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手にした理由、遠いモノ
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男は少年に尋ねた。
「剣を、習ってみないか?」
そのすばしっこさ、動体視力、記憶力、判断力、勘の良さを買ってのことだった。
「剣?」
少年は嫌がった。突き出されたのは真剣で、人を傷つけることのできるものだ。
「そのうち、切りたいやつが出てくるかもしれないぞ」
男は笑う。その笑みに、少年が抱くのは、困惑。
何度も頭を振る。
「いや……。いやだよ。人なんて切りたくない」
「誰かを守るためでもか?」
「人を切るなんて、ダメだ」
戦争のないこの世界で、人殺しなどありえない。なのに各国は軍を保っている。それが少年は不思議で仕方ない。
「人を切るのは、悪いことだ。とてもとても悪いこと」
「未来永劫?良い奴?でいることなんて、できないぞ」
少年には、男の言葉の意味が理解できなかった。なんでそんな意地悪をいうのだろうと、泣きそうになる。
「何を恐れてる」
その一言に、少年は首を傾げるしかなかった。
少年はまだほんの子どもで、人と接することなんて数えることしかなくて。
男と、兄と、王女様。それから、診療所のドクター、お城の兵士。少年が話をするのは、それだけだ。
兵士が月に数回少年の家にやってきて、王女様と話す。帰りに診療所によって、ドクターの手伝い。そこへ、仕事をサボって男が来る。家に帰れば、王立学校から兄が帰ってきていて、その話を聴く。
少年の世界は、それが全て。
一年前以前の記憶が無い少年にとって、それが世界。
剣を拒絶するのは、それがそうと知っているから。剣は、恐ろしいものなのだと、知識として知っているから。ただそれだけで、少年は拒絶する。
そこに理由など、無いはずだ。
「何も、恐れてなんか……」
恐れるものを持つほど、少年は世界を知らない。
「……」
男は目を細めて、少年の胸倉を掴みあげた。兄が王立学校に通っている、少年の家。二人きり、見咎めるものはいない。
少年の首もとの何かを男が掴んだ瞬間、少年の背筋に寒気が立つ。
握られている、少年の首にかかっていた鎖。
その先にあるのは―――。
「やめてっ!」
叫び、男の手をその小さな手が掴んだ。
男の手の中にある小さなモチーフ。それを奪い返そうと、無我夢中でもがいた。
「やめて、それを取らないで。それは、僕と―――」
「誰の思い出だ?」
言葉が止まり、少年は呆然と男を見上げた。
あっさりと鎖は少年の首から引きちぎられ、目の前で吊るされる。
月と星をかたどった、小さなモチーフ。その片隅に彫られている、少年の名前。
「これは、誰との思い出だ?」
重ねて男は問いかけた。少年の思考が猛スピードで回転する。
誰のだろう。いつのだろう。自分はこれをいつから持っていた? それは、王様と会う前、ここに来る前。黒い女の人と会う前―――。
弾かれたように、顔を上げる。
「両親との、思い出?」
自分を捨てた、両親が。くれたのか、買い与えたのか、それはわからない。
ただ、大好きだった誰かを忘れている気がした。海に沈む夕日の似合う、大好きだった誰か。
「……」
男は息を吐いて、少年の頭に手を乗せた。励ますように、ぐしゃぐしゃと撫ぜる。
「悪かった。なんでもない、忘れろ」
きょとんと少年は男を見上げた。
手の平を返したような態度の変化。じっと男を見つめて、突然心の奥底に秘めていた恐れを思い出した。
誰を忘れているのか、それが突如胸に迫ったのだ。断片的に思い出される記憶に、めまいがする。
伸ばされる手。
こぼれる涙。
そして、笑顔。
「奪われた?」
少年がふと口にした言葉に、男の手が止まった。
「敵わない……」
聡明な少年が、何を考えているのか男にはわからない。ただ、同年代の子ども達と同じだとは考えてはいけないのだと、日頃から自分に言い聞かせてはいた。
突然男を見上げ、少年は呟いた。
「やっぱり、習います」
「……剣をか」
「人を切るためではありません。取り戻すため、守り抜くために」
男から見て、少年は人が変わったような表情だった。何かが降りたような、今まで見たことの無い大人びた顔。
男は目を閉じた。
深くため息をついて、早すぎるんだよ。と小さく言った。
「ごめんな」
男は呟いて、少年の額に手をかざした。
突然少年は意識を失い、男の腕に抱かれる。
眠りに落ちた少年をしっかりと抱きしめて、男は少年の部屋へと向かう。鎖を少年の首に返してやり、寝台へと寝かせた。
「……」
男は無言でその場を去った。
「……?」
静かな家に、少年は眉を寄せる。
いつもなら弟が慣れないなりに男と夕食の準備をしているはずなのに、その姿が見当たらない。
弟の部屋に向かうと、そこに姿があり、少年はホッとする。
「具合でも悪いのか?」
問うと、弟は緩慢な動作で首をかしげた。
「夕飯どうしようか、久しぶりにドクターのところに行って見るか?」
少年の問いに、弟は笑顔でうなずいた。
兄が何度問いかけても、弟はその日の話をしなかった。
ぱったりと抜け落ちてしまったのだと、弟は自分でも不思議そうに、話していたのだった。
ただ、
「剣を、習うことにしたんだ」
それだけを、覚えていた。
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