ケータイと少女。


「ルルーシュ、携帯が欲しい」
「…はぁ?」
 地中海に程近い欧州のとある街、ウィンドウショッピングのつもりで繁華街を散策している道中でのこと。
 立ち止ったC.C.が物欲しそうな眼差しを送ってきたので、ルルーシュはしばし面食らう羽目になった。言葉の意図が分からず返答に窮していると、C.C.の瞳がちょうど目の前にある携帯電話ショップとルルーシュとの間を往復する。それにつられてルルーシュもショップのほうを向くと、大きなショーウィンドウには最新の携帯端末がディスプレイされていた。ガラスに薄っすらと映った自分の姿を見つめながら顎に手をやり、どうしたものだろうかと思い悩む。
 するとその反応が芳しくなかったからか、C.C.は不満そうに目を細めた。
「駄目か?」
「いや、そうは言わないが…。今までそんなこと一度も言わなかったじゃないか。急に携帯なんて、何のために?」
「もちろん電話するために決まってる」
「電話って、誰にだよ。まさかとは思うが、ピザ屋とか言わないでくれよ」
 ルルーシュが白い眼差しを向けると、C.C.は心外だというように唇を曲げる。
「お前は普段どういう目で私を見ているんだ…。それじゃあまるで私がピザの事しか頭にないみたいじゃないか」
「そのとおりだろ」
「む、失敬だな。それはどういう意味だ」
「さあね、自分の胸に手をあてて訊いてみろ」
「むぅ…」
 後ろめたい部分があるようで、C.C.はばつが悪そうにぷいとそっぽを向いてしまう。彼女の偏食っぷりは何年経っても変わらずなのだった。
 嘆息し、ルルーシュも所在なく顔を側める。南の空からは強い日差しが照りつけており、額を伝う汗を手の甲で拭った。
 この日は暖かな陽気に恵まれたからだろうか、街の中を見ても半袖を着ている人が目立つようだった。路傍で談笑している婦人らも白いレースのついた日傘を差している。先ほどからじっと携帯ショップのほうを眺めているC.C.も、「日焼けは嫌」とつばの広い帽子を被っていた。
「電話が必要だっていうなら俺のを使えばいいだろ。それじゃ駄目なのか?」
 ルルーシュの言葉にC.C.は一瞬だけ話を聞く素振りを見せたが、やがて面白くなさそうに首を振った。
「いいじゃないか、携帯のひとつくらい買ってくれても。私がこうして頼み込んでいるというのに…。男の癖にケチくさいぞ」
「ケチで結構」
「甲斐性なし」
「なんとでも言え」
 言下にあしらわれ、C.C.は首をすくめる。初夏の訪れを知らせる涼やかな風が吹いて、帽子からこぼれた彼女の長い髪が、宙を泳ぐようにひらひらとそよいでいた。素肌に当たるとひんやり心地よい。ルルーシュは風で暴れる前髪を鬱陶しそうに掻きあげて言った。
「ともかく、この話はもうおしまいだ。分かったな? おい、C.C.…、C.C.?」
 呼びかけに応じる声はない。不審に思ったルルーシュが辺りを見回すと、C.C.の姿がどこにもないことに気づいた。
 つい先ほどまで隣にいて会話していたはずなのに、ほんの少し目を放した隙にはぐれてしまったのだろうか。
「あいつ、どこに行った…?」
 呟きながらもう一度周囲を確認しても、やはり見当たらない。彼女の長いグリーンの髪は、この雑踏の中でも一際目立つはずなのだが――。
 しばらくその場から動けずにいると、突然、何者かに背後から押されたような衝撃があり、ルルーシュの体がぐらりとかしいだ。「っと…」危うく石敷の地面に顔をぶつけそうになり、どうにか踏みとどまる。冷や汗を垂らしながら背後を睨みつけた。
「お前…、何のつもりだよ。返答によっては怒るぞ」
「ちょっとしたスキンシップじゃないか。そんなに怖い顔をしないでくれ」
「……」
 あっけらかんとした態度にルルーシュは無言の抗議。それでもC.C.は涼しげな顔で、
「まあ、とにかくだ。もし私も携帯を持っていれば、たとえばこんなふうに町ではぐれた時にも連絡ができて便利だろう?」
