■未開封のキモチ
物心がつく前からだから、私と梢恵の付き合いは結構長い。
もともと家が近所で、母親同士の仲が良かった。
道端で立ち話に興じている母親たちをよそに、私と梢は駆けっこやママゴト、冬は雪だるまを作ったりして遊んでいた。
梢恵は気が強く、曲がったことの嫌いな女の子だった。
私たちが外で遊んでいると、近所の乱暴な男の子がちょっかいを出してくる事があった。今にして思えばその男の子は、梢恵に気があったのではないかという事まで含めて、よくある光景だったと思う。
そんなとき梢恵は敢然と男の子に立ち向かい、撃退して見せたのだ。
小学生頃までは男子も女子も腕力はそれほど変わらない。手足に擦り傷を沢山作りながらも得意げに笑っていた梢恵。私はそんな梢恵にくっついて一緒にいるのが大好きだった。
小学生も高学年になると流石に毎日顔を合わせて遊ぶという事は無くなったが、それでも仲良しは相変わらずだった。
三年生と四年生の頃はクラスを違えたのだが、五年生になりまた同じクラスになった。心細かった三、四年生の頃を埋めるように、私は五年生の一学期から六年生となり卒業を迎えるまで、ずっと梢恵と一緒にいた。
卒業式の日も、そうだった。
「梢恵、探したよ。置いていかれたかと思った」
「ごめん。少し校内ふらふらしてたの」
卒業式の後のホームルームが終わると、私は梢恵の姿を見失ってしまった。いつも一緒に帰るから不自然に思い校舎内を少し探したのだが見つけられず。結局、あきらめて自分の教室に帰ってきたところで梢恵の姿を見つけたのだ。
梢恵は窓際の自分の席に座り、暮れゆく空と見納めとなる校舎の姿をぼんやりと眺めていた。私も梢の前の席に座る。
「……終わっちゃったね」
「うん」
校舎内に残っている生徒は殆ど居ない。教室から見下ろせる生徒玄関を、数名からなるグループが時折通り過ぎていくだけだ。
どちらかというと引っ込み思案な私を引っ張ってくれるのが梢恵だが、口数はそれほどに多いわけじゃない。こうして二人で静かにしている機会も少なくないが、それでも今日の梢恵は寡黙だった。
「ねえ、──」
梢恵が私の名前を呼んだ。
「なあに?」
「男の子と付き合った事って、ある?」
少しだけ息が止まった。これまでにそういった恋愛の話を梢恵とはしたことがなかったからだ。
「……な、ないよ」
すると梢恵は、そっか、と答えた。どこかほっとしたような表情だった。
付き合うどころか、告白をしたりされたことも無い。そういう恋愛的なものは小学生の私には未だ早いと、そう決め付けていたところもある。
「梢恵は、もしかして」
「うん。さっき告白された。隣のクラスの奴だよ」
梢恵はその男の子の名前を言った。話した事は無いが、隣のクラスのリーダー格の男子だ。
本人に話した事はないが、梢恵のことを好ましく思っている男子は結構な数が存在する。頭が良くて運動も出来て、そして優しい梢恵は学年でも目立つ存在だ。
男子たちはそんな梢恵のことを、偉そうだとか生意気だとか陰口を叩きながらも、好ましく思っていたようだ。
だが私の興味は、相手というよりむしろ別のところにあった。
「梢恵は、その……」
「うん。断ってきた」
さっぱりとした顔で梢恵は言った。どこかで予想していた答えだったが、それでも私は密かにほっとしていた。覚悟はしているものの、まだ梢恵にどこかに行って欲しくない。
「だってそいつと話したの、今日が初めてだもの。いきなり好きだから付き合ってくれって言われても、実感が沸かないよ」
「あはは。そうだね」
実際、どこかで話してはいるのだろう。ただ梢恵にとって印象に残らなかったというだけで、その男の子はずっとその思い出を心の中で育てていたのだ。
「それに、付き合うんなら──とがいいな、私」
「ええ!?」
梢恵はいたずらっぽく笑いながら私と付き合いたいと言う。
「だって私たち、女同士だよ?」
「構わないよ。結婚は出来ないけど、付き合っちゃいけないっていう法律はないでしょ」
「うう、そうだけど……」
冗談だと分かっていても頬が熱くなる。何を言ってよいか分からず、私はただ口ごもるばかりだった。
「……うそうそ。でも、どこの馬の骨ともわからない男に取られるのは納得いかないなって思っただけ」
「もう。梢恵ったら」
「彼氏が出来たら紹介してね。私が検分してあげる」
「あはは。検分って」
