遠い国の物語(仮) 06 ―― 修羅場の予感 ―― 「「 …… 」」 今日も今日とて、なんて爽やかな朝なんでしょう。 それぞれの部屋、それぞれの寝室、それぞれの寝台で。 チュンチュン鳴いてる鳥の声で目を覚ましたキールとソルの兄弟二人は、 肉体的には爽やかに、精紳的にはぐったり疲れるという複雑な状態で目を覚ました。 なにしろ二人とも、今迄『チュンチュン……』で目が醒める時と云えば。 まあ有態に云って色っぽいことがあった翌朝、と相場が決まっていたもので……。 こうも健全なこのシチュエーションがなんとも淋しいというか虚しいというか。 何時になく早い時間に目覚めた兄弟は(朝っぱらから)ちょっとハイになる。 なにせ彼ら二人は今までずっと筋金入りの『宵っ張りの朝寝坊』で、 こんな時間に目覚めるなんて以前であれば想像もつかない。 ……こんな改革を行ったのが可愛いハヤトとトウヤの二人だったから、キールとソルも甘んじて受け入れた。 が、これを云って始めたのが誰か他の人間だったら、絶対ただではおかないところだ。 でも、「困ったもんだ」と頭を抱えはするけれど、結局は「でも可愛い……」で赦せてしまうのだから終わっている。 我ながらバカだと思うが嫁っ子二人が可愛いのだから仕方がない。 しかし嫁と亭主というより保護者と子どもと呼ぶ方がふさわしい現段階でコレなのだから、 このまま順調に二人が育って真実伴侶としての関係が成立した日には。 多分、キールソルもぐにゃぐにゃのデロデロで、どんな無理難題を云われたところで二つ返事で従ってしまいそうだ。 幸せに『尻に敷かれて』しまうのであろう己の将来が少し哀しい。 不本意な方向に定まりそうな未来予想図に、思わず吐息がこぼれてしまう。 とはいえせっかく爽やかに目覚めた朝の時間を、台無しにすることもあるまい。 どうせ早く目が覚めたのなら、今日は子どもたちを起こしに行ってみよう! 前向きな気持ちで気分転換を思いついて、いそいそ子ども部屋へと向かう。 その途中で偶然にも顔を合わせた兄弟は、 互いに苦笑しながら自分たちの生活改革を行ったもっと健康な嫁たちに朝の挨拶をするべく足を速めた。 そう。その時は、本当に些細なサプライズのつもり、だったのだ。 けれど。『おはよう』と覗いた二人の部屋は 空っぽ だった。 ―――― これは一体どういうことか!? 想いもよらない事態を前に、キールとソルの顔から一気に血の気が引く。 なにしろハヤトとトウヤは複雑微妙な立場にある。 名目上は幼いながらも立派な『王国後継候補の花嫁』だが、その実質は東の国から取り上げた戦利品にして人質。 夫として身柄を預かったキールとソルの裁量で二人にはかなりの自由を許しているが、 それを好ましく思っていない者も当然いる。 これは国内におけるキールとソルの立場自体が未だあやふやなこともあり、あまり強く出られないのがもどかしかった。 ただ、子どもたちが年齢以上にわきまえていていることが救いというか不憫というか。 まあ、そこはまだ二人ともに子どもなので時としてボロが出るが、 それでも大半はおずおずとした遠慮がちな態度を崩さない。 そんな二人が自分たちに黙ったまま、勝手に何処かに行ってしまうなんてありえない。 となれば、何らかに事件に巻き込まれ攫われたのでは……? と考える方が自然である。 兄弟は思わず顔を見合わせ、次の瞬間部屋の外へと飛び出した。 「いたかい、ソル」 「いいえ、こちらには。……ということは兄上の方にも?」 「ああ」 二手に分かれてあちらこちら探し回ってみるものの、どちらの心あたりにも子どもたちの姿はない。 「ったく……あの餓鬼ども……」 だらだら流れる汗を無造作に袖でこすって拭いながら、ソルは小さく毒づいた。 基本は根っからのインドア派で、額に汗して外を駆けずり回るような行動は彼らの美学に反する。 まして、本来この時間帯であれば、二人は温い布団の中で幸せに惰眠をむさぼっているはずの早朝なのだ。 正直云って頭の働きもぼんやりだし、身体のキレも鈍く重い。 何が哀しくてこんな時間に、食事どころかお茶の一杯も飲まないまま走り回っているんだか。 そう思うとなんだか疲労がどっと倍増しに増えたような気持ちになって、ソルは本気で泣きたくなる。 物心ついてから彼らと結婚するまで、彼らの朝は遅かった。 もそもそ昼近くに起きだしたあとも、目覚めたばかりで重い胃は薄いお茶くらいしか受けつけなかった。 そんな退廃的な生活を標準と思って過ごしてきた兄弟は、 『朝からお腹がすいている』という極めて健康的な反応し示す己自身にショックを受ける。 