母の日
今年の4月から通い始めた小学校。
新しい環境にも全く臆することなく楽しそうに毎朝出て行くまだ小さい彼に心配は無用の長物だ。

ピンポーン。

鳴り響いたインターホンに玄関へと向かう。

がちゃがちゃと施錠されたドアを揺するのは、いつものこと。

「おかえり」
「きりちゃーん!ただいま!!」

鍵を開けると同時に走ってきたのか顔を赤らめて肩で息をしている甥っ子の姿を目をぱちぱちとさせながら見返す。

「走ってきたの?」
「うん!あのねあのね。はい」

と手で持っていたものを差し出す。
きょとんとした目で小さな手のひらの中にあるものを見つめる。

それは、折り紙で作られたカーネーションだった。

「あ…」
「あのねー。あした、ははのひだからねー。がっこうでつくったのー。かいりのママはいないからきりちゃんなのー。いつもありがとー」

握り締めて走ってきたのだろうそれは海里の手の中でぎゅっと握りつぶされ形が崩れている。
その分、海里の気持ちが伝わってくるようで―。
嬉しいという言葉以外、何も見つからなかった。

海里の手から受け取ると笑みを浮かべて「ありがとう」と希莉が言うと海里はさらに嬉しそうに破顔させて「うん」と頷く。





仕事から帰ってきた怜迩が机に置かれたそれに気づいて小首を傾げた。

「何だ?これは?」

食事を食べていないという怜迩のためにキッチンで準備をしていた希莉が怜迩の不審げな声に顔を上げると、彼は昼間希莉が海里から貰った折り紙のカーネーションを翳すようにして見ていた。

「海里がくれたんです。明日、母の日だからって」
「母の日?」

怪訝な顔つきをした怜迩に希莉は大きく頷く。

「学校で作ったみたいで…今も一生懸命部屋で作ってますよ」

くすりと笑って答えた希莉に怜迩は、ますます首を傾げた。

「お前に渡すためにか?」
「違いますよ」

怜迩の問いに苦笑を浮かべる。

「じゃあ、誰に?」
「お母さんと綾さんに渡すんですって」

と言う答えを聞いた瞬間というよりも実母の名が出てきたとたんに、怜迩は眉間にくっきりと皺を寄せた。
丁度、部屋から出てきた海里が帰ってきた怜迩を見つけて突進してくる。
加減というものを知らない年頃故に歩く凶器のような小さな体を受け止める。

「れいちゃん。おかえりー!」
「ただいま…」
「あー。それは、きりちゃんのなの!だめっ!!」

怜迩の手にしている希莉にあげたはずのものを見つけて海里が大きな声をあげる。
困ったような表情を浮かべる怜迩に希莉が「貸してあげてただけよ」と笑いながら言うとなら仕方ないかとばかりに海里は吊り上げていた眦を元に戻して怜迩にもう一度飛びつく。
怜迩は、手にしていたものを机の上に戻すとひょいっと海里の体を持ち上げる。

「俺のはないのか?」
「ないっ!」

悪戯心半分でそう尋ねた怜迩に胸を張って答えた海里だった。





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海里を連れて母親の入院する病院に行った後、怜迩の実母である水原 綾のいる怜迩の生家に向かう。
本当は、病院に立ち寄ったついでに怜迩の顔を覗いていこうかとも思ったのだが、仕事の邪魔になると自分に言い聞かせてそのまま出てきた。
母親の喜ぶ顔を思い出しながら――。
彼女は、海里の手作りの折り紙のカーネーションと希莉からの本当のカーネーションの生花を受け取りくすぐったそうな顔をしながら笑っていた。

「ばぁば、よろこんでたね~」

と満足そうに言う海里を連れて病院を後にした。



連絡もせずに来てしまったのは、まずかったかと思いつつも恐る恐る呼び鈴を鳴らした希莉のもとに明るい声が聞こえてきて、その声の持ち主が自分達の用のある人物のものだと知ってほっとする。
突然、現れた希莉たちに最初は驚いたような顔をしたものの、笑顔で招きいれてくれる。
部屋へと通されると海里が綾に近寄っていき、自分が昨夜作ったものを差し出す。

「はい。ははの日のプレゼントなの」
「あら…まぁ」

最初は、面食らったような顔をしていたもののすぐに海里の目線にあわせるようにしてしゃがみこみながら海里の手から受け取り頭を撫でる。
その顔には純粋な笑みがこぼれていた。

「あの…私からも……」

遅れて希莉がおずおずと小さな紙袋に入ったものと小さな花束を渡すと嬉しそうに受け取る。

「何かしら?」
「シフォンケーキです。お口にあえばいいんですけど」
「あのね。あのね。きりちゃんのケーキおいしんだよ!ふわっとしててねおいしーの」

海里の力説っぷりに希莉が顔を赤らめて俄かに顔を俯ける。

「それは、楽しみ。みんなで頂きましょうか」
「いいの?」
「当然よ。本当にいい娘ができたわー。そこだけは、褒めてあげようかしら」

というのは、実子である怜迩のことだろう。

「あー!綾さんだけずるいっ!!」

突然聞こえてきた声に希莉だけでなく海里もびっくりしたような顔をした。

「お…オーナー…」

何故、忙しくて碌な休みも取れないはずの人物がここにいるのかと希莉が驚きながら彼の名を呼ぶと水原は、「違う違う」と言って希莉に近づいてくる。
海里は嬉しそうに飛びついていく。

「違うでしょ?」
「え…えと」
「パパって呼んで?」

希莉は顔に苦笑を浮かべたまま、どうするべきか困った。
ここにいない怜迩に助けを求めてみるが助けなどくるはずもなかった。



さて、この後どうなったのか……。

水原夫妻はたっぷりとその時間を愉しんだようであるということだけは、伝えておくことにしよう――。









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