そうして二人で笑う。梢恵に振られた男子には申し訳ないが、今日という日にこうして二人で笑っていられることは、とても貴重なことのように思えた。
「帰ろっか」
「うん」
私たちの小学校の卒業式の日は、そうして終わった。
同じ中学校に入学した私と梢恵は相変わらず仲が良かったが、同じクラスになることは無かったが、逆に休日に会う機会は増えたように思う。
一緒に勉強したり、あるいは遊んだり、買い物に出かけたり。頻繁に、というよりも余程の用事が無い限りは毎週末に顔を合わせていた。
学校内での立ち位置はそれほど変わることもなく。梢恵は相変わらず人の輪の中心にいることの多い目立つ存在で、私は人の輪の端にいることが多かった。
梢恵はときおり男子に告白などされていたようだが、すべて例外なく断っていたようだ。
また、男子からではなく女子からも、もちろん告白というわけではないが色々な誘いを受けていたようだ。具体的にはクラブ活動への誘いや、休日に出歩いたりする誘いである。別に逐一に梢恵が私に報告をくれるわけではない。自然と耳に入ってくるものなのだ。
だが、その誘いのどれに対しても梢恵は消極的だった。そうしたくないのか、それとも別に理由があるのか。私は特に聞かなかったし、梢恵も言わなかった。
そんなある日。中学生も三年のなかばとなり、そろそろ進路を決めなくてはならない時期だった。
私と梢恵は、私の家の自室で、お菓子をつまみながら一緒に勉強をしていた。
こうして一緒にノートを並べる機会が多いせいか、得意科目や苦手科目はあるものの私と梢恵の成績はだいたい似たり寄ったりで、決して悪いものでもなかった。
これまで敢えて口に出すことは無かったが、一緒の高校に行くか行かないか。口にこそ出さないが私たちは、そんなことで悩んでいた。
「……梢恵は高校どこに行くか決めた?」
「ううん、まだ」
さっぱりとした性格の梢恵にしては、煮え切らない口ぶりだった。そして、そのまま会話が少し途切れる。シャーペンの走る音と教科書をめくる音だけが聞こえる。
「実はね」
「うん」
私が少し含んだように切り出すと、梢恵はシャーペンを動かしながら答える。
「……告白、されちゃった」
「え」
シャーペンが折れる音が少し間抜けで笑いそうになった。梢恵にしてみれば寝耳に水。さぞびっくりしたことだろう。しかし梢恵は、つとめて平静ににこやかに聞いてくる。
「うちのクラスの奴?」
私は首を横に振る。
「もったいつけるなぁ。じゃあさ、その告白どうしたの?」
「うん……実は悩んでる。不純かも知れないけど、付き合ってみてもいいかなって。いい機会だから。まだ、はっきりとは決めかねてるけど……」
「そっか」
「ふふ。会ってみる? 検分してくれるんだよね」
私が冗談めかしてそう言うと、梢恵は手をひらひらと振った。
そして笑った。信じているから、と。
梢恵はそう呟くと、ふたたびノートと向き合った。
私も勉強を再開することにした。
結局私たちは、進路に関して密に相談することはなかった。願書に書いた高校名は、二人とも違うものだった。梢恵の方が少し偏差値の高い高校だった。
道をたがえる形になったが、直ぐに何かが変わるということはない。だが、高校に進学してしまえばいやがおうに変わるだろう。
頻繁に顔を合わせることはなくなるだろうし、それぞれに目先の学校生活が生まれてくるはずだ。
だが、むしろそれは私が望んだものだ。
そのために私は、されてもいない告白話をでっち上げたのだから。
梢恵のことが疎ましくなるなんてことはありえない。
だがいつか梢恵は、私のことを疎ましく思う日が来るだろう。
そうなって欲しくなかったし、そうされたくなかった。
──そうされてしまえばきっと、私の気持ちは壊れてしまうから。
梢恵は大勢の人に必要とされる人間だ。私とは違う。
たくさんのことに接していくうちに、やがて梢恵は大切なものを見つけるだろう。私は梢恵にそれを大切にして欲しかった。
私は梢恵のことが好き。でもこの気持ちは、いつか梢恵にとって重荷になる。
だから私は、明かすことのなかったこの気持ちをひっそりと仕舞う。
私自身のために。
そして今も、これからも大好きな梢恵のために。
了
2009 1/26 掲載
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