「あ、財前くん。遅刻ですよ」


図書委員の当番の相棒から告げられたそれは、柔らかな響きながらも明らかに叱責であった。

財前は「怒ってはいないだろうな」と思いつつも、彼女に迷惑をかけたのだと思うと少々気不味かった。



「すまん」



「謙也先輩につかまっていたせいで」と、たとえそれが事実だろうと、言い訳をするのは好ましくない。

そう思い、小さな声でボソリと呟いた謝罪は、静かな室内に染み入るように思えた。

相棒はそれを聞き、柔く微笑んで謝罪を受け入れたことを示すと、



「せっかく白石先輩がいらしてはったのに」


つまらなそうに言った。


「部長が?」

「ええ。意外な物を借りていきはって」


スイ、と机上を滑るように差し出された彼女の掌の下には、貸出カードが一枚挟まっていた。

手に取ってみると、白石蔵ノ介と細長い字で記名されている。

反射的に履歴に目をやると、毒草だとか野草だとかのタイトルがだらだら続く中、最近貸し出されたタイトルは、




「―――山田詠美?」

「『ぼくは勉強ができない』――意外やろ?」


確かに意外だった。

履歴によると、白石は小説もいくつか借りているようだったが、伊坂幸太郎や村上春樹といった、男性作家のものばかりだ。

山田詠美は、白石の好みの中では少々毛色が違って見える。



「まぁでも、ええな。『ぼくは勉強はできない』は男の人は読んだ方がええよ」


さすがやな、と感心したように呟く彼女に、そういう物なのか、とぼんやり思う。

別に恋愛小説は嫌いじゃない。機会があれば読んでみるか、と考えながらも、そういえばアメリの主演女優の新しい映画の原作本があるんだったな、と思い出す。


「財前くんは読んだことある?」

「・・・・山田詠美、か?」

「うん―――っていうか、『ぼくは勉強ができない』」

「いや」


未読なので首を振ると、彼女は「やっぱ男の人はあんま読まへんか」と苦笑した。



「私はな、『ぼくは勉強ができない』は、自分のポリシーを貫くことを美学とする少年の話だと思うてるんよ」


ニコニコと笑いながら言う。そして、ふと思い出したように、



「この主人公、年上の素敵な彼女が居るんやけど―――って、何や財前くんも年上の彼女が居るし、似とるなぁ」

「・・・・・あ?」


引っかかりを覚えて睨むように相棒を見上げる。しかし彼女はこちらを見ておらず、「えぇなぁ」と呟いていた。

―――財前くんも年上の彼女が居るし。

彼女?何のことだ、と首を傾げる。産まれてこのかた、自分に彼女が居たことなど一度もないのだが。



「おい」


少し声を低めて言うと、彼女の視線が財前の元へスライドした。

その視線をガチリと受け止めると、相手は気不味そうに視線をずらす。正直感じが悪い。

ふぅ、と文句の代わりに溜め息を吐く。少しは気が晴れるかと思ったのだが、結果は場の居たたまれなさが増しただけであった。



「―――年上の彼女、て何や」

え、と言うように、声を出さずに彼女は唇を開いた。

目をパチパチと瞬く。


「俺、彼女が居ったことなんてないんやけど」


噛み締めるように言うと、彼女は目を丸くして「え」と、今度は声に出して言った。


「だって、あれ、え?あの・・・・テニス部でマネージャーしてはる先輩。財前くんの彼女さんなんやろ?」

「違うわ。そんなんどこで聞いたんや」

淡々と、抑揚のない声で喋るマネージャーを思い浮かべる。

もっとも、自分もそうなのであまり人のことを「やる気がなさそうに見える」とか言ってはいけないのだが。


「え、でも・・・・皆言って・・・・」

「本人が否定しとるやろ。――もうえぇわ、この話は止めや」

軽く苛ついて「え」を連発しまくっている相棒に向かって、おざなりに手を振る。

何でそんな噂が流れているのか本人にとっては謎である。


「ほんまに、あの先輩と付き合ってないん?」

「しつこい」


止めや、言うたやろ――そう言おうと唇を開きかけた矢先、「そっかぁ」と小さく声がした。

思わず口を噤むと、



「――良かった」

ポツリと彼女が呟く。

「何が?」と聞き返してやりたい衝動に駆られたものの、そんな無粋な真似は出来ないな、と思い直す。

そもそも、彼女は自分が「良かった」と口に出して言ったことに気付いてない様子だ。どうやら無意識であったらしい。



――まぁ、いいか。

財前はそう思い、ゆるりと首を軽く振った。


このままの状態が続くのも別に悪くはない。









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