拍手ありがとうございます。
『餅房山の主決め』
白蛇×もふもふヤマネ
とある満月の晩。
お茶碗をひっくり返したような丸っこい餅房山の頂きに、数多の獣たちが犇めき合っていた。
狐に狸、鼬に栗鼠。
蛇や蛙まで、餅房山に暮らす大よその獣が集うその中心。
尖った岩の先に、一匹の老いた狸が立っている。
頭の先から、もっさりとした尾の先まで見事に真っ白い狸は、垂れた瞼の下で目をしょぼつかせながら髭に埋もれた口をもごもごとしている。
身体を支える為に手にした杖がふるふると小刻みに震え、今にもおっ死んでしまいそうなよぼよぼっぷりだ。
齢二百五十二歳。
既に獣の域を脱して久しい、餅房山の主(ぬし)である。
しかしながら、見るからにヨボヨボとした主の様子に、集まった獣達も、お山の主を敬っているというよりは、いつ倒れるかとドキドキしながら見守っているといった感じだ。
「ひょひょ……今宵は、よう集まってくれた」
月に掛かっていた雲が晴れ、いよいよ眩しい程の月光が満ちる頃。
遂に主が口を開いた。
「今宵、めぼしい面々に集まってもろうたのは、他でもない『主決め』の為じゃ」
お山の主は、百年の任期制。
普通の獣なら、百年なんて生きられるかいっ! というところだが、そもそも百年やそこら生きられない獣なぞ、主にはなれやしない。
常に己を強く持ち、身の内に宿る不可思議な力を練り続けることこそ主に必要な資質であり、それを成した獣であれば、自然百年や二百年ひょんっと生きてしまう。
今宵、集められた獣は、いずれもその身に強大な妖力を宿し、いつ誰が主となろうとも不足なく勤め上げられる者達ばかりである。
獣達を見渡せば、自分こそがと気負う者あり。
全く興味の欠片もなさそうに、あくびをする者あり。
実に個性的だ。
そんな面々を見渡しながら、主はにやりと悪そうな笑みを浮かべる。
おもむろに皺だらけの手を着物の袷に突っ込むと、何やらごそごそ。
……ごそごそ。
……ごそごそごそ。
……ごそごそごそごそ。
主決めと聞いて騒ぎ始めていた獣達も、次第に訝しげに眉を寄せ始める。
「ヨボ爺、どした?」
活きの良い、狼の若者が声を上げる。
一方、相変わらず余裕の笑いを上げる主……通称ヨボ爺。
次第に袷を漁る手の動きが鈍くなっていく。
しっかりと着込まれていた着物が乱れ、ぐしゃぐしゃになった頃。
「ほっほっ」
ヨボ爺の顔に安堵が浮かぶ。
袷から何かを取り出したらしき皺だらけの手は、獣達が見守る中、ピーンと空高く掲げられる。
そして……。
「ぽーいっ!」
ヨボ爺の間抜けな掛け声と共に、何か極小さな物が放物線を描く。
思わず見入ってしまう面々。
誰一人言葉を発することなく、ヨボ爺が放り投げた何かの行方を目で追った。
いくらヨボヨボに見える古狸とは言え、百年の任期を無事に勤め上げた主である。
何気なくぽいっと放ったように見えて、その飛距離はとんでもない。
集まった獣達全ての頭上を軽く通り越し、森の彼方へと消えて行った。
果たして、ヨボ爺が放り投げた物とは……。
「次の主はの……わしの印をくっつけた獣を、伴侶とする者じゃ!」
言い切ったヨボ爺は、至極満足気だ。
ぐしゃぐしゃになった着物の袷を、更にこちゃこちゃと弄っている。
「ヨボ爺! 印って何だ!?」
所々から上がる戸惑いの声。
ヨボ爺の動きからして、たった今放り投げられた何かが印に関わる物であることは間違いない。
果たして、その印とはどのような物か。
パッと見ただけで分かる物なのか。
それとも、妖力を駆使せねば見えない物なのか。
「秘密、秘密。秘密じゃよ」
企みが成功して、余程機嫌が良いのだろう。
ヨボ爺は年甲斐もなく喜んでいる。
「ちぇっ! 仕方ねえ、俺は行くぜ!」
「俺もだ」
「我も!」
