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01. 「ぱぁぱー」 「だいすきーっ」 「ぱぱもよー」 そう言って、そしてそれが当たり前のように互いに頬に唇を寄せる。 きゃあきゃあと賑やかな光景。それを眺める人の視線も、皆微笑ましげで。 大好き、と。 酷く拙いからこそ故に真っ直ぐな告白は、その言の葉以上の想いが果たしてそこにあるのだろうか。好きは好き。嫌いは嫌い。子どもは自らの心に素直なものだ。泣く、笑う、怒る。己の感情をそのままに発露する。それは子どもだからこその特権であり、子どもの子どもたる所以である。 けれども、同類の。それこそ微妙な心情のニュアンスを相手に伝えるには彼等はまだ未熟で、酷く幼稚で。『好き』と、それとはもっと違う『好き』の、あやふやで曖昧でしかし確固としたその線引きを明確な表現でもって子どもが説明出来るかと問えば、答えは恐らく否であろう。きっと大人はそう考えている。だからこそ、彼等子どもの言葉をそのままそっくりに受け取る事が出来るのだ。 大好き。他意も含みも、ましてや下心もない。 きらきらと綺麗なその言の葉を。その感情を。 「ゆちー、そんなとこでどうしたの」 ふいに、朗らかな声が響く。 声の主は未だしゃがみ込み、両腕に愛らしい彼の子どもをそれぞれ抱えているままであった。その間にも腕の中の子ども達はぎゅうぎゅうと彼の首に頭にしがみ付き、あどけない仕草で父親への愛情を表現している。 そう。 血こそ繋がってはいないものの、此処では彼は父親。 そして『自分』はその子ども。 「おいで」 惜しみなくぱっと広げられる腕。 駆け寄って、他の子ども達と同じようにぎゅうとしがみ付いた体躯は、自らが知る範囲での大人のそれよりはずっと小さく、細い。しかし子ども達からして見れば、何よりも頼れる父親の姿そのものだ。 子ども達は彼を酷く慕い、そしてまた彼もまた、子ども達を愛している。その感情もまた、まるで曇りなく澱みのない、まっさらな綺麗なそれで。 それ以外は不必要なのだ。他は要らない。 不純で醜い、他の色に塗れた感情なんて、赦されてはくれない。 「ゆちーも、好きだよ」 サングラスの奥の、赤みを帯びた瞳が柔らかく細められる。蕩けるような笑顔は、確りと子どもに向けられている筈であるのに、何処か違う所を見ているような錯覚を起こすのは。 恐らく、彼の所為でも、他の誰の所為でもない。 「うんっぼくも、ぱぱのことだいすきっ」 そしてその柔らかな頬に口付ける。 (僕が大人の姿であれば、何かが変わっていたのだろうか)
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