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制服に袖を通すのも最後だから、と敢えてコートを着て来なかったのが悪かったのか、卒業証書を手に校舎を出た私は、ひとつくしゃみをしてしまいました。
とっくに春はやって来たはずなのに、どうも3月の上旬というものは、まだ冬と春の中間をさまよう季節のようです。
せめてマフラーくらい巻いてくれば良かったと後悔をしつつ鼻をかんでいると、先を歩く卒業生の群れの中に、見慣れた黒い後ろ姿を見つけました。
ナカジ君、と声をかけると彼はくるりと振り向き、その拍子にはためいたカラスのようなマントが暖かそうで、私は自分の薄着を恨めしく思いました。
ナカジ君は、呼び止めても自分から近づいて来てはくれません。ただじっと、こちらを向いたまま何の用かと待っているだけです。だから私は、走り寄って会釈しました。

「ナカジ君、卒業おめでとう」
「そりゃお前もだろ。しかしまた随分寒そうな格好だな」
「制服着るの最後だから、コートで隠したくなかったの」
「本当につまらねえ事にこだわる奴」
「案外、そういうつまらない事が大事なんだよ」

ナカジ君は、ふーん、とも、はあ、ともつかない相槌を打ちました。興味がないような、それとも感心したかのような、今の季節に似た相槌を。

「そういえばお前、こんなとこで油売ってていいのか?クラスの集まりとかあるだろ」

ナカジ君は『クラスの集まり』という言葉を、どうも言いにくそうに発音しました。
私がある言葉を発音しづらいのと同じで、性に合わないのかもしれません。

「明日みんなで遊園地に行くの。だから、今日は特に何も。ナカジ君のクラスは?」
「どこか行くらしいが俺はやめた。その代わり夕方から、タローとかその辺の奴らに無理矢理誘われて、飯」

無理矢理だと言いながらも断らないあたり満更でもないのね、と言いかけましたが、止めておきました。よりによって高校生活最後の日にナカジ君の機嫌を損ねることもないでしょう。
私は何か代わりを繋げようと言葉を探し、ナカジ君が県外の大学に通うことを話題に出そうとして、また止めました。

「卒業したくないなあ」

呑み込んだふたつの言葉の代わりに、結局私はそんなことを呟きました。ありふれた、それでいて現実を無視したセリフを。

「留年したいのか」
「それは、遠慮したいけど」

言いながら私は笑いましたが、ナカジ君は少しも口角を上げず、至って真面目な様子でした。冗談ではなかったのかもしれません。そういえば、彼が冗談を言うところを見たことがありませんでした。
どこからか梅の香りがします。やっぱり春なんだなあと思いながら、私は再び話を始めました。

「卒業して『高校生』って肩書きが外れたら、色々なことが変わるよね」

例えばアルバイトの時給が上がるとか、独り暮らしをするとか、社会に出ることを考え始めるとか、世間から半人前の大人として扱われるとか、そういう小さなようで大きなこと。

「まあな」
「それがね、嫌なの」
「我が儘じゃないか」
「そうかも」

ナカジ君の、すっぱりとした物言いがなんだか心地良く感じられました。よく切れる包丁を見ているような気分です。私は、テレビの通販番組で見たかまぼこの板まで真っ二つにする包丁を思い浮かべました。
鈍い色の刃先が、私の甘えた言葉も、きれいに断ってくれるのです。

「大人になりたくないって訳じゃないんだけどね」

私の言葉を最後にその後は何も言わず、二人で並んで歩きました。もう、こうしてこの道を辿ることもないのでしょう。そう思うと、住宅街の無機質なコンクリートの道にも、感慨深いものがありました。あの家の派手な黄色い壁の色味も、猫が決まった塀の上で眠りこけている時間帯も、じきに忘れてしまうのです。
別れてしまった友達よりも、本当に寂しいのは、こういう日常的だった行為やものを失うことなのかもしれません。

「ナカジ君、手紙書くね」
「……ん。向こうに着いたら住所送る」
「ありがとう」

本当に、こうして並んで歩くこともなくなるのが、そして、彼の隣で心が静かに発熱することもなくなってしまうのが、寂しくてどうしようもないのです。




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