これ以上、ヨボ爺からヒントを引き出せそうにないと悟った者達は、次々にその場を後にし始める。
ヨボ爺の印がどのような物か分からない以上、少しでも早く行動するのみ。
ぐずぐずしていては、他の候補者達に先を越されてしまう。
相変わらず笑っているヨボ爺は、その様子を岩の上から眺めていた。
「おんや? ハク、お主は行かんのか?」
集まっていた獣の大半が姿を晦ました後。
広間には一匹の大蛇が横たわっていた。
月光を浴びて、眩しい程に輝く見事な白銀の身体。
一抱えもある大木に凭れかかり、眠そうに少し頭を傾げている。
瞼がないせいでそうと気付かれることは少ないが、実際にはほぼ夢の中だ。
周りの獣達がいなくなり、ヨボ爺に声を掛けられて漸く現実に立ちかえる。
「…………」
暫く、チロチロと舌を出したり仕舞ったりして状況を確認した後、さも興味なさそうな顔をする。
「まったく、お主という奴は……。今宵集められた獣の中でも、一、二を争う程に強い妖力を持っておると言うに……」
やれやれとため息を吐くヨボ爺は、一気に老け込んだように見える。
「どうせ、わしの話なぞ聞いておらぬのじゃろう」
よいか、主決めじゃぞ……と話し始めるヨボ爺を余所に、くあっとあくびを一つ。
見た目はお山の主と崇められるに十分な容姿を持っており、妖力も申し分ない。
それなのに、全く主の座に興味がなく、ヨボ爺が呆れる程にマイペースだ。
同種の蛇達からも既に期待されていないハクは、ずりずりと巨体を引きずり、森へと戻り始める。
一族内から主が出るのは、相当に名誉なこと。
ハクだって、もう五十年程前まではしっかりと期待を背負わされていた。
それが今やこの体たらく。
大切な主決めの話すら聞いていない。
「良いか! 印じゃぞ! わしの印を探すんじゃぞ!」
ヨボ爺にとって、一族からすっかり放任されているハクは、ちょっぴり気にかかる存在。
出来の悪い孫ほど可愛いと言うか、心配が尽きないと言うか……恐らく、そんな気持ち。
「……はぁ……」
ヨボ爺の大きなため息は、ハクが這うズルズルという音に混じり、空しく響き渡った。
*
すぴー……すぴー……
深い深い夜の森。
大木に空いた洞の中から、気持ち良さそうな寝息が響いている。
「兄ちゃん、起きないね」
「油断しすぎ」
「…………」
愛らしい寝息に混じる、幼い子供の声。
「なあ、兄ちゃんで遊ぼうぜ」
「おお! やろうやろう」
「…………お腹、ひっぱる」
洞の中には、ちまっこい四匹のヤマネ。
一匹はでーんと大の字で眠りこけている。
そして眠っているヤマネよりも、小さな三匹のヤマネ。
三匹は夜行性の癖に、夜になっても起きない兄に悪戯をすることにしたようだ。
「おい、アズキ。お前左側な」
「がってん! じゃあ、カラシは尻尾持てよ」
「……………」
すっかり油断しきって眠る長男・コゲ。
悪戯大好き次男・ビワ。
面白ければ何でも良いじゃん、三男・アズキ。
何を考えている、四男・カラシ。
近隣では、有名なヤマネ四兄弟である。
両親が亡くなって以来、元気いっぱいの長男が弟達の世話を焼いているのだが、これがどうも危なっかしい。
悪戯盛りの弟達は、三匹集まるとすぐに悪巧み。
一方、鈍い所のある長男は、弟達の仕掛けた落とし穴に嵌ったり、身軽なヤマネのはずが、木の蔓に足を取られて宙づりになっていたりする。
近くを通る獣達は、四兄弟を見れば果実を分けてやったり、それとなく手助けをすることを暗黙の了解としている。
「みんな、位置についたな」
転がっているコゲの周りを囲むように位置取った弟達。
ビワの確認に、アズキもカラシも重々しく頷いて返す。
「よし、準備!」
掛け声と共に、ぴょぴょっと短い手が伸びる。
六本の小さな手は、無防備に晒されたコゲのお腹の皮をしっかりと掴んでいる。
――いっせーのーでっ!
