誰か早く、俺に気づいて。 気づいてここから出してくれ。 俺はまだ死んでねぇ。 生きてんだよ、かろうじて。 泥濘の中、うつ伏せのまま弱々しく呻く。 ちょっと前までここは戦場だった。あれからどのくらい時間が経ったのか。 あたりは薄暗くて視界が悪い。霧も出てきてとにかく寒い。 生きて命があるのなら、はやく起き上がって帰らないと。 みんなが心配する、俺が帰ってこないって。 桂あたりは真っ青になるだろう。 常日頃から口癖みたいに「お前の存在は軍全体の士気に関わるんだから死なれたら困る、くれぐれも自重しろ」とか言ってやがった。 俺だって自重してぇよ、できるもんなら。 でも特攻の要たる俺の軍が慎重になってどうする。 ましてや俺がアタマ張ってる軍で、俺が自重なんかできるか。 それにしても、ひでえ状態だ。 泥や火薬の臭いに混じって肉の焼けるにおいがする。ただし髪や爪なんかも一緒に燃えてるせいで物凄い悪臭だ。 何がどうしてこうなった。 俺たちの軍は敵の背後から仕掛けて攪乱した後、左右に展開してそれぞれ高杉や坂本の軍に合流する予定だった。 それが敵もさるものひっかくもので、がら空きと見せかけた背後には周到に罠が仕掛けてあったってわけだ。 単なる沼地だろうと高をくくっていた俺たちは見事に地雷原に突っ込んで、半分くらい自滅した。 周囲で次々と起こる爆発音。しまったと思ったときにはもう遅い。 目の前には敵の背中、振り向けば味方の死体。 一瞬、足を止めて考えざるをえなかった。 だけど、地雷原ってのは、進むも地獄だが退くのも地獄だ。 ならば進むしかねぇ、と俺は判断した。ビビって逃げるときに地雷でも踏んだら、単なる犬死にだ。 今思えば、味方が派手に吹っ飛んだせいで俺の理性も吹っ飛んでたんだろう。 「怯むな、ここで止まれば奴らの思うつぼだ、進め!!」 檄を飛ばして、刀を抜いて、それからのことはあんまり覚えていない。 地雷なんか仕込みやがった卑怯な奴らの目にもの見せてやる、その一心で鬼のように暴れ回った。 大将はどこだと吠えながら、斬って、突いて、殴って、蹴って。 ようやく目のはしに目指す人影を捉えた、と思ったときだった。 背後に轟く、ひときわ凄まじい爆発音。 振り向くより早く届いた爆風に、煽られた身体が宙を舞う。 水面を跳ねる石のように横ざまに何度も地面に叩きつけられ、次の瞬間にはアタマから泥に突っ込んでいた。 遠くでときの声が聞こえる。 あぁ高杉たちだ、と思うまもなく意識が遠のいていく。 やべぇやべぇ、今はまだ戦の最中なんだって。 そう思うけど、どうしようもない。 アタマの芯がぐらぐらとブレて、俺の視界は暗転した。 で、気がついたら泥の中だ。 戦は終わったらしい。どっちが勝ったんだか。 冷たい霧の流れる湿地に、無数のカラスどもが嬉しそうに死体に群がってやがる。 周りにはもげた手足や鎧の一部が散乱していて、爆発の凄まじさを物語っていた。 俺の背の上にも何かが乗っかっている。それが何なのかは怖くて確かめたくないけど。 てか、何で俺は生きてんの。 泥に頭から突っんだんだから、そのままなら窒息してただろう。 ただとっさに顎の下に腕を入れていたのと首を横に捻ったおかげで、何とか気道は確保できていたようだ。 悪運の強さは自分でも呆れる。 おまけに、あれからそのままノビていて無事とは。 自分で言うのもなんだが、俺は白夜叉なんて呼ばれる有名人だ。いつだって首を狙われている。 なにしろ白夜叉を討ち取ったとなれば大変なお手柄だから、その狙われ方も半端じゃない。 その有名人が、爆発に巻き込まれたとはいえ戦の最中に目を回して地べたに突っ伏してるんだ。 誰か気づいた奴にさっくりやられて、いまごろ俺の首はどっかで晒しものか、樽の中で塩漬けにされてたっておかしくねーのに。 それでも唯一動かせる目玉を必死に動かして分かったことは、この状態の自分を白夜叉だと認識するのは至難の業だろうということだった。 だって今の俺、ちっとも白くないからね。髪の毛も羽織も全てが泥まみれ。 泥夜叉かよ、締まんねー。 乾いた笑いがこぼれたところで、いまだに起き上がれないことに気がついた。 身体に力が入らない。苛立ちとともに焦りがわいてくる。 なんだこれ、どうして手足が動かない? 気づいたら、肩口がぱっくり裂けてるのが目に入った。道理でスースーすると思った。 もうだいぶ血が出て、いい加減固まったあとみたいだけど。 身体がだるくて熱っぽい。起き上がれないのはそのせいか。 大出血の末に冷たい泥の中に長時間浸かっててその上発熱しているとなれば、うかうかしてはいられない。 すぐ戻らなくちゃ死ぬ。いかに悪運の強い俺でもさすがに死ぬ。 でも、動けないのにどうやって戻る? 万事休す。 絶望的な気分になって目を閉じたとき、泥濘をかき分けて進んでくる人の足音が聞こえた。 ぎぃぎぃと重たげな車輪の音も近づいてくる。 背筋にぞくりと緊張が走った。 敵か、味方か、それとも。 (つづく) |
|