拍手ありがとうございます。 いつも押してくださるかたに素っ気ないなあということで、こっそりたまに追加している拍手お礼文ですが(ひさしぶりですね;)、今回もかなり以前書いたものですが、引っぱりだしてみました。 ……別名義で書いた新選組掌編です(コピー誌だったのですが、もしかしたらご存じのかたもいらっしゃるかも)。 近土というわけではなく、彦五郎さん+歳+近藤さんという感じですが、「天狼」を書くときに、この掌編が頭のなかにあって、ああいうなれそめになりました(わたしのなかでは、彦さんってかなりおいしいポジションです)。 よろしかったら以下、どうぞごらんくださいませ。 蒼雲 草履をつっかけながら、土方歳三はのぞいてゆこうかどうか迷っていた。 というのも、道場で稽古のつづいてるにぎやかな声がもれてくるのだ。門外漢ながらもときおりこうやって剣術の稽古をのぞくのは、かれのささやかな楽しみでもあった。 が、姉ののぶからは使いをたのまれており、歳三はこれから石田の実家へとゆかねばならなかった。姉がこの武州多摩郡日野宿の名主である佐藤家に嫁いでからというもの、ますます歳三はこの佐藤の家にいりびたるようになっている。もとより土方家と佐藤家は縁戚であり、義兄である佐藤彦五郎も歳三の従兄弟にあたる。おさないころから出入りをしているこの家ではあったが、こうやってわるびれなく居候を決めこんでいられるのも、やはり姉の存在が大きいのだ。急ぎの用だとは云われなかったが、道場で油を売っているのを姉に知られたならば、広い庭をすべて掃くようにと云いつけられるかもしれない。 さわやかな、いい日だった。 のぶには逆らえない歳三は、石田へゆこう、としぶしぶ心を決めた。 そのとき、 「先生」 とよぶ彦五郎の声が聞こえ、歳三の足は止まった。 ああ、今日は周助先生(じいさん)がきているのか。 歳三がじいさんとよぶ近藤周助は、江戸牛込柳町にある天然理心流「試衛館」の宗家である。義兄の彦五郎はその天然理心流の門人であるが、この自宅の長屋門を改築して剣道場をつくり、この佐藤道場はこうやって年に何度か江戸から出稽古にくる周助らの拠点のひとつともなっている。 そういえば先ほど、姉が風呂の用意をするように云っている声がしたのを聞き、だれか客でも来るのかと、歳三は不審に思ったのだった。 周助ならば歳三もよく知っている。 この道場ができた時分から何度か顔を合わせているし、門弟でもないのに直に手を見てもらったこともあった。 周助は歳三の顔を見ると入門しろ、としきりにくどいた。 道場でみようみまねで竹刀を振る歳三をみては、筋がいい、と誉めるのだ。もちろん歳三にしてもうれしくないわけがない。が、歳三はまた、自分が彦五郎の義弟であるのだということもじゅうぶんに自覚していた。天然理心流の支援者の身内を、まさかけなすわけはあるまい。 それが、歳三がどんなに熱心に誘われようとも、ずっと頑なに正式な入門を拒んできたほんとうの理由でもあった。 その近藤周助が養子をとるのだ、とは歳三も義兄の彦五郎からきいている。たしかに「じいさん」と歳三が呼ぶとおり、周助は老いを迎えつつあり、こうやって多摩を廻りながら剣の指南をするのは一年ごとに億劫になってきているのかもしれなかった。その養子になる宮川勝五郎という少年は、年も歳三のひとつ上、剣筋もなかなか見どころがあり、次期宗家をゆずることを見こんで、周助のたっての希望で養子に迎えるのだという。 もしかするとその勝五郎が同行しているのかもしれない。 歳三は好奇心に負けて道場へと向かった。 次へ |
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