calling -京楽と日番谷-
僕はいつだって、自分をその場の雰囲気に埋もれさせるのが得意だった。 雅な屋敷の調度、旨い酒肴、美女に妙なる音楽の調べ。 上級貴族、かつ隊長として、毎晩毎晩それらを享受できるくらいの立場ではあったからね。 どうしようもない道楽息子だと、大昔から呆れられていたくらいだから年季が入っている。 「京楽」なんて風雅な名前より「享楽」とでも名付けられるべきだったね、僕は。 ――「おい、京楽。サボッてんじゃねぇぞ」 いつものように美酒にしこたま酔いつぶれていた時、 突然その場に乱入してきた同僚を見たのは、昨晩の宵も初めのころだった。 僕が、しどけない姿の美女と寄り添っているのを見下ろして眉間に皺を寄せた彼は、 まだ恋も知らないどころか、まだまだ幼い子供の顔をしている。 その外見に似合わず、歯に衣着せぬ態度を不遜と言う者もいた。 でも僕は、初めて会った時から「京楽」と躊躇いもなく僕を呼び捨てた彼を、大いに気に入っていた。 千年がた違う隊長としてのキャリアに敬意を払わないということは、当然、同格の責任を果たさないといけないということだろう? そう考えれば、適当に先輩の数歩後ろに引いている方が世渡り上手ではあるんだ。 しかし肩を並べる方を選んだ彼は実際、隊長としての働きでは誰にも引けを取らなかった。 僕は有能な後輩を、そのままの格好で見上げた。 ――「ごめんねぇ、日番谷くん。僕、今忙しくてさ」 ――「ほぉ」 日番谷くんの目が、スッと細くなった。そして、僕の方にスタスタと歩いて来る。 美女たちが一斉に嬌声を上げる。日番谷くんは美女に興味がないのに、なぜか綺麗な女性ほど彼をもてはやすのはなぜだろうね? 氷水を頭から浴びせかけられでもしたらたまらない。座ったままのけぞった僕に、日番谷くんが顔を寄せた。 銀髪に女のように白い肌。僕と同じ男と思えないほど色素が薄い。その中で翡翠色の瞳が強く僕の目を引いた。 ――「血の匂いがする」 耳元を銀髪がくすぐった、と思った時、そう声をかけられた。 後ろの女性にも聞こえないくらいの、低く小さな声だったが、僕は冷やりとした。 わずかに日番谷くんが顔を後ろに引き、至近距離で視線を合わせる。 ――「お前の目はどんな時も冷めてるんだな」 ――「……本当のことを言うのがいつだって正しいとは限らないよ?」 僕は口元で笑みを形作ると、そう切り返した。ただ一度のやり取りで、酔いは覚めていた。 ――「言えばどうなると?」 ――「僕は君を食べちゃうかもしれない」 わざと大きな声で言った。周囲には、ほんの戯れに聞こえただろう、一斉に笑いだす。 でもきっと、日番谷くんには僕が言葉に込めた意味合いが伝わっただろう。 君は天才だから、そのうち僕を戦闘能力でも追い越してしまうだろう。でも今はまだ、僕の方が強い。 真実を指摘された僕は、実力差を嵩にきて卑怯にも彼を脅すんだ。 ――「総隊長が呼んでる。仕事だそうだ」 言い返してくるだろうと思ったが、彼の答えはあっさりしていた。そしてやはりあっさりと、背中を返す。 *** ――「お呼びで? 山爺」 僕が一番隊を訪れた時、山爺は高楼から瀞霊廷の街を見下ろしていた。僕を見もせず、いつものように説教を垂れることもなく単刀直入に切り出す。 ――「――無間から、脱走を企てる者がおる。既に一万年かた幽閉されている元死神じゃ」 ――「ほぅ?」 ――「お主、殺して来い」 一分の温度もない声だった。僕は口元に笑みをたたえたまま、頷く。 ――「御用はそれだけですか?」 ――「奴は強い。一万年の幽閉生活で弱っているとはいえ、かつて藍染と同程度の力は持っておった。