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以下 御礼ノベル(現代:作品は一つです)

 



 




『清々しい空を仰いで五月』

ー カランカラン……

 扉を開けたまま、僕は思わず立ち尽くした。これも、黄金週間の影響ってやつだろうか。
 静かなJAZZの流れる店内は、どこもかしこも学生だらけだ。
 どうやらカフェ [quatre saison] は、旅行に行く時間もお金もない学生達にとって、簡単にいつもと違う日常が味わえるお手頃空間であるらしい。

「すみません、秀一君。今、満席なんです」

 立ちっぱなしの僕に気がついて、マスターは申し訳無さそうにぺこりと頭を下げた。
 いつものぱりっとした白シャツに、黒い折り目正しいズボンとギャルソンエプロン。燻し銀の渋さと温和な笑顔がチャームポイントのマスターも、今日はさすがに慌ただしく動き回っている。

「あ、いえ。大丈夫です……」

 なんて僕が答えている間にも、カウンターの中で珈琲豆を挽き始める。その手つきは相変わらず軽やかで、実に無駄がない。
 思わずその仕事の早さを眺めていたら、カウンター席のお客さんから不審そうな視線を向けられた。気持ちはまぁ、分からなくはないけれど……馴染みの店で疎外感を味わうのって、少しショック。
 でもまぁ、いつまでも満席の店にいても邪魔でしかない。

「すいません、マスター。またきます」

 取り敢えずそう断って、僕は店の外に出た。
 いつまでも立ってる客が居たら、座っているお客さんも落ち着かないだろうしね。
 とは言うものの……

「あてが外れたなぁ……」

 珍しく目的意識を持って来ていただけに、僕は店の前から早々に立ち去ることが出来なかった。
 他に行くあてがあったわけでもなし。むしろ、今日はいつもの「なんとなく」よりは高尚な気持ちで来ていたんだ。僕としては、ね。

「どうしよう」

 暫く待てば空きができるかとも思ったけれど、喫茶店なんていうのはそうそう回転が早いわけでもないし、なかなか空く気配もない。
 何とはなしに、木製の『OPEN』の看板を眺め、それから扉の横の細い路地に眼を向ける。

「あ」

 そこに懐かしい姿を見つけて、僕は背をかがめて手を伸ばした。
 グレーの縞模様のほっそりとした猫が、僕に気づいて顔を上げる。いつぞや一緒に雨宿りをして以来、すっかりカフェ [quatre saison] の常連になった「顔馴染み」のうちの一人だった。……ん? この場合は、一匹、かな。

「お前、最近見かけなかったなー。元気してたか?」

 僕の問いかけに、猫はもちろん答えるはずもなく。伸ばされた僕の指先に鼻先をこすりつけて、軽く挨拶を返してくれるだけ。それでも、今の手持ち無沙汰な僕には大歓迎で、あれやこれやと話しかけては猫の背中を撫で付ける。
 そんなことをどれくらいしていたんだろう。
 ふと、僕の横に人影が落ちた。

「……秀一?」

 聞き慣れた声が、呆れたような響きを含んで降ってくる。聞き慣れた、それでいて、懐かしい声。

「なにしてんの」

 僕は思わず笑みがこぼれそうになるのを必死に堪えて、ようやく後ろを振り返った。

「久しぶり」

「いや、久しぶりだけどさ」

 困惑とも呆れともつかない表情を浮かべて、和樹がそこに立っていた。さしもの新社会人も、今日は休日らしく私服姿で、学生時代とまるで変わった様子がない。

「なんか全然変わらないね」

 思った通りのことを言ったら、軽く頭を小突かれた。

「当たり前。まだ卒業して一月しか経ってないっての」

 そんなやり取りも変わっていなくて、思わず笑ってしまう。

「秀一も変わってないよ。そのゆるーいテンション」

「緩いってなんだよ」

「つかみ所がない。天然」

 あ、そう。
 何か言い返したら余計に突っ込まれそうで、僕は膨れ面のまま口を噤んだ。

「ま、何でもいいけどさ。取り敢えず中入ろうぜ。わざわざ外で待っててくれた秀一君の熱烈歓迎ぶりには、充分感動したからさ」

「なんだよそれ。別に待ってたわけじゃないぞ」

 いや、連休ならくるかもしれないなんて、期待がなかったわけじゃないけどさ。外に居たのは本当に不可抗力なんだ。
 けれど、僕が外に居た事情を説明する間もなく、和樹はさっさと [quatre saison] の扉を押し開けた。

ー カランカラン……

 今日三度目の、鐘が鳴る。店の中は相変わらず、満席状態だった。
 鐘の音につられて顔を上げたマスターは、和樹と僕の姿を見て驚いたように眼をみはった。
 多分半分は、まだいた僕に対しての驚きなんだろうな。

