「サイコトリガー外伝 エンゼル・リンカーネーション事件 第一話」
「――私は医師団の一人として海外の戦地にいてね。政府軍と反政府軍が争う中東の某国だ。そう、まだ紛争の続いているあの国だ。そこで日本にいた妻が出産したものの、死んだことを知らされたよ。彼女の傍にいられなかったことは今でも悔やんでいる……。その後、私自身も地雷で脚を失い、帰国せざるを得なかった。だが帰国してみれば何故か親権が私の両親に移っており、私は叔父という扱いになっていた。……結局親権を取り戻すことはできなかった。だから、あの事件の時も私が真っ先に疑われた――(秋泉紅ヰ・談)」 二人だけの放課後の教室でキスをした。 真朱の唇からはミントの味が、藍姫からはイチゴの味がした。 ずいぶんお子様なハミガキ粉を使っているねと真朱が言うと、藍姫は頬を膨らませて怒った。 きっかけは偶然教頭先生と司書さんのキスを見てしまったことだった。 面白いものが見れるよと真朱が藍姫を誘い、図書室のドアの隙間から二人で盗み見た。 教頭先生は家庭のある人だから不倫だよ、と真朱は言った。 この二人の仲があやしいことに、読書クラブの真朱は薄々感づいていた。 でも藍姫の耳に真朱の囁き声は入っていなかった。 映画でもドラマでもない、すぐ目の前の大人同士のキスに彼女の心は奪われていた。 「試してみない?」 誘ったのは真朱だった。 小学生の頃からの付き合いになるが、二人で何かをする時の言いだしっぺは九割が真朱だ。 初めてのキスはおかしな感じだった。 まるで鏡に映る自分と唇を重ねたような、奇妙な感覚。 「女の子同士だからノーカウントだよ」と真朱は言った。 だからあまり現実味が湧いてこないのかな、と藍姫は思った。 「でも藍姫のファーストキスが私というのは感慨深いものがあるなー」と真朱は笑う。 ノーカウントではなかったのだろうか? そういう真朱の初めてはいつだったのか聞いてみたが、真朱は「内緒」とはぐらかして、廊下に逃げた。 腹を立てた藍姫は真朱を追いかける。 一緒に中学から帰る時に、またその話になった。 何でキスをしようと誘ったのか。 教頭先生と司書さんのキスが情熱的で、それにあてられた面は、確かにあった。 「でもね、何故だかわからないけど、今のうちにしておかなきゃいけないって、そんな気がしたのよ」 自分でも不思議だ、という顔で真朱は小首を傾げた。 この時の藍姫には真朱の言葉の意味がわからなかった。 二人がエンゼル・リンカーネション事件に巻き込まれる、一週間前の話だ。 暗く寒い地下室に泣き疲れた少女たちの姿があった。 この場所に彼女らが監禁されて何日が過ぎたのが、もう誰にもわからなかった。 時計やケータイは全て取り上げられて、少女たちは着の身着のままだった。皆、体を寄せ合ってわずかな暖を得ていた。 地下室の片隅には銃で頭を撃ちぬいた狂女の死体。 寒さのために腐敗は遅れていたが、血臭が鼻をつく。 飲まず食わずで少女たちは衰弱しきっていた。このまま救助が来なければ狂女同様に屍をさらすことになるだろう。 そのなかで最も死に近いのが藍姫だった。 拉致された際に車にはねられていた彼女は、半ば死体だった。 「大丈夫、きっと助かるよ」 救助の手が来ることを信じて、親友の真朱は必死に藍姫の看護を続けていた。 「何があっても藍姫は私が死なせない」 寒さに震える藍姫の体を真朱が抱きしめた。 学校帰りの藍姫と真朱が拉致され、この地下室に連れてこられた時、そこには二人と同じ年頃の少女たちが何人もいた。 自分たちがこれからどうなるのか。 身代金を要求するための人質なのか。でもそれなら何人も必要はないはずだ。 だったら名前も知らない外国へ連れて行かれて、金持ちの愛玩物や臓器を抜き取れられるような、想像するのもおぞましいことをされるのか。 だが彼女らを拉致していた女が語ったことは、少女たちの誰もが想像もしなかったことだった。 「これは○○の儀式です。あなたたち七人の祝福の少女天使にはその協力を○○××」 少女たちを拉致してきた女は、二十代にも四十代にも見えた。 女は舌足らずなのか、言葉の節々に聞き取れない部分があった。 「この儀式をエンゼル・リンカーネショーンと呼びます」 エンジェルと発音することができない彼女はエンゼルと言い、そして懐から一丁の拳銃を取り出した。掌に収まりそうな、銃身の二本並んだデリンジャー。護身用の小型拳銃。 少女たちは一様に息を呑み、体を竦ませた。 「祝福の少女○○に見守られた中で、私は七日の後に××として生まれ△△△。つまり甦るの。それでは皆さん、また×××××しょう」 直後、女は銃でこめかみを撃ちぬいた。 銃声に慄いた何人かの少女が身を寄せ合った。 床に倒れた女は動かなくなる。 そのまま数分が過ぎて、真朱がそっと女の近づいた。首筋に手を当てる。もう脈はない。 「死んでる……」 その言葉に、一人の少女が出入り口へと駆けた。 だがドアは開かない。地下室は内側から電子ロックがかけられており、六桁の暗証番号を入力するしかない。 暗証番号を知っているのは、今しがた死体になった女だけだ。 女が言葉通りに甦らない限り、少女たちが地下室から出ることはできない。 だが頭を撃ちぬいて死んだ女が甦るはずがない。 少女たちに待っているのは衰弱死だけだ。 「助けて、助けて、助けて!」 少女はドアを叩いて、外に助けを求めた。 他の少女も協力してドアを何度も何度も叩き続けた。 ケータイがあれば助けを呼ぶことができたが、ここに監禁される前に取り上げられていた。 少女たちにできるのはドアを叩くことだけだ。 狂女は自分が『何か』に転生するために七人の少女を必要とした。 それを彼女は『七人の祝福の少女天使』と呼んだ。 しかし拉致されてきた少女は八人いた。 その八人目が藍姫だった。 誘拐のターゲットとされたのは真朱だった。 真朱は数日前から身の危険を感じていた。誰かにつけまわされている気がしており、そのため藍姫が常に一緒に行動していた。 おりしも彼女らと同年代の少女たちが失踪する事件が相次いでおり、ニュースでも連日報道されていた。 だが誘拐にしては犯人からの要求は一切なく、日本との関係の冷え込んでいた某国による拉致事件ではないかと噂されていた。 当時の藍姫は剣道部で、また祖父から剣術の手ほどきも受けており、全国大会で優秀な成績を収めるほどの優れた少女剣士だった。 しかしこの時は相手が悪かった。 藍姫の存在を目障りに感じた拉致犯は、二人が一緒に下校している時を狙い、彼女を車ではね飛ばした。そして二人まとめて拉致した。 藍姫は、拉致される予定のなかったイレギュラーな八人目だった。 はねられた藍姫は半死半生の身だった。骨が何本か折れて、右目はほぼ失明していた。 虫の息の彼女は泣き叫ぶこともできない。 だが藍姫は『七人の祝福の少女天使』には含まれない存在だから、生死は問題ではなかった。 少女たちの絶望の七日間の始まりだった。 (二話に続く) |
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