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 「そんな君だから、」 〜焦がれるもの side:B〜



 がこんと音を立てて自販機が吐き出したスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、その場で口を開けて一気に半分ほど煽る。
 体育館へ通じる渡り廊下のすぐ近くにあるこの自販機は部活での喉の渇きを癒すのに用意していたドリンクでは足りないという生徒がよく利用するためか、ふと自分の押したボタンの売り切れランプが点灯していることに気づいた。
「先輩、お先失礼します! お疲れ様でした!」
「……ああ、お疲れ。気をつけて」
 先に部室で着替え終わった後輩がぞろぞろと体育館から校舎へ入ってくる。部室には一年の靴が置けるほどの下駄箱のスペースがないためだ。体育会系の部活ではよくありがちな先輩への挨拶をして帰っていく後輩を笑顔で見送りながら、また少しドリンクを口に含んでキャップを閉めた。
 開けっ放しの扉から吹いてくる生暖かい風にじわりと滲み出した汗を肩にかけたタオルで拭いながら、ペットボトルを片手に部室へ向かう。渡り廊下から見えるものは、既に日の暮れた空の色を薄くまとっているかのように、すべてが暗くくすんでいる。
 そんな中、体育館の真横にある部室棟の一室に明かりが点いていることを確認して、少し歩調を速めた。
 夏休みが終わってからは実質部活での先輩は俺たち二年生ということになる。そして一年はほとんどの先輩が帰った後でやっと帰れるため、今部室に俺と同じ学年の人間はほぼいないはずだった。
 さっき自販機の前で会った後輩の数はざっと十数人。今年入部した数も大体そんな感じだ。つまり、明かりの点いた部室にいるのは二年の誰かということになるが、俺はその誰かについて、大体見当がついていた。
 今頃、ロッカーにしまってあるぼろぼろのノートを見ているのだろう。
 それが「あいつ」の習慣だからだ。
 部室の前に来ると、ちょうどマネージャーが中にいる誰かに挨拶をして出てくるところだった。
 ドアを閉めてすぐに俺の存在に気づいたマネージャーは、一瞬驚いてすぐ「お疲れ様でした!」と早口に言って、足早に脇をすり抜けていった。
 今年入った唯一の女子マネージャーについて、後輩だけでなく二年にまで広がりつつある噂はあながち間違っていないのかもしれないが、俺にとっては迷惑なだけだった。ただでさえ面倒な部活に加え、範疇外の年下から好意を抱かれているという噂が流れているなんて。冗談じゃない。
 俺がここにいる理由は、たったひとつしかない。
 部室に入ると、予想通りそいつ――篠原は自分のロッカーの前で長いすに腰掛けながら、少なくとも二回は水溜りに落としたような汚れの目立つノートをじっと見つめていた。
 何も知らない人間が見れば「薄汚れたノート」だが、篠原にとってそのノートは何物にも代えられない大切なものらしい。ノートの存在を知る部員全員は、何となくそういうことを理解していた。
 俺も含め、そのノートを眺めているところを見ることは滅多にない。だが、最近になってそのノートをどんな時に見ているのかがわかってきた。
 そして今日もそんな光景に出くわした俺は、苦笑いしそうになるのを我慢して「まだいたんだ」と挨拶程度の言葉を口にした。
 しかし向こうは俺なんかとは話したくないようで、ちらりと俺を横目で見やり「まあな」とそっけなく返しただけだった。
 いつも俺に対してはそんな感じだが、今日は声の調子から、敵愾心からくる苛立ちがいつもより激しいことがわかった。そんなことは考えなくてもわかることではあったが。
 それを気にする素振りも見せず、背を向けて着替えながら無駄な会話を続けた。
「今日の練習で後藤の上げたボール、結構打ちやすくなかったか? 一年のわりに、あいついい筋してるよな」
「……そうだな」
