高校3年生、夏

夏休みが来なければいいなんて思ったのは初めてだ。流れる汗を拭いながら、俺はひとりの男を睨みつけた。空調のない国語資材室、こんな場所を根城にしている変わった教師は俺と同じように汗を流しながら、へらりと笑う。
「受験生だもんなぁ」
馬鹿だ。俺は心の中で彼に一番相応しいであろう言葉で罵る。
「予備校とか?」
「ああ」
「うわ、カワイソ」
「……アンタだって勉強したくせに」
吐き捨てた言葉に彼の眼がにやりと笑う。この男は馬鹿だけど、ただの馬鹿が教師になれるはずもない。彼が当たり前のように経験してきたことを、俺が経験しないなどあり得ない。
カーブを描いた唇が俺の名前を呼ぶ。流れる汗が彼の身体に落ちて、混ざる。
「クソ、暑ィ…」
「まったくだ」
それでも俺たちは、この時期の不快な他人の体温を敢えて享受する馬鹿げた行為に興じる。
夏なんて来なければいい。夏だけじゃない、秋も冬も来なければいい。今、この一瞬だけがあればいい、なんて柄にもなく思ってしまうのは連日の猛暑で頭がどうにかなってしまったからに違いない。
「勉強しろよ、受験生」
言われなくともするに決まっている。夏の熱で沸騰した脳みそに、数式と古文と化学記号と年号と、その他いっぱい詰め込んでやる。アンタが入る隙間がなくなってしまうぐらいに。
「……ホントに夏休みが来なけりゃいいのにな」
俺の考えを読んでいたのか、目の前の教師は今を刻みつけるかのように熱く、俺の身体に己を残した。たった1ヶ月程度じゃ忘れられないように、離れられないように。
馬鹿だ。心の中で再度、彼に相応しいであろう言葉を口にした。



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