〜「With〜」 番外編 〜




 「おじさーん!こんにちわー!」
 明るい声とともに部屋の中に軽いノック音と明るい声が響く。暖かい陽射しが当たる窓辺で椅子に腰掛け、まどろんでいた中年の男がおもむろに顔を上げた。壁に立てかけてあった杖を引き寄せ、それにつかまりながら立ち上がる。穏やかで楽しげな表情で扉へ向かうその男の右足は、歩を進める左足についていくことができずに引きずられている。
 男が扉に手をかけてゆっくりとそれを開けると、そこには笑みを浮かべた黒髪の少女が立っていた。
 「やあミオ、よく来たね。入りなさい」
 片手に小さな籠を下げた少女は頷いて部屋の中へ入ると、天窓から降り注ぐ陽光に包まれた円卓テーブルに籠を置く。それに続いて男も扉を閉め、テーブルに添えられた椅子に腰掛けた。
 「右足の具合はどうですか?雨の日に痛んだりします?」
 わざわざ腰をかがめて目線を合わせる澪に、アルフの口元が緩む。
 「いや、大丈夫だよ。ミオの薬を飲むと、痛みがひく」

 アルフの右足が使えなくなったのは半年前のこと。一流の建築家として城作りにも関わったアルフ。しかしそれも今は過去の栄光。石材の下敷きになった右足が再び動くことはない。つい最近まではそれに絶望し、自分が生きているのか死んでいるのすら分からない状態だった。
 それを変えてくれた、漆黒の髪の少女。
 いつも一人でアルフの家まで来る見慣れた薬師が、ある日唐突に自分の親戚だと言って連れてきたのがミオだった。
挨拶すら返さない自分に、ミオは延々と話しかけた。内容はたわいもないこと。今日は天気がいいだの街で市がやっていて賑やかだの、自分には見慣れてさして新鮮味もない話を彼女は初めて見たかのように興奮して聞かせる。彼女があまりに幸せそうな笑顔で話すから、いつのまにかそれを聞くのを楽しみにしている自分がいた。
 何ヶ月かぶりに自分で口にした挨拶は情けないほどにかすれた、小さなものだった。けれどミオはそれを聞き逃すことなく、僅かに目を見開きながらも嬉しそうに笑った。
 あのときの笑顔は、今でも忘れられない。

 「じゃあ、新しい薬を渡しておきますね。また痛くなるようなことがあったら飲んでください」
 籠の中から小さな木箱を取り出すと、澪はそれをアルフに差し出す。それを受け取り、アルフは代わりに自分の内ポケットの中から1枚のコインほどの大きさの物を澪の手に握らせた。
 掌を開き、中にある物を見た澪の顔に焦りが浮かぶ。そこにあったのは、小さな小さな石細工でできた猫の置物。しかしそれは驚くほどに精巧で、今にも走り出しそうな躍動感を持っている。そしてその瞳には、小さな青い宝石。
 「おじさん、こんな高価なもの受け取れません!」
 つき返されるそれを、アルフは再び澪の手に握らせた。アルフの褐色の瞳が澪を見つめ、その光の柔和さに澪は言葉を失う。
 「ミオ、君のために作ったんだよ。私に新しい人生をくれた、君のためだけにね。君が受け取ってくれなかったら、私はこの子を捨てるしかなくなってしまう」

 アルフの新しい人生。それは様々な鉱石を削り、彫り、命の息吹を与えるもの。足が動かないのなら、手を使った仕事をすればいい。そうこともなげに言ってのけた澪に、アルフは驚くと言うより、むしろ今まで考えもしなかったことに戸惑った。
 右足を失った悲しみだけを、アルフは嘆いていた。人に誇れる唯一の物をなくしたその絶望は彼の心を暗くし、生きる目的を見失った。その暗闇に、澪が希望を与えた。
 また何かを作ることができる。自分を表現することができる。仕事を失った身、時間なら腐るほどあった。今まで職人として稼いだ金額は、生活費としては十分すぎるほど。その時間は、新たな職人となるための糧となった。最初から創作に関わっていた者、技量なら十分。そして彼は、新鋭の工芸師になったのだ。

 澪は手をゆっくりと開き、握らされた猫を見つめる。埋め込まれたサファイアらしき瞳が優しい光を宿して澪を見上げていた。
アルフのほうに目をやると、彼は杖の上に両手を乗せて微笑んでいる。澪はあきらめたようにため息をつき、アルフに向き直った。
 「わかりました。わかりましたよ、これは頂きます。・・・おじさんのことだから、箱も用意してるんですよね?」
 アルフは満足そうに頷き、もう一度自分のポケットを探り出す。そして現れたのは、細やかな装飾がされたガラス作りの、中にビロードが敷かれた箱。
それを見て澪の顔が引きつる。ガラス職人がアルフの依頼を受けてつくる、アルフだけの蔦を模したデザイン。この箱だけで澪とヘレン、二人が1月は暮らすことができる代物だ。恐る恐るそれに手を伸ばし、しなやかな猫が傷つかぬように優しくビロードのくぼみに包み込んだ。
 こんな高価なものを貰ってしまったことは心苦しいが、嬉しくないはずがない。一時期は死んだ魚のようにうつろな目をしていたアルフが、新しい人生を歩みだした証拠なのだから。
 木のきしむ音に思考を引き戻されてガラス箱へ向けていた顔を上げると、アルフが澪のためにドアを開けていた。それを見た澪は机の上に置いてあった籠の中にそっと箱を入れ、アルフの元へ向かう。
 「ミオ、気をつけて帰りなさい」
 「ありがとう、おじさん。この子、大切にしますね」
 その言葉を残し、澪は家路を辿って行く。その小さな後姿が歩いて行くのを、アルフは見つめていた。
 職人は自分の思いを創作したものに託す。それはアルフも同じだ。依頼を受けた品の全てには彼の思いが詰まっている。もちろん、澪に渡した猫にも。
 アルフは澪の姿が見えなくなると、その顔を空へと向けた。口の中で小さく呟かれた言葉は、彼の思いだったのかもしれない。











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