「でもまぁ、まだ悠木には追いつけないだろうな。ボールのコントロールはまだいまいちで、コンスタントにいいところに上げられてない」
「……だろうな」
「入って半年経ったな。……でも、俺たちのようにはいかないか」
「…………」
 汗まみれのTシャツをたたんで持ってきたビニール袋に入れながら、応答すらしなくなったその様子をちらりと盗み見た。
 篠原は唇を噛んで、手の中で広げたままのノートを手の甲が白くなるまで握りこんでいた。
 ガキっぽいと思った。……だから虐めたくなるのに。
「……そんなに悔しい? 今回俺にスタメン取られたのがさ」
「…………っ」
 今日は次の公式戦でのレギュラー発表があった。俺はスターティングメンバーに入り、篠原は同じポジションだがベンチ入りでの選抜となった。
 あえて一番気にしていそうなことを口にすると、案の定地雷をわざと踏んだ俺に対して、篠原は勢いよく立ち上がって振り返ると、憎悪さえ抱いているかのような憤怒の形相を見せた。
「わかってんなら、わざとらしく話しかけんなよ!」
「実力が伯仲してんなら、その時のコンディションとか、運とかで簡単に入れ替わるんじゃないのか。今回はたまたま俺だったってことだろ」
 実際前回、前々回ともスタメンは篠原だった。ベンチに甘えていた俺は篠原ほどバレーに執着がなかったため気にしてはいなかったが、篠原にとってはそんな周囲の評価が大事なのだろう。
 いや……周囲の評価ではなく、俺に対して常に優勢であるかどうかという問題かもしれない。
 篠原が考えていることは手に取るようにわかる。
 どうしてお前なんかが俺の上にいる?
 俺ほど努力している人間が、どうしてお前なんかに負けるんだ?
 って。
 痛いくらいに向けられる鋭い視線は、口以上に篠原の心を語っていた。
 俺だって不思議に思ってるよ。
 お前ほど、誰かに対して闘争心を燃やしたこともないし、スタメンどころかバレーにさえそれほど執着はない。自主練なんて真っ平ごめんで、時間さえあれば惰眠を貪るか、まだクリアしていないRPGの続きをやりたいと思ってる。
「そんな言葉で片付けられる俺の気持ちなんて、お前は知らないんだろうな!」
「あぁ知らないね。俺はお前じゃないから」
 篠原はさらに語気を強めて、憤りを隠しもせず二人きりの部室に響く声を上げた。
 それに対して俺はあくまで冷たく言ってやる。もっと怒ればいいと思いながら。
 少しずつ剥がれていく、プライドという名の鎧。恥も外聞もなく怒り、怒鳴って、それでもどうしようもない現実に、最後には涙を流せばいい。
 俺の知らないお前をもっと見せてみろ。
 俺はイスを挟んだところに立つ篠原のところへため息混じりに移動すると、ロッカーに軽く篠原を押し付けるような体勢になって言った。
「じゃあ逆に訊くけど、篠原は俺の気持ちわかってんの? 選ばれたことを、お前がそうやって気にするから、素直に喜ぶこともできない。身勝手な言い分にわざわざフォロー入れてやる身にもなってみろよ。そういうこと、考えたこともないんだろ。自分のことしか考えてないんだからな。どうやったらもっと上手くなれるのか、他の奴よりも強くなれるのか。わき目も振らず、他のチームメイトとも、部活中以外じゃお粗末な付き合いしかしていない篠原はベンチ入りしてるだけマシで、箸にも棒にも引っかからなかったらはっきり言って部のお荷物だぜ?」
「……他の人間よりも上手くなりたいと思うことの何が悪い。それに俺は実際部の即戦力だ。誰にも文句は言わせない……!」
「何も悪くないよ。人の何倍も努力している篠原に部活関係で文句なんて畏れ多いね。その山より高いプライドのせいで俺は今この瞬間、無駄に時間と精神を浪費させられてるってだけで」
 さも呆れた風にため息をつくと、篠原はばつが悪いのか、再び唇を噛んで俯き、黙り込んだ。



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