『しせん、の、さき』



「ふ〜〜あ〜〜〜〜」
ぞろぞろと長い袖口をからげて捲り上げ、思いっきり伸びをしてこきこきと首を回す。
凭れた椅子の背もたれがかすかな抗議の声を上げた。

今日の朝議は長かった。
陽子にしてみればかなり無駄なことで紛糾し、ごたごたと小難しいことを並べまくる連中を、綺麗に纏め上げていく自国の冢宰の腕に感心しつつ、全員の頭を何時もの冷静な顔の浩瀚がハリセンで一発ずつ叩く想像で退屈をむかつきをやり過ごした。


…そろそろくるな。
と。
「主上。はしたない真似はおやめください」
「…うわ。グッタイミッ」
「なんですかそれは」
「いやこっちのこと。景麒は気にしないでいいから」
捲り上げた袖を元に戻しながらふと振り返ると入り口に控えた大柄な大僕と蒼い髪の少女が懸命に笑いをこらえていた。

彼らにすれば何時もの事とはいえどよくもこうまあ時機良く漫談の様な真似が出来るのか、此処までくれば既に古女房と亭主関白といった感が有る。
…勿論どちらが亭主かは言うまでも無かろう。


その様子に苦笑を零して反動をつけてよいしょっ、と椅子から立ち上がる。
こういう場合は座り心地の良すぎる椅子というものも考え物だ。
後ろに有る書籍棚から秩を取り出そうとうーん、と背伸びをする。
指が届きそうで届かない。

こちらの書籍は所謂和綴じと巻物で、背表紙を見せる必要が無いから書棚というより収納棚で、床から天井までびっしりと作ってあり書籍も用具も一緒くたに仕舞われている。
だから踏み台があるのが普通だったが見当たらず、官を呼んで用意させるのも億劫だった。
陽子は背が低い方ではなかったが別段高い方でもなく、所謂普通の日本女子といったところだろう。
しかしこういうときはもう少し背が欲しい、と思う。
ふと隣国の王など連想してみたりする。
あの方は世界がどう見えているのだろうか。

と、後ろからひょい、と白い手が伸ばされ目的の秩が目の前に置かれた。
横を見ると自分よりはるかに高いところにある紫色の瞳にぶつかる。
「ありがとう」
そう言うとその眼がうっすらと細められた。
「…いえ」
そういえばこの数年、半身のこういった細かな表情も少しずつ解る様になってきたな、と思う。


思いたって履をぬぎ、椅子によじ登って中腰になる。
ちょうどぴったり隣になった白金色の頭がぎょっとしてこちらを向いた。
「何をなさって…!」
「成る程、お前には世界がこんな感じに見えているんだな。凄いな、見晴らしが良い」
言われた本人は大きく大きく、溜息をついた。
「…早く椅子にお座りください」
「やだ」
間髪入れずにそう答えた陽子の、胴に細い割にに力強い腕が回されてすとん、と椅子に座らせられる。
陽子がリアクション出来ずにいると更にしゃがんで履を履かせられた。
「…朝議が紛糾してお疲れになっているのは解ります。ですが、執務を執り行う時くらいはちゃんとなさってください」
そう言う半身を見てああ、と気が付いた。
―相手の表情が解る様になって来たのは向こうも同じなのだな。

隣に控える半身に顔を寄せ、囁く。
「後で庭院でおんぶしてくれ」
呆れたように此方を向く端正な貌。
景麒が呆れた様な、微笑ましい様な、微妙な貌をしていると主はまるで雨が降ったあとの天、曇が割れた隙間に差し込むきんいろの陽光のような笑顔で。

「約束だぞ」








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