+あの桂+

「あんな娘をどこが好いんだ、と訊かれると、さあ、ちよつと一口に言へないが」
さう云つて、しがないSS書きだつた男は話し出した。
 彼女はただ普通の同級生役として、マリみての片隅にこつそりと出てきてゐた
のです。私も特別、彼女に注意を払つてもゐませんでした。それほど、彼女は、
ただのモブキャラでした。年は十七八だつたでせうか、テニス部であるといふ事
も、後になつて知る始末でした。
 彼女は、見たところそんな風で、人物にも性情にも特長のない娘でしたが、最
初の頃は、黄薔薇革命に巻き込まれたり、『パラソルでさして』で柏木さんの真
似をしてみたりと一応の出番といふものががありました。
 そのキャラは、たいして悲劇的なものであつたり、話の筋に深く関わつてくるや
うなものではなかつたが、やはりハイスクールオーラバスターでいふところの亜衣
ちゃんくらいの役割ですから、祐巳の巻き込まれる非日常との接点として、その
キャラが一種間のぬけた好もしい感じを与へました。
 そしてこのミーハーな同級生といふ位置が、イエスでもノーでもなひやうな、そ
れでゐて、リリアン女学園といふ背景を呑込んで、上手に円滑させてゐるやうに
も思えるのでした。だからある時などは、とても聡明な才女にさへ見えるのでし
た。さうかと思ふと、とてもとんちんかんなキャラであることもありました。
 アニみての第一期が終わりに差しかかつた、なんでもヴァレンティーヌスの贈り
物の頃だつたと思ひます。カードを争奪する回の事です。トイレに逃げ込んだ祐
巳の前には、その少女がこちらへ驚いた顔を見せて、窓から逃げていく祐巳をぢ
つと見てゐる筈だつたんです。
 よく原作つきアニメの中などで、意識してゐないと忘れてしまいさうな、そんな
原作のワンシーン、無自覚と自覚の間で自由な開放せられた美しさや、そもそ
も意識さえもされないさり気無い仕草などの肉体的な無意識がもたらす背景の
奥ゆきやあまりにも無意味にも見える其の所作が反つて、視覚的な吸引力にな
つてゐることを、屡々見かけます。
 また人が誰にも覚えられないで、たつた一人だけ覚えてゐるシーンが忠実に再
現されている時に感じる優越感にも似た悪魔的な喜びを感じることがあります。
ことにそれが萌えキャラである場合、さも自分と二次元のキャラとの間に、何等
かの不思議な関係性さえをも見せてくれるものです。丁度そんな機会だつたの
です。
 祐巳は庭の方から窓をよじ登り、ガラス戸の外からトイレの中へと入りました。
祐巳はそのまま一生懸命にまた外に出て走つてゐるのではないですか。そのま
ま、どうやつて少女を出すつもりなのか見てゐると、結局そのまま出て来なゐま
まシーンは終つてしまつたのです。自然に物語は進んでゐき、カードは隠され、そ
して見つかるとゐう肝心な場面へと移行しているとゐのに、私の中にはある想念
しか存在しておりませんでした。
 私はあぶなく片手に持つてゐたビール缶を取り落としそうなになりながらも、
すぐに、何か不思議なものに打たれて、真剣な心持ちになつてきました。
 それは少女が出てこなかったためではありません。不自然なダイジェストにでも
ありません。私は黙つて見てゐられなくなつて、ブラウン管を揺るぶりながら「桂
さん」と呼びかけました。その娘は、桂といふ名でした。
 それでも桂さんの姿は何処にも見当たらず、シスプリリピュアの様なエンディン
グだけが流れてゐました。そして終つてしまつたのです。
 あの、ちらと影も差さず、すぐ消えていつた瞬間のせつなさは、その後のアニみ
てに於いて、肝心の場面全てが削られ、あまつさえ姿さえも見えなくなるといふ
予感と同じであつたのかもしれません。私はたうとう桂さんをその後、原作の中
でさえ見ることが出来ませんでした。


元ネタ:竹久夢二『ある眼』




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