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それは、俺の嫌いな夕焼けよりも紅かった。










「北で戦争だとよ」
「またか」
「連れて行かれるのはいつだって若い男だ」
「これじゃあいつか村は滅んでしまう」

とある酒場での会話は、使いに来た俺の耳にもはっきり届いた。
人の目を忍ぶような事をしない愚痴は、村民全員が同じことを思っているのだから聞かれても構わないという意味で、何処に役人が紛れているか等考えもしないからでもある。
何年も、それこそ俺が生まれる前からこの国は戦争が絶えない。
かつてこの国は他国との貿易を受け付けない閉鎖的な土地だった。
それ程発展するわけでもなく、しかしその警戒心からそこそこの武力をコツコツと育んできたこの国は、国民さえもその中身を知らない未踏の地が幾つも存在する。
それは、神と名付けられた居るのかどうかも疑わしい者の聖域だとかで、深い森は切り拓くこと無く、険しい山は削られること無くそのままにされている所為。
村々を囲む山の向こうに、別の村があるなんて田舎の連中は知らないような、国の中でさえ閉鎖的なこの地は、他国から見れば貴重な資源が出てくるかも知れない謂わば宝箱なのだ。
開けてみれば宝が出るかもしれない、もしかしたら空振りかもしれない。それでも、年々増え続ける世界人口を豊かな資源で支えたいという気持ちは、ありとあらゆる土地をひっくり返しても尚治まらないのだ。
故に、他国の人間は開拓もしない、資源があるかどうか調べもしない土地が国の三分の二をも占めるこの国が欲しいのだろう。
しかし、これまで何年も閉鎖的な暮らしをしてきた人間に、資源を採らせろなんて土台無理な話なのだ。
せめて話だけでも聞いてくれと熱心に通い続けた異国の使者達の熱意に、話を聞くだけならと応じたのでさえ、彼らが通い始めて八年もの時間を要した国だ。
内容を聞いて、やはり異国の者は信用出来ないと、神の聖域を何だと思っているのだと、激怒した国王は使者達を追い出しより強固な壁を築いてしまった。


のが、俺が生まれる二十年程前。


下らない時代に、下らない国に生まれたものだ。
親に頼まれていた酒を受け取り、まだ昼間だというのに酒を煽っている酔っ払いどもを横目に酒場を後にした。





俺の家は、村の中心から離れた場所に在る。
大きな森の入口。
そこから先には、民の生活を支える果物や資材になる木々が並び、湧水から流れる小川もある。
それより先には祠があり、そこには神が宿ると言われていて、そこから先は神域であり聖域だ。人が気安く入ることは許されない。
まぁ、あんな手入れのされていない鬱蒼とした森になんて入りたいとも思わないが。
うちは代々神守の役目を負っていて、祠を湧水で浄めたり森に入る連中に注意を促したり、祠より先には入らないよう見張ったりする何気に面倒くさい家系だ。
もう足腰の弱くなってきた両親は、それでも神は人々を守ってくれる。我々は神の聖域を守るのが使命だ、なんて言って今日も森の入口の手入れをしていた。
親孝行なんて気の利いた事を何一つしてこなかった俺は、齢十五にして漸く買い物の手伝いなんかをするようになった。
いずれ、神守を継ぐのは俺なのだから、少しずつでも仕事を覚えなければならない。

「ただいま」

がさがさと紙袋の擦れる音と、中の瓶のぶつかるかちゃかちゃという音。
ぎぃ、と立て付けの悪い木製の扉は、肩で押すようにしないと開けられない。
酒を紙袋ごとテーブルの上に置き、ぐるりと見渡すと、視界の端に母親の着物が見えた。
まったく、脱ぎ散らかすなよ。
昔は衣類をそのままにすると滅茶苦茶怒ったくせに、年を取るとだらしなくなるんだろうか。
思いながら、床に落ちていた着物を掴む。

「…ん?」

ずっしりと。
やけに着物が重かった。
不審に思い中身の無いその着物をよく見ると、べったりと赤い物が付いていた。

「え…」

なにこれ。
もしかして、血?
ざわり、と。
背中が粟立つ感覚が空気を支配した。
どうして、なんで、一体何が?





着物は、混乱する俺の手にずっしりとした重みを与えるだけだった。





*****


あれ、名前すら出てこなかった。


20110710*霧月魅蔭







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