健康と云う面から考えれば極めて好ましい変化なのはわかっている。 けれどなんというか、精紳的に屈したような負けたような……微妙な敗北感があって情けなくなってくる。 お腹はすく、身体は汗でじっとり湿って気持ち悪いで、苛々と額に張り付いた髪をかきあげる。 「ここまで探していないってことは、本当になにか事件に巻き込まれたんだろうか?」 心配が嵩じて苛つくソルの傍らでは、ソルに輪をかけて過保護なキールが唇を噛みしめながら思案する。 この辺一帯は一応王族のプライベートエリアなので、安全と云えば安全だった。 が、その反面ではその分、危険が多いともいえる。 名目上は和解と友好の象徴である二人の身柄を邪魔に思う勢力だってあるのだし、 これはもっと本格的に、人を集めて探索するべきなのかもしれない。 思いつめた顔で提案されて、ソルも真面目に考え込む。 普段だったら何を大袈裟な……で却下してしまうのだが、この状況を思えばその対応もやむなしかもしれない。 とはいえ過去、兄の過保護で多大な迷惑を被ってきたソルは、その提案に即座に頷くこともできない。 決断すべきか否か。真剣に悩んでいると、その時。 「あ、れ?」 「……?」 風に乗って、ばしゃばしゃと云う水音とぼそぼそしゃべる声がとぎれとぎれに聞こえてくる。 聞こえる物音を頼りに進んでいくと、湖の方に導かれる。 水音と声の様子から二人が湖で水遊びをしているらしいと知って、顔を見合わせた保護者二人は蒼褪める。 というのもこの湖は、美しいがちょっと訳ありの代物なのだ。 国の中心に座すこの湖は大きく美しい水が自慢で、この王国の主たる水源と食料の供給源の一つでもある。 夏でも冷たいここの水は水遊びにも最適なのだが、 然る理由によりこの国の人間は湖に直接浸かって泳ぐような真似はしない。 国の人間にとっては常識なのだが、異国から来たばかりの二人がそれを知らなくても仕方がない。 その点をきちんと事前に説明していなかった自分たちにも非はあると反省しながら、 ちょうど衝立のようになっている岩の隙間から覗き込んで様子を窺う。 「!!」 「ハ……はひゃと……」 白一色の寝巻姿でばしゃばしゃ水浴びしている姿を見て、キールとソルは絶句する。 その衝撃に、時間が止まったかに凍りつくこと数分。 次いではたっと正気にもどった瞬間、二人は咄嗟に鼻を抑えて後ろを向いた。 そのまま凝視していたら、鼻血を吹いてぶっ倒れると本気で思ってしまったのだ。 だって……だってだってだってだって!! 水にぬれた白いキモノは、何たることか透けている! 下着を着けていないのが丸わかりでなんとも目に嬉しい……じゃない、非常に目の毒だったりするのである!! こんな悩ましい、じゃない、色っぽい……って年端もいかない子ども相手になに考えてる自分はヘンタイか!! ではなくて! あああああ、こんなことならすっぽんぽんでいてくれた方がまだましだ。 突然のことに混乱した保護者二人は、錯乱しかけた意識のなか、必死に消えかける理性の尻尾を握りしめる。 な……なにを考えているんだこの子たちは! なんでこんな朝早く、こんな場所で寝巻姿で水遊びなんてしているんだ!? とりあえず冷静になる為には、二人の格好をなんとかせねば!! 着せかけてやる為に上着を脱いでいると、ぱしゃぱしゃ二人が駆け寄ってくる。 「キールにいさま?」 「ソル兄さま! 鼻血でてます!!」 どうしたんですか、大丈夫ですかと覗きこまれて己の醜態を自覚した兄弟は、乱暴に上着を羽織らせ顔をそむける。 いささか乱暴な仕草で鼻血をぬぐい、無様の証拠の隠滅を図ってから改めて向き直る。 ぶかぶかの大人の上着を羽織っているせいで危険な色香は隠れていたが、 それでも、生足に薄い布が水にぬれて張り付いて、非常に目のやり場に困る。 なんというかこの子たち、もう少し羞恥心ってもんを教えた方が良くないか!? 年端もいかない子どものすること、と笑ってすますにはこの二人には華がありすぎるというか、妙な色気がありすぎる。 ここは王族の占有地なので危険なことはないと思うが、万が一、と云う可能性は捨てきれない。 こんな子どもを相手に血迷うバカもいないとは思う……のだが…… いやいや、こんな可愛い子のこんなあられもない姿を見たらどうか知れない、やっぱり危ない!! 赤くなったり青くなったり忙しい。 この二人のこととなれば、いまや親バカならぬ嫁命! の夫バカと化しつつある二人の理性は頼りにならない。 