『何を今さら』リンver. 「夜討ち朝駆けとはせわしないことだな。」 朝議のための黒い袍を着、冠をつけたリンは回廊の向こうから慌ただしく 駆け寄ってくるメイの姿を認めるとあきれ顔をして言った。 当のメイはそんなリンの言葉も聞かず噛みつく勢いで彼に問い詰める。 「ランファンが陛下の護衛の任務から外されたと聞きました。これは一体 どういうことなんですの?」 「彼女は今体調を崩している。そして衛士には頼れる人材がいる。ならば 任務を交代させるのは当然だろう。」 「そんなことを言って、本当はハン族の公主(姫)との婚儀の話が進んで いるから身を引かせたんじゃありませんこと?宰相のツイ・チュアンなど は今来朝してる使者はきっとそのために来たのだと吹聴してます。」 「・・・あの腐れ卵が。勝手な憶測で物事をいいふらすとは、上に立つ者 としての自覚なしだな。まだ血縁を頼っての栄達ばかり考えているのか。 前々から問題な奴だと思っていたが、この際今までの言動すべて精査して 然るべきようにしよう。」 「私はそんなことを聞きたいんじゃありませんっ!兄さまはランファンを やっかい払いしたんじゃないかと聞いているんです!」 「なあメイ。」 側の者をその場に留めて十歩ほど先まで歩いてから、リンはまなじりを吊 り上げたたままのメイの肩に手を置き静かな声で言う。 「俺はどの部族も守り受け入れると言って、その通りにしてきただろう。 なのに何故今さら有力部族の娘を妻に迎えねばならん?」 「あ・・・」 「俺の治世に逆行するようなことを進言する者のたわごとなど、耳を貸す 必要はない。おまえはチャン族の代表でいまや国内すべての錬丹術師たち を束ねる仙学薬療院の筆頭術師だろう。毅然としているがいい。」 「は、はい。あの、ではランファンが退いたのは。」 「そりゃ心から信頼できる娘を伴侶にするのは俺の念願だもの。いつまで もただの護衛役にとどめているつもりはないよ。」 飄々とくだけた口調でそう言うリンの顔にはもう皇帝の厳めしさはない。 献上するはずの賢者の石を狙う他族の刺客を共に退け、決死の思いで皇帝 に石のなりたちとそれを使うことの意味を説いた、何かと癪にさわるけど 頼れる兄の顔だった。 噂を耳にしたときに芽生えた彼に対する疑念はもう解け去っていた。本音 でぶつかれば皇帝の立場を超えた態度で思うことを語る彼の率直さと、そ れを可能にした大きな自信を感じてメイは彼に言う。 「今までの慣習を変えるのはむずかしいことだと思いますけど、私は応援 しますわ。兄さま頑張って。身分だけを理由に愛しあう者たちが引き裂か れることのない世の中にしていって下さい。」 「それはおまえと誰かさんのためにも、か?」 「か、からかわないで下さい。」 冗談めかした顔のまま、視線を強くしてリンは言う。 「いくらか時間はかかるし体面も何かしら作り上げる必要はあるけれど、 アメストリス語が堪能であのブラッドレイ大総統と対峙してもひるまない 烈女だぞ、ランファンは。身分はないが、ここぞとばかり権勢をふるい政 治にまで何かと口出しするような係累もない娘を妻とすることは、結局は 歓迎されるさ。」 「そういう兄様の現実的なところ、嫌いじゃないです。」 苦笑めいた目配せをして、兄妹はうなずきあった。 「さてそれじゃ朝議が済んだら薬療院に顔を出すから、主幹にお茶を用意 しておくように伝えてくれよ。」 「まったくもう、薬療院をご自分の房のように使わないでくださいな。」 「いいじゃないか、あそこのお茶は美味いんだから。特にどこぞの姫さま の調合するお茶の味は格別だ。」 「お上手を言っても何も出ませんことよ。」 「って、そう言ってたのはアメストリスの客人の言葉なんだけどな。」 「まあ。」 目を輝かせたメイが途端にいそいそと自分の持ち場へと帰りかけたところ にリンは声をかける。 「ついでにカフェインなしで香りのやさしいお茶を調合してくれないか。 ランファンに飲ませてやりたいんだ。」 「? あの、もしかしてそれって・・・」 「ああ、そういうことだ。体を大事にしてやらなきゃ。」 目尻を下げたリンは心底嬉しそうな顔をして笑っていた。 家族を思い守る者の、素朴で力強い笑顔だった。 |
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