「ねぇ」
  「あ?」


   凛とした空気。
   抑え目に落とされた間接照明の明かりが、ゆるゆると室内を淡く照らす。
   自分の部屋に負けない程シンプルに纏められた部屋に鎮座する、
   アクセントの様に色を差す真紅のソファに、私は足を縮こめた様な格好で座っていた。


  「寒い」
  「…暖房入れてるだろ」
  「でも、寒い」


   所謂「体操座り」でソファに上がり、さらに足先を掌で包みながら擦る。
   身体は別段寒いということはないけれど、私は極度の冷え性なのだ。
   女性には多い体質とは言うが、それでも辛い事に変わりはない。
   一向に暖まらない足先を見つめながら、あぁそうだ手も冷たいからそれも仕方ない、と
   妙に納得しつつ、私は隣に腰掛ける男へと視線を遣った。


  「俺はこれ以上温度上げたら暑いんだよ」
  「どーぜ妖一に冷え症の辛さなんて分からないのよ」
  「わかんねーな」
  「鬼っ」


   TVのリモコンを右手に収めたまま、その長い脚をゆったり前へ投げ出し、
   片足を組んだ格好で彼の左隣に座る私を見下ろしてくる。
   別段厚着してる様子もないのに、彼は全く平然としている。
   なんて不公平な、と内心愚痴を零しつつ、ますます冷たくなってきたような足先を握り締め、
   私は蛭魔を恨めしそうに睨み付けた。


  「あー、わかったよ。おら、貸してみろ」
  「あ、や、ちょっとっ」


   突然、蛭魔は私の方へ向き直り、私の手の上からもう一回り大きな掌で、足先をすっぽりと包む。
   じ、ん。と伝わる人の体温。ソファの上で無理な体勢となり、
   逃げる事も出来ず視線と視線がかち合う。


  「なんだこれ、手も無茶苦茶冷てーじゃねぇか」
  「だから言ってるでしょっ。冷え性を甘く見てたら痛い目にあうんだから」


   足先を取られている為、重心が後ろへいってしまって思うように身動きが取れない。
   先程は咄嗟の事だったとはいえ、段々気恥ずかしさの方が勝ってきて、私はなんとか体勢を直そうと
   身動ぎを繰り返していた。
   手の自由だけはどうにか取り戻し、私はあまり力の入らない腕で蛭魔の肩を押す。

  
  「も、ちょっと妖一…」
  「いいから黙ってろ。こうすりゃ暖かくなんだろ」


   その途端、擦ると言うよりはぐにぐにと足を揉まれ、突然の刺激を
   私の身体は擽られたと認識したらしい。
   あまりのくすぐったさに手足は勝手に暴れてしまう。

  「や、あは、あははははは」
  「っ、てめ、暴れんな!」
  「だ、って、くすぐったい、もん!」

   意地になっているのか、足を離そうとはしてくれない蛭魔。
   いや、意地になっているのは私も同じかもしれない。
   足を暖め(?)ようとする蛭魔と、どうにかその手から逃れようとする私。
   決着は、不意に動いた彼によってつけられた。

  「っあー!暴れんなっつってんだろ!」

   右の掌は、先程まで揉まれていた私の両足を。
   左の掌は、蛭魔の肩へ突っ張っていた、両腕を。
   それぞれ付け根から押さえこまれ、次の瞬間、私の視界は全て彼で埋め尽くされた。

   柔らかい感触。訪れる静寂。
   つけっ放しのTVから聞こえてくるはずの雑音が、酷く掠れて遠く聞こえる。

   気付いた時には、私の全身からはすっかり力が抜け、ソファに仰向けに
   寝かされた状態である事に気付いたのはそれよりもまた数巡の後だった。

  「妖、一」
  「なんだよ」
   
   蛭魔は、私の上にまるで覆い被さるような形で視線をぶつけてくる。
   足は解放されたが、両腕は未だ頭上のアームレスト付近で片手一本で縛られたまま。
   私は、彼の名前を呼ぶだけで精一杯だった。

   ふ、と目が捕らえたのは、普段より間近に映る彼の耳。
   繊細な耳輪が揺れるそのまだ先端が、ほんのり紅く染まっている事に気付き、
   口を動かすだけで精一杯だった身体が不思議と感覚を取り戻していくのがわかった。

  「耳、赤い」
  「うっせぇ」

   仏頂面のまま僅かに視線を逸らし、だが自分の上から退く気はないらしい
   蛭魔に、私はくすりと笑った。

  「ねぇ、妖一」
  「…なんだよ」

   彼の顔までは届かない。
   私は、自分の顔の横へ体重を支える為に突いた蛭魔の指先に、そっと唇を寄せた。

  「暖かくなったよ」
  「…そっかよ」





   音を取り戻したTVでは、見た顔のキャスターが冬の訪れを在り来たりな言葉で告げていた。





   それは、ある日ある冬の、ほんの些細な出来事。



ついでに一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)

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