「お前なぁ…」
 ルルーシュがやきもきしていることなど露知らず、C.C.はくつくつと喉を鳴らして笑っている。突然いなくなったり、ひょっこりと姿を現したり、まるで野良猫のように気まぐれなやつだ。
 眉間に皺を寄せて非難がましい顔をしていたルルーシュだけれど、怒る気力も徐々に萎えてしまった。認めてしまうのは少し悔しいが、C.C.を見つけることができて安心したのも事実なのだ。
 二度目のため息をつき、ガラス越しに携帯ショップの中を覗く。中には数人の客がいて、楽しげに買い物をしているようだ。なんでもないような光景が、何故だか随分と懐かしいもののように感じた。そして同時に、胸の奥底がじりじりと疼いたのが分かった。
 今はもう遠い過去、ブリタニアの学生としてトウキョウで日々を過ごしていた頃に、一人のクラスメイトともこうして携帯ショップへ出向いた事がある。記憶に残っている数少ない思い出の一つ。あれはいつの事だったろうか。少女の顔を思い浮かべようとするが、やがてカンバスに水滴を垂らしてしまったかのようにぼやけて霧散してしまった。あの時ルルーシュの隣にいた少女は、もうこの世にはいないのだ。
「ルルーシュ?」
「…ああ、すまない。ちょっと考え事をしてた」
 ルルーシュは小さくかぶりを振った。感傷とは自分らしくもない。ルルーシュは両手を軽く上げ、降参だと肩をすくめた。
「分かったよ。買えばいいんだろ、買えば」
「いいのか?」
「ああ。お前みたいな奴でも勝手にいなくなられたら困るしな。好きにしてくれ」
「ふふ、ルルーシュならそう言ってくれると信じてたよ」
 C.C.の顔色がぱっと花が咲いたように明るくなる。そんな彼女に先導されてルルーシュも携帯ショップの自動ドアをくぐった。中は広々としたショールームのようになっており、スーツ姿のビジネスマンやお洒落をした若者がお気に入りの機種を品定めしていた。カップルの姿もあり、腕を組みべたべたとくっついている様は、遠くから眺めているだけでも胸焼けしそうなほど甘ったるい。
 げんなりしているルルーシュとは対照的に、C.C.はすっかり上機嫌で忙しなく店内を歩き回っていた。
 まるで洋菓子屋で好きなケーキを選ぶ女の子のように、見開いた目をきらきらと輝かせて携帯電話を見つめている。そんな子供っぽい姿に、ルルーシュは苦笑せずにはおれなかった。
「お気に召すのは見つかったのか?」
「…まだ。考え中だ」
「どんなやつがいいんだよ。機能とか、デザインとか、色々あるだろ?」
「んー。正直、機械のことは私もよく分からないからなあ…。あ、そうだ、迷ったときは一番高い値段のやつを買えばいいと聞いた事が」
「それは勘弁してくれ、してください」
「くく、冗談だ。ルルーシュの持ち合わせは知ってるさ」
「ならいいが…。お前が言うと時々冗談に聞こえないんだよ…」
「心配いらんと言ってるだろう。もう少し見て回りたいから、あんまり急かすな」
 拗ねたように唇を尖らせて言うC.C.。編み上げブーツの靴音を鳴らし、広いフロアの中を小走りに駆けては、色とりどりの携帯電話を眺めている。こうなった彼女はもう何を言っても聞かないだろう。
 C.C.が気が済むというまですっかり待ちぼうけだが、ルルーシュは文句も言わず口を噤み、大人しく見守っていることにした。少なくともルルーシュは、彼女の我侭に付き合うのは面倒であっても、決して嫌いではないのだから。
「ちなみに、ルルーシュが使ってるのはどれだ」
 後ろ手を組み、くるりと身を翻したC.C.がそう尋ねた。ルルーシュは思案顔を浮かべて首を捻る。
「俺のは、どうだろうな。たぶんもう売ってないと思うぞ。何年も前の機種だから」
「ならこの機会にルルーシュも買い換えればいいじゃないか。うん、そうしよう」
「はあ…? どうして俺が」
