『 ビジター ⅡⅩⅠ 』






嵐が去るような静けさが室内を覆っていた。
あの、大騒ぎの引っ越しから一週間余り。
一人暮らしの独身女には、本当に贅沢だと思う、一軒家。
おまけに、故意でなくても、なんとも具合が良いのか悪いのか、
定かではないけれど、お隣さんは、職場の上司ときたもんだ。
ほんの、一週間前まで住んでいた軍の官舎は、2LDK。
リビングだって、大物の家具で占領されていたから、衝動買いで買って
しまったソファを置いたら、手狭なんてもんじゃなくて。
だが、今度の家は、4LDKある。
人間ひとりしかいないのに、正直4部屋もいらないのだけど、
一戸建ての家なら、これは標準基準なのだそうだ。
ゴージャス過ぎる買い物だ。
というか、今後圧し掛かってくる、30年ローンのほうがずっと頭が痛い。
何事もなく、無事に軍で生き残れて、定年退職できる頃には、支払が完了しているのだろうか。
…頭、真っ白で白髪なんかになっていたら、嫌だなあ~と、シホは漠然と思う。
自慢じゃないが、この黒髪は、東洋人だった祖母から隔世遺伝で受け継いだ極上もの。
顔は威張れなくても、髪は「褒めて!」と声を大にしても恥ずかしくない。
引っ越ししたばかりの、ピカピカの家… のはずなのだけど。
我が家におわす、いたずら坊主のわんこのせいで、1Fリビング隣の続間になっている
和室はとんでもない惨状になっている。
仕切り扉の障子戸、びりびりのぼろぼろ。
引っ越ししたその日に、やってくれた。
たった一週間しか経っていない、新居。
既に、ゴーストハウスの様相になりつつある。
仕事から帰宅しての、この有様だから、疲れが勝って怒る気力もなくぐったり床に伏せてしまう毎日。
どうやら、我が家のやんちゃ坊主君は、障子の枠組みを往復することが気に入っているご様子。
迷惑千万、極まりないけれど。
この処、仕事である軍務も多忙を極めている。
つい、面倒になって、チャロの食事も手を抜いていた。
溜め喰いなんて、人間でも出来ないのに、つい数日分を山盛りにして餌皿に用意をするようになって
しまったら、その山盛りの餌を一日で食い尽くしてしまうようになってた。
気が付いたら、あんなにやんちゃで、動くことが大好きだった愛犬は、かなりの小太りちゃんになっていた。
一日中寝ている。
散歩もせがまなくなった。
…これは、…どう見ても拙い気がする。
流石に危機感を感じて、シホはチャロに運動をさせようと試み始めた矢先、運悪く長期出張の任務が入って
しまった。
間が悪いことは重なるもので、頼みの綱の両親は銀婚式の記念と称して長期の旅行にでてしまっていて
チャロを預ける先がない、という事態に陥ってしまっていた。
あまり預け先としては考えたくはなかったが、やはりペットホテルを利用するしかないだろうか。
軍施設のレクルームで溜息に暮れていたのを隊長に見咎められ、素直に事情を説明すれば…
天の啓示とも思える言葉が隊長の口から飛び出した。
「ウチに連れてこい」
「は?」
「は、じゃなくて。お前が出向任務に就いている間、俺がチャロの面倒を見てやる。ハーネンフースには
随分前、我が家の猫たちの面倒を見て貰った恩もあるしな。偶には逆があってもおかしくはなかろう?
折角の縁で家も隣同士になったのだから、助け合えるところは協力し合えれば、お互い都合がいいだろう?」
極々真顔での、イザークの言にシホは色々な意味、眩暈を感じていた。
嬉しくもあり、こんなずーずーしいお願いをしてよいものなのだろうか、とか。
頭に浮かぶ言葉は、迷いばかり。
だが、そんな彼女の気持ちを度外視して、イザークは続ける。
「試に明日、ウチに連れて来い。」
「あ、明日ですかッ!?」
あまりの即決、速攻に、シホのほうが面食らう。
強引過ぎる処も、イザークの良いところであり、悪いところだ。
「ああ、そうだ。随分遅くなってしまったが、我が家の猫たちの件での礼もしたいから、近いうちに
食事でもどうだろうか。良ければ考えておいてくれ」
言うことだけを言い捨て、イザークはシホのもとを去って行った。
唸り、シホは自分の口元に右手の指先、人差し指第二関節を唇に当てる。
「…本当に良いのかなあ~」
食事のお誘いに、愛犬の世話。
本来なら、飛び上がって喜んでもおかしくはないのだろうけど、シホの性格上、目の前にぶら下がっている
美味しいご馳走だからと、飛びつくわけもなく、つい慎重派に徹してしまう。
空を仰ぎ、息をひとつ吐いて、彼女はテーブルに置かれた事務書類を手にした。
「とりあえず、これだけは完遂しないと家には帰れないわね。」
俗に云う、報告書とい書類の束を手にし、シホはレクルームのソファを立ち上がったのだった。










                                           続く。










※久しぶりの「拍手」用シリーズ、ビジター21話です。
ずっと、書きたいと思っていた、イザシホのお話ですが、
書きたいばかりで、全然体が動かず(これだから、おばさん
嫌だよ。;;)話的には、20話からの引越しから一週間しか
経ってませんが、現実は年単位のご無沙汰です。;;
とりあえず、「続」にはしてありますので、22話はそのうちに。
次は、事件があります。
…犬絡みで。;;



ついでに一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
お名前 URL
メッセージ
あと1000文字。お名前、URLは未記入可。