桜(はな)咲く季節、散りゆく季節に君と出逢い


その視線の先にあるものは。


――花の下に、彼女は立っていた。

その横顔に、嘗ての風景が重なった。

あの、夏の夜。
あの時彼女は、月を見上げていた。
今は、昼間で。
彼女の視線の先にあるのは、桜の花だ。
そしてあの時は、既に泣きそうな顔だったが、今はそうではなく、彼女にしては珍しく、凪いだような表情。
感情を感じさせないくせに、本当はその奥に堪えきれないほどの何かを抱えているのだろう。

「月を食べる気か」
あの時は、そう言ったけれど。

暫く眺めていても、彼女は微動だにしない。
何を想っているのか、わからない。他人の感情には敏感なくせに、自分の気持ちにはことさら鈍感になっている。
その時、一陣の風が吹いた。
それ程強くはないが、花片を散らすには十分で、まるで僕の視界から彼女を隠すように、花片が一瞬だけれど彼女の姿を覆った。

耐えきれず、足を踏み出し声を掛けた。
「何を呆けている」
「!」
顔だけをこちらに向け、
「び、びっくりした…驚かさないでよ」
彼女はとっさに仮面を被った。
「ずーっと惚けていたからだろう」
久しぶりに交わした会話。それは、普段と変わらない、他愛ないのに懐かしささえ覚える。
だが、彼女はその場から動こうとしない。顔だけはこちらに向けているが、身体は、心は桜に惹かれたままだ。
「何してる」
「ん。お花見ー。ナルこそどうしたの?」
普段通りを装う言葉、口調。
だけどそれは痛烈に拒絶する。
溜息を軽く漏らし、そのまま彼女へ歩み寄った。彼女は顔を背け、再び桜に見入る体勢になった。
――咲いて、散り急ぐ花に、何を見ているというのか。

「綺麗だよ。ナルも一緒にお花見する?」
僕が付き合わないことを前提とした上での、誘い。僕が断れば、このまま離れるつもりだろうと思うのは考え過ぎなのか。
「仕事がある。麻衣ももう補講は終わりだろう」
「あ、うん…」
頷いて、不思議そうに訊き返す。
「あの、もしかして迎えに来てくれた?」
「そう見えないか」
理解っていたなら訊くな、との思いをころしながら、また一歩だけ彼女に歩み寄った。
「わ。びっくり…あ、ええとありがとう?でもまだ時間早いよね?」
予定表では、確かに本日の夕方からだった。だが。
「安原さんが急用で来れなくなった」
「あ、そうなの?」
「リンも出かけるそうだが、先に昼食ついでにお前を迎えに行くように言われた」
そう言って、歩き出す。すると、彼女は僕の後に続く。
それに、何故か安堵した。
「へー…あ、でももう1時過ぎてるね?あたしまだご飯食べてないんだけど、途中でコンビニかどっかでお昼買っても良い?」
別にそれでも良いのだろうが。
「僕もまだだ」
そう言って、彼女へ振り返り、
「今日で補講終わりだろ?記念にご馳走してやる」
手を差し伸べながら告げた。
「わ、いいの?うれしー、ありがとうナル!」
本心から喜んでいるのだろう、抱きついてきた。まるで釣り上げた魚を捕獲したような気分だと思う。彼女が離れないように、僅かに歩調を緩めて歩みをすすめる。
すると彼女は楽しげに喋り続ける。それでも、あの時の感情は未だ溶けないまま残っているのだろうが。
「わー、明日は雪降るかな?そしたら桜と雪で素敵だねー」
「…北ならともかく、それはないだろう」
そういうこともあるのだと聞いた覚えがあるが、ここは東京だ。それくらいも分からないのだろうかこいつは。
「だって、ナルがご飯ご馳走してくれるなんて珍しいじゃん。お天道様もびっくりしちゃうよ」
「…どういう意味だ」
「あ、軽い日本のジョークですって。すみません所長」
「一人で先に事務所に行って、昼食抜きで仕事するか?」
「わーっ、だからすみませんごめんなさいぃ」
口は災いの門、という諺を思い出しながら、彼女の頭を搔き撫でた。
すると一瞬、また不思議そうな表情になったが、それは直ぐに微笑みに代わった。

