ありがとうございました!

「ウィル、朝だよ。ほら起きとくれ!」
 ある年の万聖節の朝、マリアは悪魔の火種の宿ったランタンを情け容赦なく揺さぶった。契約という関係で縛られているというのに、呼びかけの儀式などは完全にすっとばしている。
『こらまてマリア、火が消えたらどうする!』
 意識を浮上させたとたんに局地的自身に見舞われたに等しいウィルは、悲鳴を上げてその動きを制止する。けれど、ランタンの取っ手に手をかけたまま魔女は反省のかけらも宿らない笑みで応じた。
「何を言うかと思ったら。それが悪魔にもらった地獄の炎なら、これくらいで消えたりするもんか。そもそもこれが消えたって、あんた自身にはどうってことないだろう」
 そう言いながら魔女の指がさらにランタンを弾く。ぐらりと大きく揺れた容器の中でオレンジ色の炎が踊ったが、彼女の言葉どおり消える気配はない。
『それはそうだが、気分の問題だ、気分の。手荒に扱うんじゃない』
 どことも知れない場所から、ウィルはため息混じりにぼやいてみせる。
「はいはい、わかったよ。それはいいから今晩の衣装を試しておくれ。近年にない自信作さ」
 そんな男の言葉は右から左に聞き流して、魔女はパチンと指を鳴らした。
 衣擦れの音とともに現れた衣装を前に、ウィルが沈黙する。
「どうだい、力作だろう」
 悪魔をもたぶらかした男が絶句しているのを正しく理解したうえで、魔女は意地の悪い笑みを浮かべた。
 あばら家の中に忽然と現れたのは、高価な布地をふんだんに使用し、一つ一つ意匠を凝らしたレースをそこかしこにあしらった、豪華な豪華なドレスだった。
 色合いに派手さこそないが、少し古色のあるそれは、時代が時代ならば王族の出席する舞踏会で着ても何ら恥ずかしくないだけの品格を持ち合わせている。
『こんなモノ、どこからかっぱらってきた!』
「ヤだね、人聞きの悪いことをお言いでないよ。せっかくのお祭りのよりに何か面白いものがないかって相談したら、送ってきてくれたんだよ。どうせ仮装なんだ、意表をつきたいじゃないか」
 そういって魔女は、一人の悪友の名を上げた。マリアとの契約とほぼ同時に縁ができて以来、彼にとってはほぼ災厄と同義語になりつつあるその名に、ウィルは低く唸った。身体があれば頭を抱えていたに違いない。
『そういうならお前が着ろ。いいか、私はれっきとした男だ。何が悲しくてこんな、ひらひらずるずるした服なんか着れるか!』
「何言ってるのさ。あたしはこの屋敷から出られない。飴を配って魂の案内をするのはあんたの仕事だ。目には見えない、身体はない、じゃ困るから、こうして“身体”を用意してるんじゃないか。文句言うんじゃないよ」
 それとも契約を破る気かい、と睨まれたウィルは、舌打ちで不承不承の同意を伝えた。
「それにしても、惚れ惚れする造りだね。そうだ、身体がないんだから、コルセットだって締め放題。着崩れることもないからね」
 どうやってもイヤガラセにしかならないことを嬉々として口にする魔女相手に反論する余力は、ウィルには残されていなかった。


 その夜、子供たちの仮装行列に混じって飴を配るドレス姿の女性が皆の注目を集めたのは想像に難くない。
 つば広の帽子を目深に被り、指先まできっちりと手袋に覆い隠された謎の女性について、“妙齢の美女”にとことんまで尾ひれのついた噂話が流れたのは、また別の話である。




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