読書をするのがすきだった。しかしそれは慰みに読むようなものではなく、兵法や国法のことがこと細かに書かれたむずかしい本だ。それを好んで読む姜維を、馬超は解すことができなかった。
へやを訪ねてみたが、姜維はいなかった。
槍をかついだままへやのまえに立ち尽くす馬超のからだは、微かに汗ばんでいる。じっとしていればぽかぽかとここちよい暖かさを運んでくる陽のひかりだが、稽古をしている者にとっては汗ばむ暖かさだ。
そう、今日は、めずらしく晴れている。遠くの四方から、太陽にめがけての犬の吼え声がうるさかった。
馬超にとって、こんな日は絶好の稽古日よりだった。汗をかくことは気持ちよく、稽古を終えたあとに日陰の井戸でつめたくなった水を浴びるのもなかなかよい。
しかし、姜維はこんな日を読書日よりだと言っている。
窓から差しこむ陽の光りがへやを暖め、姜維は直接陽のあたらないへやのすみの壁にもたれかかり、本をゆっくりゆっくり読んでいくのがすきらしい。
ということは、きっと今ごろ姜維は書庫にいる。誰にも読まれずにほこりをかぶったむずかしいばかりの本を選び、きっと姜維はほくほく顔でへやにもどってくる。そうしてへやのすみで、ゆっくりゆっくり本を読み進めていく。
「これはこれは、馬超殿」
予想通りだった。姜維は鼻のあたまにほこりをくっつけて、誰にも読まれることがなく、ところどころ虫にくわれた本を両手いっぱいに抱えて、よろよろとへやにもどってきた。
「今日は絶好の読書日よりです」
あまりにもうれしそうな笑顔に、馬超はあきれて物も言えず、両手のふさがった姜維のためにへやの戸をあけた。
「ありがとうございます」
姜維は礼を言ったあと、すぐにへやに入って机の上に本を置いた。ぎしり、と机がきしむ音がへやに響く。
見れば、いまさっきまで抱えていた本のほかにも、たくさんの書物が机のうえにばらまかれていた。
「馬超殿はこれから槍の稽古ですか?」
槍を指差しながら姜維が訊いた。馬超は、うん、と言葉を返そうとしたが、のどまででかけたそれを飲み込んだ。
「……おれも一緒に読もうかな」
陽のあたらないへやのすみに、馬超はどかりと腰を降ろす。姜維は突然のことにしばらく驚いた表情を浮かべていたが、にっこり笑うと机の上に置いた本をてきとうに二冊つかみ、馬超の隣へ移る。
どうぞ、とそのうちの一冊を手渡されたので、馬超は槍を壁に立てかけてさっそく目を通してみた。
一瞬にして目がくらむ。楽しくもなんともない、むずかしい文字ばかり並んだ本。本の内容を理解することができないというよりは、頭が本の内容を理解することを放棄していた。
やっぱり稽古にもどる。そう告げようと姜維に視線をうつすと、もくもくと本を読んでいることがよくわかった。真剣な眼差しで字面を追っていて、だれかが声をかけてじゃますれば、かんかんに怒りそうな雰囲気だ。
馬超はしずかに本を床におくと、そのままでいた。
姜維のとなりにいられることのよさはわかったが、むずかしい本を読むことのよさは、相変わらず解せないままだ。
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