 眉を曇らせて困惑していると、C.C.は素早く手を伸ばしてルルーシュの上着のポケットから携帯電話を奪い取った。あまりの早業だったのでルルーシュは金縛りにあったように立ちすくんでしまう。
「ほらみろ、ぼろぼろじゃないか、これ」
「…別にいいんだよ。ちゃんとまだ使えるんだから」
 C.C.が手のひらの上で玩んでいる携帯電話は、長年の酷使が祟り、見た目は傷だらけ。近頃はボタンを押しても反応があったりなかったり。ルルーシュにとっては口惜しいが、彼女の言うようにそろそろ買い替えの時期なのかもしれない。
 たとえ機械であっても人間と同じように寿命はきてしまうものだ――などと、寿命のない自分が言うのも妙な話なのだが。
「どうせいつかは使えなくなってしまうんだし、今のうちに買い換えておいても間違いはないだろう?」
「まあ…、気が向いたら考えてみるさ。それ返してくれないか」
 C.C.は手にしていた携帯を無造作に投げてよこし、再び棚に整列している携帯電話と睨めっこを始めた。
「さて…、どれにしよう」
 彼女の買い物は、まだまだ長引きそうだ。あちこち目移りしている少女に、ルルーシュも倣うことにした。しばらく店内を見て回り、何気なく手に取ったのは一番安い値札の貼られている機種だ。デザインはとてもシンプルなもので、数あるカラーの中からブラックを選んで手に取った。自分のような後ろ暗い人間にはお似合いの色だ。持つと手のひらにちょうど収まり、しっくりと馴染む。価格も良心的であるし、悪くない。
 すると頃合を見ていたようにルルーシュの背後から細い腕がすうっと伸びてきて、棚に並んでいる携帯をひょいと掴んだ。
「…何だよ、C.C.」
 C.C.は答えない。その手には、子供が好みそうなピンク色の携帯電話が握られている。
「それに決めたのか?」
「ん。これがいい」C.C.は短く答えた。
「そうか。色々と手続きをしなきゃいけないから時間もかかるだろうし、さっさと会計を済ませよう」
 入り口の近くにある受付に向かう。応対した若い店員はルルーシュとC.C.の顔を見比べてから意味ありげに微笑んだのち、書類を幾つか取り出して記入をするよう促した。
 黒と、ピンク。
 二つの携帯電話を並べ椅子に腰掛ける。紙面にペンを滑らせていると、ルルーシュはふと目を見張った。
「あっ」
「どうかなさいましたか?」
「あ、いいえ…」
 眉をひそめて訝しむ店員に「なんでもありません」とぎこちなく愛想笑い。はぐらかすように視線を下向ける。
 今になって気づいたが、カウンターの上に二つ並んでいる携帯電話はまったく同じ機種なのだった。有体に言えば、お揃いというわけだ。
 これでは店員に変な誤解をされても仕方ない。とはいえ「やっぱり違う機種にします」と言い出すわけにもいかない。ルルーシュが端正な顔立ちをくしゃりと歪めていると、不意に脇腹の辺りをトントンと小突かれる。
「ふふっ。ペアルック…いや、この場合はペアケータイとでもいうべきかな?」
「……」
 ルルーシュは思う。
 くすくすと朗らかに笑っているこの少女は、確信犯に違いない。

               ※

「♪」
「……」
 ルルーシュの前を歩くC.C.は、買ったばかりの携帯電話を早速箱から取り出して何やら懸命に操作していた。ショップを出てからというもの、彼女はずっとこんな調子だ。自分の携帯というものがよほど嬉しかったのかもしれない。
 しかしこの混んだ路上をろくに前も見ず歩いていたのでは少々危なっかしい。ルルーシュは見かねて声をかけた。
「おいC.C.、危ないぞ。ちゃんと前を見て歩け」
「平気だ。この私がそんなヘマをすると思うか?」
 返ってきたのは冷ややかな一瞥。心配してやってるのに可愛気のないやつだとルルーシュは悪態をつく。
「まったく…。うっかり落として壊しても、俺は知らんからな」
「だから心配するなと言っているだろう。保護者かお前は」
