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-二条と蓮さん5 キスはぬるくて甘い毒-



 二条は変なやつだ、と思う。初めて出会った日から変だった。だだっ広い河原。一人きりの発声練習。見ず知らずの俺に語った夢。
 出会ってからもずっと変だ。人間の底辺以下の俺に、話しかける、構う、側にいる。
 高校生などけして暇な身分ではないだろう。いったい何をたくらんで、俺に興味を持ち続けるのだろうか。

「蓮さん、かわいいな」
「は?」
 そんなことを考えていたらまた変なことを言い出したので、俺は読んでいた週刊マンガ誌から目を離した。
「きちんとストロー挿してるから」
 いつものように床に座っている。俺はベッドに寄りかかり、二条は少しだけ離れたところで。
 部屋の隅にはあいかわらず読み終わった雑誌や色とりどりのゴミが所狭しと積んであった。ゴミの日なんてものは覚えていられない。仮に覚えていたところで、間に合う時間に起きていたためしがない。
「挿すためについてるんだろう」
 横についたビニールの残骸を引っ張る。
「こうやって飲んだほうが楽なのに。ちまちま吸ってるのがかわいいんだ」
 そう言うと二条は一リットルの紙パック牛乳を一気に飲み干した。俺に買ってきてくれたのは、その半分の容量の甘すぎるミルクティーだった。
「馬鹿か」
 汗をかく青いパッケージ。口をつけるのが急に恥ずかしくなる。そもそも、律儀に全部飲む必要などないのだ。
 だってこいつがいるんだから。
「もういらない。やる」
 パックを足で押しやると、二条はいつも通り呆れてみせるかと思ったのに、全然違うことを言った。
「ね、蓮さん。そんなことより、そろそろしようよ」
「……何を」
「『間接キス』よりすごいこと」

 何を、また、ふざけたことを。
 俺は二条の目を見つめた。分厚いレンズ越しの透き通った瞳。底のないブラックホール。吸い込まれたら二度と戻れない。
「蓮さん」
「は」
 声がかすれた。
「俺はね……蓮さんに『足りない』って言わせたいんだ」
 ごくりと喉が鳴った。
「『足りない、もっと欲しい、もっとちょうだい』って言わせたい」
 まばたき一つしない真っ黒な対の穴。
 ……吸い込まれたら二度と、戻れない。
「ばか、か」
「馬鹿だよ。俺は夢を見る馬鹿だ。夢を見て、それを全部叶えるまで気がすまない大馬鹿者なんだ」
 二条は笑った。子供みたいに無邪気に笑った。
 しかし子供は笑わない。夢見る自分を馬鹿だと笑いはしない。
「蓮さんには夢がある? これを叶えるまで死んでも死にきれない……そんな夢」
 無い、と答えるべきだったのだ。
 夢なんてない。希望もない。生きている意味も、理由すらも無い。
 なのに脳裏に一瞬浮かんだのは「虹」。……雨上がり、このマンションのこのベランダだった。
『れんー、ほら、ってば。ちょっと来てよ』
 呼ばれて重い腰を上げた。むっとする空気をかきわけて狭い部屋を横切り――はっと目を奪われた。
 下には遠く、大きな川の流れ。もくもく入道雲が立ち上がって連なり、モノクロの風景を織り成す。
 そこにふっと、まるで夢を見たような虹が浮かんでいたのだ。
「……夢なら、見たことがある。でももう忘れた。昔の話だ」
 つぶやくと、二条の輪郭がなぜかぼやけた。眼鏡の黒縁だけがくっきりとしていた。この馬鹿げた分厚い眼鏡で、こいつはいったい何を隠しているのだろう。たくらんでいるんだろう。
「蓮さん」
 呼ばれて、目を閉じた。二条の顔のゆっくり近づいてくる気配がした。
 甘すぎるミルクティー。
 紙パックはもう、汗もかかないくらいに微温りきっていた。






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