「えいっ!」
「やっ!」
「……むっ!」
示し合わせて、一斉に皮を引っ張った。
「……ぐごっ!」
右側をビワに、左側をアズキに、そして尻尾をカラシに引っ張られたコゲは、寝息の合間に変な呻き声を上げる。
「うわっ! 兄ちゃん、相変わらずだなあ」
「『ぐごっ!』だって!」
「……伸び過ぎ……」
えいえいとはしゃぎながらコゲのお腹の皮を引っ張る弟達は、こんなことをされても一向に目を覚まさないコゲに大喜びである。
自分達の兄ながら、何と鈍いのか。
ここが安全な木の洞でなかったならば、すぐにでも狂暴な肉食獣に食べられてしまうだろう。
それこそもう、簡単にぺろりだ。
「なあ、兄ちゃん広げれば絨毯になるんじゃね?」
「兄ちゃんって、案外伸びるよな」
「……ふかふか」
子供達は無邪気に恐ろしい話をしている。
仲良く三匹でコゲの皮を伸ばし合い、次はどんな悪戯をしようかと相談し始めた時。
薄暗い洞の中に、ぱぁっと明るい何かが飛び込んできた。
突然のことにぽかんと口を開けたままの三兄弟は、最初、蛍が飛び込んできたのだと思った。
大きさは丁度そのくらいであったし、自ら淡く発光する物なんて、蛍くらいしか思いつかなかったのだ。
勢いよく飛び込んできた発光体は、かちんと固まっている兄弟を飛び越え、真ん中で眠り込んでいるコゲに向かって一直線。
無防備に晒されていたコゲのおでこに、ぽこーんと間抜けな音を立ててぶつかった。
「……うっ……」
流石に、夢の中のコゲも痛かったのだろう。
低く唸って眉を顰める。
衝撃の元を追い払おうとしているのか、同時に後ろ足がぴくぴくと空を掻くのが何とも間抜けだ。
「……何か当たった」
「兄ちゃんのデコに、ぽこーんって」
「…………」
ビワは掴んでいたコゲの皮を放し、恐る恐る発光体が落ちた辺りを確認する。
すると、そこには小さな白い物が落ちていた。
もう、光は放っていない。
「何だこれ」
そうっと小さな手を伸ばし、ちょいちょいとつついてみる。
……特に変化なし。
恐る恐る二本の指でつまみあげてみる。
……何か見たことあるかも……。
小さな白い物を持ち上げたビワは、相変わらずコゲの皮を掴んだまま固まっている弟達にそれを見せる。
「何これ?」
「……ヨボ爺」
ビワと同じく、首を傾げるアズキ。
少し遅れて、カラシが小さく呟いた。
「ヨボ爺がどうした?」
口数の少ないカラシに、ビワが言葉を促してやる。
一番下の弟は、大きな瞳をくりくりと動かしながら暫く考え、やがて決定的な単語を呟いた。
「これ……ヨボ爺、最後の一本」
「……!」
「……!!」
ヨボ爺、最後の一本。
それは、森の子供達なら誰でも知っている。
餅房山の主、ヨボ爺はもう良いお年である。
見るからにヨボヨボとしていて、全身が真っ白になっている。
そんなヨボ爺には、たった一本だけ歯が残っていた。
一本残っているからと言って何が出来るわけでもなく、ただ大口を開けて笑う時にチラチラと見えて一層間抜けだというだけの代物だ。
子供達は、これを『ヨボ爺、最後の一本』と呼び、密かに笑いものにしていた。
その、最後の一本が遂に抜けたのだろう。
いよいよ、ヤバいんじゃね? とヨボ爺が心配になる三兄弟であったが、問題はそこではない。
どうして、抜けたヨボ爺の歯が飛んでくるのか。
どこから投げられたかは知らないが、小さなヤマネサイズの洞の入り口を上手く通り、くかくかと眠っているコゲのおでこにクリーンヒット。
はっきり言って、異常事態である。
「……兄ちゃん起きないし、いいんじゃね?」
「……ほんっと、起きないよな」
「……寝過ぎ」
子供達はわいわいと盛り上がり、手に入れたヨボ爺最後の一本でキャッチボールを始めている。
時折弟達に踏みつけられながらも眠り続けるコゲは、幸せな夢の中。
たった今、おでこにぶつかったヨボ爺の歯が、どんな意味を持っているのかなんて知る由もない。
平和な木の洞を余所に、森の中には妖力の強い獣達が溢れかえっていた。
悪戯好きな弟達に弄られる間抜けな兄ちゃんコゲ!
無口で自分以外に興味なし!でも、最近あの子が気になる白蛇ハク。 |
|