 けんもほろろなC.C.は、ルルーシュの忠告も聞く耳持たずに一人ですたすたと先へ行ってしまう。侘しさが漂う夕暮れの道。帰り路を急ぐ人の流れに埋もれていく小柄な体を今度は見失わないように、ルルーシュは駆け足で追いかけた。するとC.C.も歩調を緩めてくれ、やがて二つの影が並んだ。
 ふと横を覗き見ると、C.C.の長いグリーンの髪は夕陽に当てられてほんのりと茜色を帯びていた。相変わらず携帯の操作に夢中なのか、ずっと俯いたままだ。
 互いに言葉少なのまま、街路樹が植えられた遊歩道をぽつぽつと歩く。建物の合間から覗ける夕焼けの鮮やかさに目を奪われていると、しばらくしてポケットの中で携帯が震えていることに気づいた。買ったばかりの携帯を取り出しディスプレイを見やると、そこに表示されていたのは知らない番号だ。怪訝に思いながらも通話ボタンを押すと、受話器の向こうから聞こえてきた声は、
「あ、ルルーシュ?」
「はい、そうですけど。失礼ですがどちら様…って、お前かあっ!?」
 なんだか聞き覚えのある女の声だと思えば、やっぱりだ。
 ルルーシュの冷めた視線の先で、可愛らしいピンクの携帯を耳に押し当てている少女が一人。
「いいから返事をしろ。私の声はちゃんと聞こえているか?」
「…あぁ、よぉーく聞こえてる。まるですぐ隣で喋っているみたいだよ」
「くくっ。それなら安心だ」
 C.C.は満足そうに頷いてぷつんと通話を切った。「何なんだよいったい…」ルルーシュはしばらく呆気にとられて動けずにいたが、やがて片手にある携帯電話に目をとめると、ふと思いついてアドレス帳に新しい宛名を一件加えた。
「あ、そうだ」何か思い出したようにC.C.がはたと足を止める。「私の番号、忘れないうちに登録しておいてくれ」
「そう言うと思って、たった今登録してやったぞ」ルルーシュは少し得意げに答えた。
「ん、そうか。なら良かった」
 C.C.は目を細ませた。ルルーシュもほっと胸を撫でて安堵した。これでひとまずは彼女の要求も満たされただろう。
「これでいつでも声が聞けるし、離れ離れになったときでも平気だな」
「離れ離れになんかならないさ。俺達は、これから先もずっと一緒なんだろ?」
 ずっとそばにいると、かつて一人の魔女と契約を交わした。その言葉は今でも覚えているし、その契約は今でも続いている。しかし言い換えてみれば、二人の関係はその契約の下に繋ぎ止められていただけの、とても脆いものだった。
 けれど、今はそうじゃない。
 永遠の命を得た魔王としてではなく、ただのルルーシュとして。契約や約束に縛られるのではなく、ただ自らの意思で、彼女のそばにありたいと願っている。
 果たされなかった少女の願い。或いは、それを叶えるために。
「…おい、C.C.、急に黙るなよ。何か言ってくれないとこっちが恥ずかしくなるだろ」
 沈黙の時間に耐えかねてルルーシュが声をかけると、C.C.はくすりと笑みをこぼして茶化すように言った。
「ふふ、確かに、ちょっと顔が赤いな?」
 とっさに返す言葉も浮かばずルルーシュは下唇を噛むが、やられっぱなしではやはり癪なので、
「ふんっ…。お前こそ、人のこと言えないじゃないか」
「む、何がだ?」
「顔」
「残念でした、私のは夕陽のせいだ」
 C.C.の瞳の中には、鮮やかな夕陽が写りこんでいた。ルルーシュは取り繕うことも忘れてふっと相好を崩した。
 見上げれば、西の空に沈みかけの太陽が見える。夕焼けはよく熟した果実のように濃い橙色。東側へ目をやれば青みがかった紫色に変わっていき、宵へと移りゆく境界線を思わせた。
 並んで立つふたりの影は、夕陽で赤らんだ地面の上に寄り添い、折り重なるように伸びている。
 まるで手を繋いだ恋人同士のようだなと、ルルーシュは不覚にも思った。






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