1.土山
手に筆を取り,口紅を掬うと唇に乗せる。
今日の化け具合はまぁまぁと言っていいだろうか。鏡の中にうつる女の顔をした自分は,少なくとも一見すると見慣れていてもいつものあの地味な冴えない監察だとは分からないはずだ。一度屯所の中を歩いてみてもいいけれども,あの独占欲の強い人がそれを許してはくれないだろうと思った。
それでいい。
鏡の中の自分が笑った。不快さは感じない。
昔,彼が言っていた。
「やるならば,俺を落とせるくらいにして見せろ」
その言い分を最初無茶だと思った。
だから女性用の雑誌も買った。
付き合っている女の居る男に,いつなら興奮するかも聞いた。
彼の行く先についていくとき,どんな女にならば彼が反応するかも見た。
そのすべてを把握しただなんてまさか思っていない。だけれども彼がはじめて化けた自分に対して片眉を上げた時,これだけで終わらせるかと思ったのも確かだ。
「結局,あなたが俺を落としているんだけど」
一人ごちると口紅が濡れた。
まだまだ足りない。
足音が近づいてくる。きっと今日の潜入の最終の確認のために書類を持ってくるのだろう。女に化ける時に任務の確認の作業をするようになったのは,彼が片眉を上げた潜入のあとからだ。
落ちてもいいけれども,一人ではごめんだ。
光の入った粉を叩く。
仕上げにグロスを乗せる。
最後にまばたきをすると,背後の障子が開いた。
だって勝負前
(自分に魔法を掛ける。貴方をモノにする)
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