笑顔だけで生きていけると思った





Composition of hope





日に日に肌寒くなり、昼が短くなってゆく初秋。盛夏よりは衰えた太陽が、粘り強く紫外線を注いでいる。嫌な暑さが纏わりつく時期、楽しげで慈しみに溢れた眼差しは、手元で交差する棒を見つめていた。
「まだ暑いだろ」
呆れた声を投げて、コップに注がれた冷たい水を飲みながら、彼は愛しい女性の手元を見つめる。交差する棒には毛糸が絡まり、時間と共に長さを増す。
「準備は早いに越したことないの」
聖母の微笑みで返した彼女は、一つ年下の恋人の顔に、治りかけた痣を見つけて表情を曇らす。
「……それに、そろそろ毎日帰らなきゃいけなくなるでしょう?」
彼は今朝まで、同棲するアパートに帰宅することはなかった。手癖の悪さについて、噂はかねがね聞いている。痣を見るたびに咎める声に、愛想を尽かしているのだろう。気移りしたところで、引き留めるつもりはない。
水を飲み干した彼は、沈黙したまま彼女を見つめて、テーブルに腰掛けていた。器用に動く棒からは、瞬く間に毛糸の編み物が生まれていく。絡まり、交差する糸は純白で、雪に似ていると思った。
「それ、誰の?」
目を伏せて、ひたすらに手を動かす彼女に、彼はコップを置いて立ち上がりながら尋ねる。
「誰のだと思う?」
手芸関係には詳しくなかったが、彼女が編み続ける筒状のそれが、腕の幅より太いことには気付いていた。
「もしかしてさ」
彼女が腰掛けるソファーの背凭れを挟んで、彼は甘えた仕草でそっと、華奢な体を抱き込んだ。
「怒ってる?」
「暑いんじゃなかったかしら」
細く柔らかな髪にキスを落とす。より腕に力を込める。画策している間も、彼女の手が休まることはない。
「喧嘩しただけだって」
「いつもそう」
「俺、これでも強いんだけど?」
「そうね、貴方は待ってたことないもの」
毛糸を絡める手が止まり、冷たい右手が静かに、抱き寄せる腕を取る。
「貴方は突然いなくならないって、いつでも帰って来るって、約束してくれない。そうでしょう、ロウ」
か弱い握力の呵責に苦笑して、彼の右手は毛糸を取る。絡まり、縒り合い、ただの毛糸は紋様を作る。誰かを温めるために。誰かを繋ぎ止めるために。
「俺の、だといいんだけどな」
伏せられたままの彼女の頭に頬を寄せ、彼はメリヤス編みの毛糸を撫でる。真っ白な雪が地表に下りる頃、それでも二人は寄り添っている。
「そうね」
何かを堪えるように震える声が、呆れたように答えた。
「これのせいで帰って来なくなったら、首を絞めるのに最適よ」
困惑に染まった笑いが零れた。気候を憂う割に、彼は身体の密着を厭わない。力強く、素直になれない彼らしい答えを、彼女の身体に直接伝える。
雪が地面に下りる頃、同じく白いマフラーは、優しい温もりを与えるのだろう。




盲目的な幸福の中で呼吸していた



fin.
ロウ×リオ



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