逃がさないように、背中に腕を回し軽く腰を押してやると、身を寄せてきた。
そして、
「ナル、覚えてる?初めてみんなと逢った時も、桜が咲いてたよね。もう少し先だけど」
「そうかもな」
あれは、2年前の四月か。こちらに来て初めての調査だった。そして。

彼女は微笑みと共に見上げてくる。
笑った顔、怒った顔、泣いた顔。多彩な表情はころころと変わり、僕の仕草一つでも簡単に変えることが出来るけれど。
色々な表情を見ている、と思っているが。
全てではないだろう。彼女が僕に見せなかった表情があるのも、知っている。

どうせなら、泣き顔でなく、笑顔が良い。

それも、今のように特別な。
花綻ぶような微笑みを、もっと良く見たくてその頬を左手で包み込み、顔を近づけて。
「……っ!」
軽く胸を押して、彼女は強引に身を離した。
「な、な、な、何…!」
「…事故、みたいなものだろう」
その笑顔を、双眸をもっと良くみたかっただけ。

そして触れたのは、互いの唇だった。それだけだ。

「おおおおお、乙女のふぁーすとちゅうを!事故呼ばわりすんな!」
「…へぇ」
ファーストキス。
多分そうだろう、と思っていたが。
真っ赤になって仁王立ちになって叫んでいる。まだ校庭内とは言え、いつ通行人がこちらを向くと限らないのにその状況に全然気付いていないようだ。
「〜〜〜〜もー!」
真っ赤になって肩を怒らし、僕を追い抜こうとするその瞬間に、腕を掴んで引き寄せ、再び軽く口付けた。
今度は、自分の意思で。
「か、かかかからかうな!」
「別に良いだろう、減るモノでもない」
「ううううう、減るんだもん」
自分の頬を叩いて、
「ファーストキスも、セカンドキスも…ナルとだなんてさいてーだ…」
しかも事故扱いだしー、と、うなり始めた彼女に。
「ThirdもFourthも、僕にしとけば」
「…はい?」
そう告げれば、怒った顔のまま固まった。その反応がまた楽しく、今度は指でその唇に触れながら告げる。
「コレが触れるのは、僕だけにしておけばいい。ずっと」
「ぎゃあ!」
途端に叫んで飛び退った。
「ど、どゆ意味何それーー!?」
「Propose」
「ぷ…ぷろぽーずって…なんの申し込みだっ!」
「日本でも通用すると思うが、そのままの意味だろう」
「わかるかっ!つーかわかりたくないっ!」
「なら」
暴れる彼女の手を取る。
「跪いて、申し込んだ方が良いか?」
「だから、なんのよ…」
「麻衣の、未来の予約。ずっと先まで」
「……」
まるで、あいつみたいになった気分だ。
もっとも、僕が「奴」なら、麻衣は一も二もなく頷いて、「Yes」と答えただろう、今みたいに、俯くことはなかっただろう。
小さな顔を仰向かせると、麻衣は声なく泣いていた。
驚いた。
そして、細い声で。
「あり、がとう…」
了承の意、と受け取って良いのだろうか。胸元に引き寄せ、抱きしめる。
風に吹かれた花片が、麻衣の髪や肩に掛かる。それから守るように、強く抱き寄せ、校門の裏側に寄りかかった。
浚われそうに、思えたのかも知れない。
「…傍にいて良いんだね」
「ああ」
「がんばるから」
「そうだな」
「ずっと…傍にいさせてね」
「当然」
それにくすくすと、軽い笑い声を立てる。
そして、
「ありがとう」
もう一度呟くと、その華奢な躯は力を抜いて、僕の胸元に全てを預けた。
というより。
「寝た、のか…?」
ずっと、疲れもあったのだろう。
抱き上げると、タクシーを拾うべく通りへ出た。





……「校庭でちゅーしりーず」第2弾(?)
一本目は本館にありますが。

この前の日記のナルバージョンです。
うちの博士はこんな感じ。







あと1000文字。