自慢の賢い頭脳も回転閉業状態ながら、とにかく保護者として安全にかかわる注意だけはしておかねばと口を開く。 そして『この湖は水が冷たいし、主ーヌシが棲んでいるから危険なんだよ』と云い聞かせ、 だからここで泳いではいけないと説明する。 そう。この国の人間がこの湖を特別扱いしているのは、『湖のヌシ』の存在あってのこと。 そして王宮がこの場所に築かれたのも湖の位置を睨んでのことである。 そう云う意味では、『湖のヌシ』というのはこの国の守護者みたいなものなのかもしれない。 その存在は、伝説的に伝えられているだけなので詳しいことはわからないが、 一説によれば大型竜系のはぐれ召喚獣らしい。 だが、その正体を目にしたものは王国開闢以降(少なくともこの幾数十年の間では)皆無に近い。 代々続く王族のなかでも腕に自信のあるものが『我こそが誓約を結ばん!』と儀式を挑んだが、 未だかつて誰一人として成功した者はいない幻の存在である。 だが、無色の派閥が此処に国を開くと決める以前から棲んでいたまさしくヌシで、 派閥王国とは一応不可侵条約(?)を結んでいる。 ヌシが住まいにしている深部には関わらず、水を汚さずの上ならば、食べるのに必要な分を取るのは構わない。 けれど必要以上に干渉し水を汚したり荒らした時は手酷い報復が帰ってくるのだ。 実際、水が荒れて漁ができず、国中が飢えたという記録がある。 だからこの湖で水浴びしてはいけないよ、と説明する。 「でも……」 「ん?」 いつもであれば打てば響くように返される『はい』の言葉が聞こえぬどころか、 おずおずとではあるが反論されてびっくりする。 どういうことだと眉をひそめたキールとソルに顔を覗きこまれたハヤトとトウヤは、 小さく顔を見合わせてから意を決したように反駁した。 「ヌシさま、怒っていないよ?」 「……はい?」 「僕たち、禊前に湖の神様にお許しもらったら、『いいよ』って返事が返ってきたよ?」 「…………はああっ!?」 なんですと!? 思いもよらない言葉を聞いて、無色の派閥の高位召喚師でもある二人は顎が外れそうになる。 じゃなんですか? キミたちは、無色の派閥王国の王族が、何代かかっても為し得なかった偉業を。 いともたやすく成し遂げてしまった……と、そうおっしゃっている訳なんですか!? これはもう、流石は由緒正しい精霊使いの王家の末裔、というべきなのか。 子どもたちの計り知れない才能に、怖れを感じる。 「まいったな……」 「ええ、まったく」 本家本元の召喚師たちが気がつかない間に、 余所からきた子どもたちに王国守護者をかっさらわれていたとはこれいかに。 屈辱といえば屈辱だが、あまりにも意表を突かれすぎて脱力することしかできない。 乾いた笑いを洩らしながら、いったいいつからここに通っていたんだと聞くと、 何と二人はこの地についた翌日から毎日皆勤していたらしい。 「あのう、にいさま……?」 「ごめんなさい。俺たち、悪いことだとは思わなかったの……」 最初は無邪気に聞かれた質問に応えていたトウヤとハヤトの二人組は、 いつもと違う二人の様子から『なにかとんでもないことをしでかしてしまったらしい』と察して息をのむ。 トウヤもハヤトもしゅんと項垂れ、ごめんなさい、もうしないから許して欲しいと頭を下げる。 「あ、いや、それを怒っている訳じゃないんだよ」 「うん、ヌシがいいって許可しているなら、これからだって続けていいんだ」 今にも泣きそうな顔で謝る二人に、キールとソルの二人は慌てた。 実際、二人が腹を立てているのは『ヌシを横からさらわれた』事ではなかった。 恥ずかしながらキールもソルも、 ハヤトとトウヤの二人組が示し合わせて早朝散歩に出ていることに気が付かなかった。 その己の注意力不足に怒っていたのである。 しかし確かにそう云われれば、 今迄朝食のたびに、給仕してくれる子どもたち二人の髪が濡れていることには気付いていたのだ。 その髪や肌からほのかに水のにおいがしていることにも気付いていたのに、 それを湖で禊している可能性に結びつけることができなかった。 トウヤもハヤトも綺麗好きな子たちだから、朝イチでお風呂に入ってきたんだな、くらいにしか思っていなかった。 なのにまさか、二人して夜明けすぐに抜け出して、こんな格好で水浴びしていただなんて……! いや、朝風呂を楽しもうが散歩をしようが、それは一向に構わない。 百歩譲って、禁域での禊だって水浴びだって、 『ヌシ』の許しが得られているというのであれば文句を云う筋ではない。 