ハニーミルクのシフォン/リゾット






彼女の家のドアを入った途端、やわらかな温かさに包まれる感覚があった。
リビングに入ると、窓際の小さなソファーに腰掛けて、彼女が眠っていた。膝の上には本が置かれている。
側にはストーブがあり、上には赤い鍋が乗っている。蒸気穴から吹き出す白い湯気からはコンソメの香りがした。
リゾットは音もなく彼女の側に近付き、彼女の隣に座った。オリーブ色の柔らかなソファーが彼の重みで沈みこみ、彼女の体が傾いて彼の肩に頭がそっと寄りかかった。髪の毛がふわりと、彼の頬をくすぐる。よく見れば、口が半開きになっている。ふっと笑って、彼は彼女の唇に指先でそっと触れてみた。小さな唇は、じんわりとあたたかい。
と、彼女のまつ毛がひくりと動き、それから唇から「ン……」と微かな声が漏れた。まぶたがゆっくりと開き、とろんととろけた瞳が彼を捉える。

「……ああ、リゾット」

眠たげにそう言って、彼女は大きく伸びをした。その拍子に膝の上の本が落ちる。
彼はそれを拾ってやり、前のテーブルに置いた。「ありがと」と彼女は微笑んだ。

「久しぶりね。ちょうどポトフ温めてたの。食べる?」
「ああ……。すまないな」
「何が?」
「起こしてしまった」

彼女はまだほんの少し眠気をまとった目を細めてアハハと快活に笑った。

「あなたの指、ガッサガサに荒れてるんだもの。あれで触られたら目も覚めちゃうわ」
「……」

彼女の言葉に彼は自分の手を見た。確かに手入れなど何もしていない自分の手は、ひびやささくれで酷いものだ。

「食事の前に手をケアしてあげるわ」

彼女は彼の手を掴んで、自分の方へ引き寄せた。もう片方の手でテーブルの引き出しを開け、中からクリーム色したチューブを取り出す。
蓋を開け、乳白色のクリームを自分の手に絞り出す。ハニーミルクのような、甘ったるい香りがする。
彼女は自分の両手を軽く擦りあわせ満遍なくクリームをいきわたらせると、彼の右手を包み込むようにそっと握った。

「お菓子みたいな香りでしょ。あんまりべたつかないから愛用してるの」

リゾットは黙って、彼女のしたいようにさせている。彼の手よりもずっと小さな手が、子供にするように優しくクリームを塗っている。
ざらついた自分の指に絡みつく彼女の指先は、焼き立てのシフォンケーキのようにやわらかく、あたたかい。

「あ、切れて血も出ちゃってる」
「ああ……」
「駄目よ。もっと大切にしなくちゃ」
「どうせ大した手でもない」

汚れた手だ。つい先ほども人を殺してきた手だ。
その言葉を呑み込んで黙り込んだ彼を、彼女はじっと見つめた。
それから、猫でも撫でるようにそっと彼の手の甲を撫でて「私にとっては大事よ」と呟いた。

「あなたが大事にできないなら、私がその分大事にするわ」
「……」
「ほら、終わった!」

彼女はポンと彼の手を叩き、勢いよく立ち上がった。

「ポトフ食べましょう。お腹空いた」

彼女はストーブに向かい、微かにくつくつ音を立てている鍋の蓋を取った。部屋中に、よく煮込まれたベーコンや野菜の、ふくよかな香りが広がる。

「お皿用意してくれる? ワインも飲みたいからグラスもね」
「ああ」

彼も立ち、食器棚へと向かった。
掌がじんわりとあたたかい。自分には似つかわしくないハニーミルクの甘ったるい香りが、けれど今は妙に愛おしかった。











ハンドクリームをテーマに二時間で書いてみました。







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