椿拍手

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 穏やかな午後。
 途中あまりに見事なので見惚れていたら家主が一房わけてくれた藤の花と、花見をするならと仕入れた下り物の酒を下げてぶらりと左之助は縁側へ顔を出した。
 すぐにお目当ての人物を認めて、そっとほくそ笑む。
 どんな気配にも敏感で、消して見逃さぬ剣客が近頃めっきり自分の気配に対してだけは無防備になってきていることを知っている。
後ろから声をかけると決まってあの大きな目を瞬かせて驚いたようにこちらを振り返り、そして鮮やかに笑ってみせるのだ。
 その様子はまるで目の前で花が開いていくのを見るようで、左之助は瞬きも忘れて見つめる。
 今、目当ての相手は縁側にちょこんと腰掛け、熱心に洗濯物を畳んでいる最中だ。
 耳を済ませると、小さな声で童歌を口ずさんでいるのが耳に入った。
『ひい ふう みい よ
四方の景色を 春とながめて 梅に鶯
ホホウホケキョと さぁえずる
明日は祇園の二軒茶屋で
琴や三味線 囃してんてん 手毬唄
歌のなかやま ちょ五ん 五ん五ん
ちょ六 六六 ちょ七 七七
ちょ八 八八 ちょくが くうじゅで
ちょっと百ついた  ひい ふう みい よ』
 歌に合わせて流れるようになめらかに腕が動いて、真っ白に洗い上げられた手拭いが順々に積み上げられていく。
 左之助の耳には新しい数え歌は、内容からしても京に伝わるものなのだろう。
 恐らくは人並の子供時代を送っていないであろうそのひとの、ほんの幼い頃の姿が思い浮かんで左之助は胸が締め付けられた。
 いや、今もなお。
 その細い首筋も、なよやかな肩の線も何もかもがあどけなく、守ってやらねばならぬ子どもの様にいとけない。
 なのに。
 その肩に背負うものの重みがどれほどのものかさえ、左之助は知ることもできないでいる。
 胸を突く衝動を抑えきれず、左之助は背後から抱きしめた。
 はっと驚いた背中が振り返ろうとするのを、慌てて目を塞ぐことで留めた。
 きっと今の自分は、ひどく情けない顔をしているに違いなかった。
 左之助はその場を取り繕おうと、努めて明るい声を出す。
「だーれだ?」
 子どものようなことを言う自分に呆れたのか、相手はくすくすと笑った。
「さあて、誰でござろう。わからぬなあ」
 左之助はその言葉にいささかむっとした。数日ばかり顔を見せなかったのを詰られているのだろうか。
「てやんでぇ。俺がわからねぇ訳ぁあるめえ」
「そうだなあ。あやめ殿でござるかな」
「こきゃあがれ。ガキがこんな大きな手なもんかい」
「どれどれ。ああ、そうだな。この手はあやめ殿の手ではない」
 そう言って相手は自分の目をふさぐ無骨な手を握り、指を絡める。
「では薫殿でござろう」
「嬢ちゃんがこんな長い足なもんかえ」
 そう言って左之助は足を投げ出し、相手の体を囲いこんだ。
「ふむ。なるほど、薫殿ではないようでござるな」
 相手は自分の体を囲ってあぐらをかく足にも触れた。
「へへ、くすぐってぇや」
 足を撫でるやわらかい手の感触に、左之助は思わず頬を緩めた。
「では、弥彦でござるな」
「てやんでぇ。弥彦がこんな低い声かえ?」
 今度はその人の耳元へ直接声を吹き込んでみせる。
 思わず身をすくめるのを許さず、耳をぺろりと舐めた。
「こら、いたずらをするでないよ、弥彦」
「この野郎、まだしらばっくれる気か」
 背中から強く抱きしめながら、頬へ何度も口づけを落とす。
「わからぬ、わからぬよ。もっと手掛かりをもらわねば」
「そんなもんいくらでもくれてやらあ」
 左之助はその人のちいさな顎を捉えると、桜桃のような唇に唇を落とした。
 ふたりはくすくすと笑いながら床へ背を落とす。
 きちんと積み上がっていた手拭いの山が崩れてしまったが、ふたりは気にも留めない。
 左之助がすっかり髪が乱れてしまったそのひとの頭に、持ってきた藤の房をつけて『よれつもつれつ まだ寝が足らぬ、藤に巻かれて寝とござる』などと「藤娘」の唄を歌って二匹目の泥鰌(どじょう)を狙い、手酷く振られるのはこれからまだ半刻ばかりも後のことである。


 了

 

 

 




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