「元第十七皇位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」
 靴音が響く。
「皇子でありながら反旗を翻した不肖の息子――だが、まだ使い道はある」
 ゆっくりと歩み寄り、そして、
 その男はひそやかに笑った。







 クライベイビィ







 窓の外は、透き通るような蒼穹だ。
 精巧にデザインされた窓枠は、窓の外を見るためというよりも、空の青さを飾るのに相応しい。そしてその
空の美しさに気付いたとき、人は否応なくとも気付く。己らこそが世界の異分子、窓枠の中に閉じ込められるべき存在だということに。
 息の詰まりそうな感覚に、シュナイゼルはそっと窓を開いた。磨かれた蝶番はかすかな金属音も立たない。
 ふ、と外からの風が頬を撫でる。それを心地良く思うのは、己が世界の構成分子であると認識し得る瞬間だからだろうか。
 窓の外、蒼穹を背負うのは、美しい庭園だ。
 整えられた緑の中に、色とりどりの花が植わっている。中央にはせせらぎを生む池と噴水。庭園を囲むものが、人の背丈の5倍はあろうかという高さの目の細かい金属柵でなければ、ここはどこかの貴族の後宮かと勘違いするほどだ。柵の向こう側には、揃いの紋を縫いこんだ軍服が数メートル間隔で銃を携えている。世界中で、これほどまでに厳戒に警備されている豪華な庭園というのは、つまり――ブリタニア皇族の私宮以外に存在しない。
 最も、柵はともかくにしても、数メートル間隔で私兵を置いているのは、シュナイゼルの深すぎる憂慮のためだった。それは無論、己のためなどではない。それを証立てするかのごとく、配備されている軍人は、誰もこの宮に住まう人間の正体を知らなかった。ただシュナイゼルがこの宮に通いつめていること、厳重すぎる警備をしていることから、恐らくシュナイゼルの令室となるべき人間なのではないかと噂されていた。それもあって、どのエリアに赴いても記者からの質問の最後に必ず婚儀の話が出る。鬱陶しくはあったか、シュナイゼルははぐらかし続けている。
(全く、暇人ばかりだな)
(が)
(それは私も)
 同じか、と一人ごちる。宰相として片付けねばならぬ仕事は山のようにある。それを放っておいてこの宮にくる自分もまた、暇人には違いない――
 そう思って苦笑したとき、不意に背後から両目を塞がれた。
 先ほどから、ひそやかな足音が近づいていることには気付いていた。隠れるということが苦手なのは、王になる素質を持つ皇族の特徴なのだろうか。
 くすくす、という笑い声に再び苦笑を浮かべ、目を塞ぐ手をとって振り向いた。
「全く、君はいたずらが好きだね」
 そう言うと、シュナイゼルより頭ひとつ身長の低い少年は、皇帝によく似た紫の瞳をあまやかに笑みの形に変え、屈託無く笑う。
「きっとシュナイゼル兄様に似たんですよ」
「私が君に教えたのはチェスの戦術のはずなんだが」
 その漆黒の髪に触れて、シュナイゼルはようやく心からの笑みを示す。
「こんな可愛い戯れを教えた覚えはないんだがね、――ルルーシュ」