ただ。ただ、戸外でこういう無防備な格好をされては困るのだ。 そのあたりのことをなんといって説明すれば、二人は理解してくれるのか。 しかしキールもソルも微妙にやましい私情が絡む分、毅然とした態度がとれず言葉に説得力がない。 ましてトウヤもハヤトも齢の割に賢いとはいえ子どもなので、もにょもにょと曖昧に口ごもられても理解できない。 得も言われぬ緊迫感にその場の空気が強張るが、当事者たちは囚われてしまって身動きできない。 鏡に囲まれたガマじゃないけれど、だらだら冷汗を流しながら四人で睨みあっていると、その時。 『お兄さま』と呼びながらぱたぱたと駆け寄ってくる軽い足音が聞こえてくる。 「「「「 ! 」」」」 ある意味雰囲気ぶち壊し、ある意味では救いの神的その気配に、一同一斉にそっちを見る。 「お兄さま」 「キール兄さま、ソル兄さま~!」 長い黒髪をなびかせた困り顔の美女と、 明るい栗色のショートカットを揺らした半べその美少女がものすごい勢いで駆け寄ってきた。 「あ」 「うわ、まず……」 一難去ってまた一難。 まずい時にマズイ相手に会ってしまった。 そんな顔で及び腰になった二人を、トウヤとハヤトは訝しむ眼できょとんと見上げた。 いつも悠然とした態度を崩さない (……という訳ではないが、目に贔屓という名の分厚い幕がかかっている嫁っ子たちには見えていない) キールとソソルの、そのらしからぬその様子に、不信と不安がこみあげてくる。 「「 ? 」」 ―――― あの女の人たちはいったい誰? 思わず顔を見合わせて、トウヤとハヤトは寄り添いあった。 イヤ、誰なんだもなにも、キールとソルの二人に向かって『おにいさま』と呼んでいるのだ。 彼女たちはセルボルトの血族で、キールとソルの実の妹たちなのだろう。 だとしたら、自分たちが嫌な顔をするのはとても失礼だ。 推測はつくものの、はじめて見る顔にトウヤとハヤトが首をかしげている横で、 新たに登場した女性たちは、なんと。 なんの迷いもためらいもなく、キールとソルの胸の中に飛び込んだ。 「「 !! 」」 新たに登場した女性たちは、それぞれ面影の似ている相手をオニイサマ、と呼びながら、 飛び込んだ胸にぴったりくっついて甘えている。 なんで!? その光景を目にした瞬間。 花嫁二人の背後に。 ぼうううううっ! と、そりゃもう筆舌尽くしがたい巨大な炎が燃え上がった。 それと同時にいつも明るく朗らかなハヤトの童顔と、 にこにこと穏やかな微笑を浮かべたトウヤの麗顔からすとんと表情が抜け落ちる。 だってそうではないか? いくら実の姉妹とはいえ、 自分たちの目の前で他の女がキールとソルを『にいさま』と呼んでべたべたするなんてあんまりだ。 兄さまたちに抱きつくことができるのは、嫁の僕たちだけのはずなのに……。 自分たちだけに許された特権だ、と思っていたはずの行為を、 目の前で当たり前のようにされてしまった二人の顔が引きつった。 『嫁の身で旦那さまの浮気をとやかくいうなんてはしたない』と教育された。 教育係の言葉によれば、こういうときは妻たるもの、 『忍の一文字で耐え忍び、見なかったふり』をするのが正しい作法であるらしい。 その時は『わかりました』と素直にうなずいていたのだけれど、どうしてだろう? 実際その立場に立ってみたら、苦しくて悲しくてどうしていいのかわからない。 どうしてなのかは解らないけれど、なんだか急に食べすぎた時みたいにむかむかと胸がつかえて苦しい。 胸の奥がじりじりして、大声を上げてその辺のものを壊して回りたいような凶暴な気持ちが抑えられない。 教育係の言葉に従うのなら、 この場からそっと離れてすでに遅くなりすぎている食事の支度を始めるのが正しいのだろう。 けれどどうしてもそんな気になれず、 二人は爛々と殺気のこもった眼差しで大さわぎしている四人の男女を凝視した。 「う、うわ、カシス! なんだよいきなりって、ぎゃああっトウヤ! 浮気じゃないぞっ!!」 「離れなさいクラレット! あ、ちがっ……違うんだハヤト、違うから誤解しないでっ!!」 キールもソルも有無を言わさぬ勢いで飛びつかれて、反射的に抱きしめてしまったわけなのだが……。 嫁っ子二人の恨めしげな視線に気付いたヘタレな亭主は、 共にあわあわと狼狽えながらとりあえず云い訳の言葉を絶叫した。 (続) 珍しく女の子たち登場です。 |
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