とは語る相手が居て初めて意味を持つものだ。この世界に…少なくとも彼女の周囲には彼女と言葉を交わせるような生物は居ない。

 なので仮に降魔戦争の再来としておく。

 最後の魔王の欠片が復活し、それを切っ掛けにして神と魔の全面戦争が起こった。

 それは全ての生きとし生けるものを巻き込んで行われ、そうして気がつけば、彼女以外の全てが消え、あるいは、動かなくなっていた。

 彼女が生き残った。その事実で、世界は在り続けることが出来た。神々の勝利なのだ。

 彼女は泣いた。勝利を喜んだわけではない。そんな余裕は彼女になかった。

 彼女にとって世界とは、家族や友人が居ると言う狭い範囲でしかなかった。

 巫女として広義の意味での『世界』は知っている。

 けれど、幾ら千年以上生きている竜だとしても、自分が守ってきた『世界』の喪失感は耐え難いものだったのだろう。

 加えて、この草木もない焼け野原。

 滅びと言う言葉が実に相応しいこの風景。

 彼女は絶望した。

 泣いて、泣いて…泣きながら彼女は立ち上がった。

 遠い昔に居た彼女の友人が、人間と言う短い命を持つ者にも関わらず、いつまでも最大限に燃やし続けていた女性が言って居たことを思い出したからだ。


(例え99%の確率で駄目だったとしても、諦めてしまえば残りの1%もゼロになる)


 世界はまだ生きている。

 滅ぶ寸前だとしても、在り続けることを望んでいる。

 彼女が諦めたら、戦った意味も、同胞が散っていった意味も、彼女が生き残った意味も、全てなくなってしまう。


「リナ…」


 かつての友人の名を呟いて、ふと、自分を見逃した魔族のことを思い出した。

 彼女と魔族は面識はないが、彼女の方は噂で知っていた。

 獣神官ゼロス。

 単体で勝負を挑んで勝てる相手ではない。

 勝てない相手に挑むほど彼女は愚かではないが、怯えてなるものかとゼロスを睨み付けることはした。

 ゼロスは彼女をまじまじと見つめ、「ああ!」と手をポンと鳴らし、


「貴女はリナさんの」


 そう言って一人で納得した。

 続けて、「一度だけですよ」と言葉を残して消えていった。

 それ以降出会っていない。




 彼女の日々は単調に続く。溝を堀り、亡骸を埋葬し、水を撒く。気絶するまで続け、目覚めては活動を始める。

 竜族は食物を栄養にする者もいれば、光や水を栄養に変える術を持つ者もいる。

 彼女は後者で、それ故に枯渇した世界でも生きていくことが出来た。

 彼女が言葉を忘れてしまうほどの年月が流れた後、ようやく天候が正常になってきた。

 各地に掘った穴が泉になるのには多大な時間を要したが、そうなる頃には、彼女は虫が生きていることを知った。

 小さな小さな生物たちは、こんな世界でも絶望せずに生き続けていた。今も、生き続けることを望んでいる。

 最初に彼女が同胞を埋葬した場所には草が生えてきていた。

 それを見た彼女は、かくんと体から力が抜けて倒れてしまった。

 まだ回復の兆しが見えただけなのに、安堵してしまったのだ。

 気を張ることで無視してこれた身体中の様々な苦痛が、一気に彼女に襲いかかった。

 すっかり動けなくなってしまった彼女は、こうなった日に実行すると決めていたことを口にした。

 神の言葉で呪文を唱えたのだ。

 体を樹に変える呪文。

 彼女は巨木になり、地に根を下ろした。

 暫くそうして大気を感じていたが、次第に睡魔がやってきて、とろとろと微睡み、彼女は眠りについた。


(これでやっと…)


 世界の先を見ていないのに、彼女は安心して眠りに付いた。

 世界の在り続けることへの意思を見てきて、彼女はそれを信じていた。

 彼女の友人と同じように。

 どんな小さな可能性も、諦めることなく、消すこともなく、こんな姿になっても在り続けようとしたこの世界に対し、彼女は自分自身のこの結末にとても満ち足りたものを感じていた。


 今まで出会った生ける者たち。

 あの人にも「こんなに頑張ったんだぞ」と胸を張れる。


 輪廻の輪はなくなっていない。

 どうぞ遙かこの先で、この地で、また大輪の花ような笑顔を見せてください。








やがてその木は人々に『フラグーン』と名付けられた。





おわり
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現状、魔王が全部復活した状態で神々と戦争したら、数の上では神々がぎりぎり勝つねーと思います。
七分の五と四分の三の対決です。

一応ゼロリナです。

ありがとうございました!



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