 シュナイゼルが父である皇帝から告げられたのは、二つだった。
 エリア11でブラックリベリオンを引き起こした黒幕・ゼロの正体、それが国に捨てられた己の弟であること。
 そして、戦闘の際に激しいショックを受けた彼が、己の母親のこと、妹のこと、そしてゼロとして生きた時間を総て喪ってしまったこと――
「今日はいつもより早いんですね」
 紅茶を淹れながらルルーシュはシュナイゼルに話しかけた。テーブルに肘をついて、シュナイゼルは笑う。こんなふうに寛いでいられるのは、ルルーシュの前だけだ。彼の前でだけ、シュナイゼルは宰相でも第二皇子でもなく、ただ彼の兄であることが出来る。それがどれほど心地善いものか、ルルーシュを手元に置くようになってシュナイゼルは初めて知った。
「たまにはね。明日すれば善い仕事を今日する必要などないさ」
 くす、とルルーシュは笑ってティーポットを準備する。
「では、このティータイムも、明日にすれば良かったのでは?」
「今日という日は今日する必要のあることをするためにあるのだよ。可愛いルルーシュ、意地悪はやめてくれないか」
「分かってますよ、兄様」
 ルルーシュがアフタヌーンティーのセットを持ってテーブルについた。左目につけられている眼帯が痛々しい。戦闘時に受けたダメージが元で、ルルーシュの左目の視力はほとんど喪われている。今日のように晴れた日では、感じる光量が多すぎて、眼帯をつけねば目が眩むのだという。
 シュナイゼルは紅茶を一口含む。強いマスカットフレーバーが鼻腔をくすぐった。
「ダージリンだね。先日取り寄せたものかな」
「ええ。夏摘みのセカンドフラッシュです。やはり時期のものが一番香りが良い」
「さすがルルーシュだね。私が淹れたらこうはいかないだろう」
 そんなことはないですよ、とルルーシュは笑って紅茶を口に運ぶ。 
「シュナイゼルお兄様や、他の皇子に比べて――時間があるだけですよ。お兄様があんまり外に出るなというから」
「お前はブラックリベリオンに巻き込まれて怪我をして、まだ体が普通じゃないんだ。出歩けば体に障る」
「分かってますよ。ホント、留学先でテロに巻き込まれるなんて、ついてないというか――」
 拗ねたように目を伏せて、ルルーシュは紅茶を再び口に運んだ。
 彼の記憶がどうしてそうなってしまったのか、シュナイゼルは知らない。
 ただ知っているのは結果だ。
 彼の記憶に残されているのは、己がブリタニア帝国の皇族であるという認識のみ。留学先のトウキョウ租界でテロに巻き込まれ、怪我をして帰国したと思い込んでいる。
 皇帝は総て彼の記憶に添うようにとシュナイゼルに告げた。もとより、捨てられた皇子であり、そしてゼロの正体であったなどと、その記憶を葬ることしか出来なかった弟に、どうして暴くことが出来ようか。
 ルルーシュの生存を知っているのは、皇帝とシュナイゼル、そして彼を皇帝へと差し出した元特別派遣共同技術部のパイロットのみだ。
「まあ、しかし無事で何よりだったよ。命がなければ、君とこうしてティータイムを楽しむことも出来ないのだからね」
「それはシュナイゼル兄様だってそうでしょう。この間だってエリアで戦場に赴かれたとか」
「仕方ないさ。それが私の任務だからね」
「分かってはいますけど――」
 ルルーシュの声がわずかに高くなる。
 ふ、とその視線が紅茶から逸らされ、うつむく。
「兄様がいない世界なんて……ひとりぼっちなんて、厭です」
 シュナイゼルは一瞬驚いて、そしてすぐにそれを穏やかな笑みに変えた。
 震える白い指先を、己の手中に収め、やさしくあたためるように包み込む。
「心配はいらないよ、私のルルーシュ。君を決して一人きりになどさせるものか。ああ、ほら――」
 紫の瞳から零れるしずくを、そっと拭う。
「君は本当に泣き虫だな」
 指先のかわりに口付けで睫毛に触れると、くすぐったそうにルルーシュは顔を赤らめる。








「使い道はある――」

「己が作ろうとした国を、その人間たちを」

「いつか己自身の手で支配してみるがいい」

 男は王座で静かに囁く。

「そして悟るだろう。己の非力さ、無能さ――。そうは思わぬか」

「ナイト・オブ・セブンよ」




 騎士はかしずく。

「イエス・ユア・マジェスティ」

「己が護れるものは」

「手を伸ばして触れるもの、ただ、それだけです」



 その返答に満足し、王は泰然と笑った。 






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いつか続きを書くかもしれないシュナルルネタ。
25話の後にあったかもしれないパラレルワールドです。




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