……お主でも卍解せねば勝てぬじゃろうて」 ――「……諒解です」 ――「よいか、京楽。決して仲間を連れてゆくな。目にも留まるな。分かっておるな」 僕は無言のまま、軽く頷いた。僕が卍解を得てから、何度も何度も繰り返されてきた会話だ。 ――「お主の卍解は、誰にも見られてはならぬ。見られたなら……相手が誰であろうと、殺せ」 ――「分かってますよ」 故に、僕が動くときは常に独りだ。誰にも見られないように、夜明け前の最も暗い一時を選んで行動する。 無間に出向くのであれば、今すぐ出発する必要があった。僕は一礼して山爺に背を向けた後、ふと振り返った。 ――「日番谷君を呼びに寄こしたのはなぜですか?」 山爺は怪訝な顔をした。まあその顔じゃ、特に理由はないんだろうね。 たぶん、偶然日番谷君が別件で山爺を訪れたからついでに事付けた、とかいう軽い理由だろうさ。 ――「僕にあまり近づけないでくださいよ。白はたやすく黒に犯される」 朝の光が似合う彼には、僕のような生き方は近いようで最も遠く、理解の外であるに違いない。 *** 夜明け前。星のひとつもない、無粋な夜の暗さが頂点に達する時間帯。 乾ききった名もない荒野を、僕は足を引きずりながら歩いていた。 ずる……ずる……延々と続く忌まわしい音が、自分の体から発していることに気づいてうんざりした。 僕の卍解は、霊圧を変化させ、姿をも異形のものと変えてしまう。 卍解した僕を見て僕だと気づくのは、浮竹しかいないだろう。彼は、僕の卍解を目にして生きている唯一の例外だからね。 久々に卍解したせいか、敵がなかなか手強かったせいか、相手を殺してもなお、僕の異形は解けなかった。 とはいえ、無間に長居すれば、僕の方も身が危ない。今の僕は、無間に引きずり込まれても当然の、負の霊圧に満ちている。 瀞霊廷から離れた流魂街の原野に一旦逃げ、姿が死神に戻るのを待つことにした。 霊圧を納めようと努力したが、珍しい僕の努力をあざ笑うように力は暴れ出す。 たった一人で、自分はまっとうな生き物ではないのだ、と暗い確信に悩み、 なんとか人の姿を保とうとあがいていた、若かりしころを少し思い出した。 あれから千年が流れ、僕は正体を隠すことには慣れた。でも、僕の中の魔物は小さくなるどころかどんどん大きくなっている。 いや。魔物が僕の中に住んでいる、という言い方は違うな。 あの頃の僕は、魔物を追いだそうと躍起になった挙句に、魔物は僕自身だということに気づいて唖然としたのだから。 瀞霊廷まで、あと一時間。死神の姿に戻ることができず、僕はその場に立ち止まった。 乾いた草が、踏んだ傍から崩れた。身も心も乾くとはこのことだ、と自嘲した時、僕は思いがけず近くに現れた気配に、はっと動きを止めた。 「困ったね。子供は寝ている時間なのに」 その気配の主が日番谷くんだということは、一瞬で分かった。漏れた苦笑は本物だった。 今の僕は、霊圧を押さえることが一切できない。誰かいることには確実に気づかれているだろう。 仮に目の前に現れたとしても、僕だとは分からないはずだけれど。そこまで考えて、はたと考えを止める。 ほんとうに、そうだろうか? ――「血の匂いがする」 そう言った時の彼の口調を思い出した。 普段彼と接する中で、自分の持つ残虐な部分は、露ほども見せていないつもりだったのに、一体何からそう思うに至ったのだろう。 冷やりとするほど、その声は確信に満ちていた。 ――「お主の卍解は、誰にも見られてはならぬ。見られたなら……相手が誰であろうと、殺せ」 山爺の言葉が蘇る。 さく、さく、と地を踏む音がした。