「あちゃー。ゴールデンウィークだからか。満席?」

 混み合った店内をぐるりと見渡して、和樹は困ったように眉根を寄せる。

「すみません、和樹君。せっかく来て頂いたのに。秀一君も……」

「いや、仕方ないよ。ってもなぁ。立ち飲みってのも格好つかないしなぁ」

 どうしよう、と言う顔で、和樹が振り返る。僕と和樹は顔を見合わせて困ったように肩を竦めた。

「取り敢えず、外でるか」

 邪魔になっても仕方ない。僕らは連れ立って、もう一度店の外に出た。僕にとっては今日二度目。他のお客さんの手前、なんだか格好悪い気もする。

「時間帯的にも、そうそう空かないだろうしなぁ。席数少ないからなぁ」

 ぶつぶつと呟いて、和樹は手近な縁石の上に腰を下ろした。僕らはこの店一筋だから、他に行くあてがないのだ。和樹の隣に座ろうと一歩踏み出した矢先、カランと鐘が鳴って、カフェの扉が勢い良く開いた。

「よかった。まだいらっしゃいましたか」

 出て来たのはお客ではなく、温和な笑みを浮かべたマスター。僕と和樹は驚いて、思わず顔を見合わせる。
 そんな僕らにはお構いなしで、マスターはにこやかに手に持ったメニュを僕らに差し出した。

「夏に、花火を見た屋上を覚えていますか? 今丁度、パラソルと椅子が出してあるんです。少し暑いかも知れませんが、もしよろしければ……」

「いいんですか?」

「お得意様がせっかくいらしてくれたんですから、いいんですよ」

 マスターの提案に、僕らは手を打って喜んだ。その場でいそいそとメニュを開く。今月の季節のメニュは、新緑鮮やかな薄緑の紙に印刷されていた。爽やかなこの季節の季節メニュは、カフェ・ド・シトロン。

「シトロンて……」

「レモンです。ホットにもアイスにも、不思議とさっぱりしていて美味しいですよ」

 珈琲にレモン。ちょっと僕にはない発想で、味の想像がつかない。

「じゃあ、カフェ・ド・シトロン、アイスで」

 悩む僕のことなんてまるで気にする風もなく、和樹はあっさりとメニュを閉じた。まぁ、マスターをあまり外に引き止めてもいけないし、僕もひとまずカフェ・ド・シトロンを頼むことにする。和樹と違って、僕はホットに挑戦。

「ホットとアイスのカフェ・ド・シトロンですね」

 マスターはにこりと微笑んで、店の中へと入っていった。
 いつもと変わらぬ忙しそうなマスターを見送って、僕らはビルの屋上へと繰り出した。
 屋上には、小さなパラソルと木製の椅子が二つ、木製のサイドテーブルが一つ、そうして緑が盛りのプランターがいくつも置かれていた。パラソルの作る小さな影が、思いのほか涼しい。上空にはぽんわりと雲の浮かんだ、真っ青な空が広がっている。

「ここ、もしかしてマスターの憩いスペース?」

 そんな冗談をいいながら、和樹は木製の椅子に腰を下ろした。清々しい風が僕らの間を渡っていく。

「空、青っ」

「いい季節だねー」

 そんな他愛もない話が、なんだかどうしようもなく幸せを感じさせる。
 そうそう、こうして身近な些細なことに感動する心。それを思い出させてくれるのが、この季節だと思うんだ。だって、否が応でも「外」の「自然」に意識がいく季節だからね。
 どんどん緑は濃くなって、空は高くなって、植物は育って……人も自然も元気になる季節。
 これで気の合う友人と珈琲片手に、なんて、最高だね。

「寛いでますね」

 かたり、と音がして、マスターが屋上へとやってきた。手には銀色の丸いお盆をのせている。

「カフェ・ド・シトロン、お待たせしました」

 サイドテーブルに置かれたのは、鮮やかな黄色が眩しい輪切りのレモンと、真っ黒な珈琲。アイスの氷がカランと音を立てて、青空の下のさわやかな空気を一層引き立てた。

「おー。レモンだ。頂きまーす」

 和樹と僕は、揃って珈琲を口に運ぶ。レモンの爽やかで甘酸っぱい香りと、ほのかな甘みが、珈琲の苦さと絶妙にマッチする。
 まさしく初夏にぴったりの珈琲だ。

「意外と美味しい」

 そんな素直な僕らの反応に、マスターは満足そうに微笑んだ。

「ゆっくりして行って下さい」

 お構いできなくてすみません、と軽く頭を下げて、マスターは忙しい店内へと戻っていく。その後ろ姿を見送って、僕らはゆっくりと珈琲を啜った。
 僕が [quatre saison] と出会ってから、もうすぐ一年。
 和樹と出会ってからなら、まだまだ一年も経ってない。
 それでもこの場所は、そうしてこの友人は、もうすっかり僕の一部になっている。気が休まる時間。

「外で珈琲飲むのも、なんか贅沢だよなぁ」

 氷の涼し気な音をさせながら、和樹はそう呟いた。

「オープンカフェて、結構あるけど、この店のだから余計に贅沢だ」

 和樹の言葉に、僕は黙って頷く。

 どこまでも青い空と、気の会う友人と、そうして美味しい珈琲の飲める行きつけの喫茶店がある。
 この先の長い人生の中で、こんなささやかな幸せがいつもそこにあるように。

 そう願って、僕はカップを空に掲げた。

「[quatre saison] に、乾杯」

 唐突な僕の行動に、和樹が笑う。笑いながら、彼はグラスを高々と空に掲げた。

「乾杯!」

 これからも、またいつか。
 カフェ [quatre saison] で……


ー了ー




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