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10/04/13更新
新→←かなで:ハル視点
いわゆる「七夕」のころ








pizzicato





「はい? 新がどうかしましたか?」

あからさまに迷惑そうな顔で返すのはかなでが問うたその人のイトコ、
抜けるような金髪がさらさらと、開け放った窓からの風に揺れている。
その愛らしい風貌からは意外だが、水嶋悠人は、練習中に声をかけられるのを嫌い、
そしてそれをはっきりと態度に出す種類の青年である。

「だから、誰にでもああなのかって」
「……先輩」

悠人は短く息をつき、身の丈ほどもあるチェロから弓を離すと、
まっ赤な顔でそぞろ気なかなでを厳しく見据えた。
それまでは、無視しても構わないと思っていたのだが、
無視してもしても、数分後にはまた「ハルくん」と物欲しげな声がかかる。
セミファイナルまでに時間もそうないのだから、
ここは一度相対した上で、かなでにもきちんと身を入れてもらわねばならない。

「まず、『ああ』というのは、どういう状態を指しているのか———まぁ、聞かずとも
 だいたい想像はつきますが、物事は順序立てて話してもらわなければ困ります。
 単に新がどうなのか、と聞かれても、僕には答えようがない」
「……ごめん」

かなではしゅんとし、悠人は顔を穏やかにした。
素直に非を認めて謝る人は好ましい、と、悠人はそんなふうに思っている。
悠人の軟化した態度に安心したか、
かなでは、膝の上のヴァイオリンを見つめ、ピチカートにはじきながら話し始めた。

「昨日寮に戻ったら、『お帰りマイラバー!』って」
「……いかにも言いそうですね」
「……それだけじゃなくて、いきなりぎゅーって」

いかにも目に浮かぶようだ。
悠人は呆れてものが言えない気持ちであったが、大事なことが一点あるので口を開いた。

「先輩。確認しますが、ふたりきりだったわけでは」
「なっっ、ないない! 至誠館の人みんないた!」
「それなら、……先輩の望む答えではないでしょうが、新は誰にでもそうでしょうね。
 ラバーとは言わずとも、僕にだって似たようなものですから。ご存知でしょう」
「……やっぱりか。誰にでもああなんだ。そっか。……そっかぁ」

一通りの答えが出たところで、悠人は練習を再開した。
メトロノームを鳴らしながらパート譜を追い、そう、ここは滑らかなスラーで繋いで———

(……ずれる)

言わずもがな、かなでの膝からポツポツと上がるピチカートの所為である。
メトロノームも、悠人のスケールもまるっきり無視したその果てしない音の羅列に、
こめかみがぴくりと動いてしまう。

「先輩」

やはり果てしない音の羅列に、こめかみは更に膨れ上がる。

「先輩」

チリチリする苛立ちに、毛先を跳ね上がらせながら顔を上げれば、
俯くかなではどうやら傷ついている。
悠人の、制止しようと用意していた強い声音が、咽の奥へ引っ込んだ。
手を止めたことで聞こえて来たピチカートは、
ただの雑音だったわけではなく、やや憂いある旋律を紡いでいたようだ。

「そんなに気になるんですか?」

悠人がメトロノームを切ったのを、
かなではここぞとばかりに捉えて首一つ乗り出す。

「普通気にするよ! お父さんにだって抱きしめられたことないのに」
「ええ、まぁ日本人ですしね」
「……そのへんかなぁ。ただの異文化的ギャップ?」

くるくると表情を変えるかなでは、まるで子どものようである。
いや、恋をすると、子どもでも、大人でも、その間であっても、
ひとはこういうふうにもなるのかもしれない。
不純なものばかりでもないか、と、悠人はそんなふうに思った。

「小日向先輩」

悠人は、恋する女性にアドバイスを求められて、満足に答えられる経験があるわけではない。
けれども、それが、他でもなく新であるというなら、言えることがあるかもしれない。
そして、恐らくかなでは、だからこの日、わざわざ部室に出向いて
にもかかわらず、ヴァイオリンは膝に置いて
他でもなく悠人に話しに来たのだろうから。

「どうして僕に聞くんですか」
「え、だってハルくんがいちばん新くんのこと知ってるかなって」
「そういうことではなくて」

真夏の白い光をかいくぐるように、妙に爽やかな風が吹き込む。
海を渡り、潮を含んできたその一筋は、埃と譜面を撫でては複雑な匂いをまきあげて
続く季節を運んでくるのだろうか。

「抱きしめたのは、先輩だからなのか、他の誰かでもよかったのか。習慣だからなのか、好きだからなのか」

わかりやすい人だ、悠人は言いながらそうかなでを見ていたが、

「うんうん、それで?」

と、期待に満ちた瞳ならなおさら、いい加減な気休めを言うべきでない。
無論、半分想像はついているにせよ、言えることは一つだ。

「答えは僕にもわかりません。ですから、僕でなく直接、新に聞くべきです」
「———」
「新はそういうひとが好きだと思いますから」

メトロノームのスイッチを入れたのを合図に、
「もういいでしょう」とぶっきらぼうに言い放つと、
かなでは酷い性急さでヴァイオリンをケースにしまい始めた。

「新も結構ですが、練習はちゃんとして下さい。セミファイナルの日付け、わかってますよね」
「ん! わかってる!」

立て付けの悪い扉を、がりがりと抉じ開けるようにして、
弾むような靴音が廊下を踏み出た。









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