翻る隊首羽織の白や、胸の中央に位置する刀留めの鈍い光が、闇を透かして見えるようだった。 声を出せば、自分だと分かってしまう。分かってしまえば、相手が同僚だろうが例外ではない。 自分の掌も見えない漆黒の闇が、突然圧力を持って周囲から迫って来るようだった。 まっすぐに、近づいて来る。僕は腰の刀を無意識のうちに確認して、ぞっとした。 無間の罪人の血がこびりついているこの刀で、日番谷くんを斬るつもりなのか、僕は。 殺す――殺さない。殺す――殺さない。 彼の歩んでくる一歩ごとに、まるで恋する娘の花占いのように心で唱える自分に苦笑した。 日番谷くん。声なき声で語りかける。 君には、僕の気配は今、どのように映っているのだろうか? 汚らわしい、忌み嫌うべきものと思っているだろう? それならば近づくべきじゃない。 そんな、何事もないような軽い足音を立てて―― 「京楽」 闇を通して、日番谷冬獅郎ははっきりと僕の名前を口にした。 それは、彼が自分で告げる、自分自身への死の宣告に等しかった。 ただ、その言い方があまりに明快だったから、何かを思うよりもまず驚いた。 馬鹿だねえ。 本当のことを言うのが正しいとは限らないと、言ったばかりじゃないか。 ――「言えばどうなると?」 ――「僕は君を食べちゃうかもしれない」 僕は、血ぬられた刀の柄を握り締めた。 斬らなければなるまい。 全身から漏れだした殺気に、当然彼はすぐ気づいただろう。 「俺を斬るつもりか」 涼しい声で、そんなことを聞いてきた。 彼が平然としているのが解せず、汗とも血ともつかぬもので手が滑った。これでは動揺する方が逆だ。 「……なぜ、ここへ来たんだい?」 相手が僕だと見抜いている以上、これ以上隠すのは無駄だった。僕は闇に向けて声をかける。 「お前が呼んでいたから」 「……は」 呼んでなんかいない。 会えば、その誰かを殺さなければいけない。殺したくはないのに、呼ぶはずがないだろう。 「僕みたいな魔物を同僚に持ったのが君の不運だ」 「……魔物?」 聞き返した日番谷君の表情は見えないが、輪郭がぼんやりと浮かび上がっていた。夜明けが近い。 僕の姿は見えなくとも、常とは違う禍々しい霊圧を感じないはずはないだろうに。 「お前だけが闇を抱えてるような言い方はよせ、京楽。そんなもの隊長なら誰だって背負っている」 相変わらず年上を年上とも思わない、小気味よい声がぽんと投げられる。 「魔物だろうが何だろうが、お前はこの世界を護った。隊長として求められるのは結果だけだ」 だから、俺はあんたを尊敬しているんだ、これでも。 そう続けた日番谷君を、僕はそれほど穴が開くほど見た。 日番谷くんは、そのまま踵を返した。地平線から一直線に伸びた朝の光が、まっすぐに僕らを貫いた。 隊首羽織の背に刻まれた「十」の文字がくっきりと見えた。抜きはなたれた「氷輪丸」の刀身がまばゆく輝いている。 何をするつもりか。そう思った時日番谷くんは天を仰いだ。と同時に、雨が僕の頬を打つ。 冷たすぎもせず、ぬるくもない雨が、さぁぁ、と音を立てて乾いた大地に降った。 見る間に雨脚を強め、ひび割れた大地に吸い込まれるだけだった雨が、あちこちに水たまりを作り始める。 僕の体を汚す血とも泥ともつかないものが、洗い流されてゆく。 白く閉ざされた世界は、妙に僕を落ちつかせた。白に囲まれる黒。溶かされる黒。 あれほどまでに見たくなかった自分の姿が、少しずつ死神に戻ってゆく。 そうか。僕はずっと前から君のことを―― |
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