京都散策・壱 水路閣
南禅寺境内にある水路閣の周囲には緑が溢れ、流れる水の音と共に夏でも幾分涼しく感じる。
まして11月の今日は肌寒いを通り越して、年明けの寒ささえ感じさせる。
京都が本当に寒くなるのは、底冷えの1月2月だ。
僕は今、此処で人を待っている。
待ち合わせの時間は午后4時。
陽はそろそろ翳ろうかという時分で、ますます寒さに拍車がかかる。
それでも周囲は、三門の特別拝観に集まった観光客でにぎわっていた。
南禅寺を少し北へ上がれば、紅葉で有名な永観堂がある。
永観堂は正式には禅林寺というのだが、通称の方がよく知られていた。
「すみません、少し、いいですか」
突然声を掛けられ、僕は読んでいた文庫本をたたんで顔を上げた。
見れば、観光客らしい女性グループがカメラを片手に笑顔で立っていた。
「はい、」
「すみません、写真を撮ってほしいんですけど」
グループのリーダー格と思われる女性がそう切り出した。
カメラが目に入った時から、この展開は予想が出来た。
しかし……。
リーダー格の女性だけでなく、その仲間である4,5人の女性たちもまた同じようにカメラを手にしていることに僕は眩暈を感じた。
これは厄介なことになったぞ、と思う。
こういった場合、大抵全員のカメラでシャッターを切らされるものだ。
しかし現実は僕の予想を上回った。
「あの、出来れば、一緒に映ってもらいたいんですけど」
少しためらいがちな口調で、しかしまっすぐに僕の目を見て、その女性は言ったのだ。
こちらとしては戸惑いを隠せない。
「僕と、ですか、」
ひょっとして、観光客だと思ったのは間違いで、同じ大学の学生だったかと思い、記憶を探ってみる。
しかし、記憶にはない貌だった。
黙り込んだ僕に焦ったのか、女性はカメラを握る手に力を込めながら言葉を続けた。
「あの、ずっとここに立ってましたよね。私たち、三門を見て次にここを通った時にも貴方がいたら、一緒に写真を撮ってもらおうって話してて、」
「何故、僕と、」
「それは……っ」
言葉に詰まった女性の頬が、心なしか紅くなる。
僕はいよいよ、これは厄介なことになったぞ、と思った。
こんな所をあのヒトに見られたら、何と言われるか……
懐中時計を取り出す僕を見て、女性はいよいよ慌てたように言った。
「あ、あの。お忙しければべつに……っ」
「写真くらい、撮ってやれば良いものを」
ふわりと、清らかな水の馨とともに僕の背後から声がした。
同時に、僕の首筋に回される白い腕。
黒く長い艶やかな髪が僕の頬を擽った。
「あ!」と叫んで、女性が一歩下がった。
「待たせたな」
背後からそう言ったのは、僕の待ち人だ。
うなじに触れる吐息を避け、僕はなまめかしく絡まる腕から逃れた。
「あ、あの。……カノジョさん、ですか……?」
そう言う女性たちはすでに撤退の様相を見せている。
僕の隣に並んだそのヒトは、面白がる目付きで僕と女性グループとを交互に眺めていた。
「良いですよ。写真、撮りましょうか」
このヒトは僕の特別な人ではない。
その意味を込めてそう申し出ると、短く歓声が上がる。
結局僕は、水路閣を背景に2,3枚の写真に写った。
「あの、現像したら送っても郵送してもいいですか? あの、名前と住所を、」
そう言ってくれたのを丁重にお断りし、僕は待ち人とともに水路閣を後にした。
隣を歩くヒトは、戯れに僕の腕に腕を絡ませ、舞うような軽やかな足取りである。
「ふふふっ」
その上、突然笑いだすから気味悪いことこの上ない。
「何ですか、その笑いは」
そう問うと、そのヒトは僕の顔を横から見上げるようにして悪戯っぽく笑った。
「おまえは、いろんなモノにモテるのだな」
「やめて下さいよ」
「妾も、おまえのことが気に入っておる。こうして、人間のフリをして一緒に雑踏の中を歩いても良いと思える程には、な」
「良い迷惑です」
「ふふふっ。そういう所が良いのじゃ」
「今日は水路を通って、どこまで遠出してたんですか」
「ナイショじゃ。しかしな、」
そのヒトは、くるりと身を翻すと、空を抱き締めるように両腕を広げた。
「今年の妾は、一味違うぞ。おまえに、とっておきの妾を見せてやろう」
そう言うと、そのヒトは夕方の風に乗って消えてしまった。
いつものように気まぐれに去ってしまったあのヒトに、やれやれ、と一つ息を吐く。
どこかで文庫本の続きを読んでから帰ろう。
そう思いながら、僕は南禅寺の境内を後にした。
たつた姫 たむくる神のあればこそ 秋の木の葉の 幣とちるらめ
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