~~~ 悩める鬼 ~~~




頭上から脳天を割ろうとするかのようにけたたましい蝉の声が降ってくるのを、
苛立たしげに土方が見上げた。

室内よりも涼しいはずの庭の大木の下は、通り抜ける風と共に
耳障りな音をも運んでくる。

「ちっ・・・」

短く舌打ちして、ドサリと木陰に腰を下ろす。



『神谷さんの件で、折り入ってお話が!』

常に有らざる硬い表情で、九つから知っている弟分が副長室を訪なったのは数日前の事だ。


『いっくら拒絶しても、あの手この手であの人に言い寄る人がいるんです!』

頬を膨らませ唇を突き出すと、息継ぎも忘れたように言葉を重ねる。

『確かにあの人は如身遷が進んで、女子のように見える時もありますっ!
 身体も少しずつ・・・』

何を思い出したのか一瞬で頬を染め、口元に手を当てた男は何度も大きく首を振る。

『で、でもっ! あの人は武士なんですっ! 土方さんだって、知ってるでしょう?』

据わった目で睨まれずとも、奇病に罹っている小柄な隊士の内面など
土方にしても熟知している。
余計な口を挟まず、小さく頷いた。
それに力を得たように、弟分の言葉が勢いを増した。

『そりゃ私だって、あの人の事を思えば、いっそ誰か良い男(ひと)に縁付いて
 新しい暮らしを送るのも幸せかなぁ、と考えた事もあるんですっ!』

それはそうだろう。
幕府御典医であり蘭方の大家という松本さえも、悪化する事はあれど
快癒は困難と言い切った病だ。
いずれは完全な女子と化す事がわかっている以上、その身に相応しい
暮らしをさせるべきかと土方も考えた事がある。
まして身内同様に慈しんでいるこの男が、その手を考えないはずはないだろう。

『でもねっ! あの人はココでっ! この場所でっ! どこまでも武士として生きたいと
切望してるんですっ! それが成らぬなら、生きる価値さえ無いとっ!』

じわりと瞳を潤ませて、一度言葉を切った男が続ける。

『私はっ! あの人の武士の魂を守りたいっ! 守ってあげたいんですっ!
 土方さんっ! 私は間違ってますかっ!』


食いつくような勢いに、首を振る以外の何が自分にできたのだろうか・・・。

土方の視線が木の葉の間から漏れる、眼を焼く日差しに向けられた。
僅かほどの邪念も無い、ただひたすらに真っ直ぐなあの眼差し。
あれに対して反意を口にできる要素は何一つ無かったはずだ。


『ありがとうございますっ! 大好きですよう、土方さんっ!
 では、力を貸してくれますよねっ!』

けれど抱きついてきた男が次に口にした言葉は、土方の全身に鳥肌を立たせた。




「あっ、神谷さ~んv」

一連の話を思い出し、眉間に皺を寄せた土方の元まで朗らかな声が届いてくる。

「おっ、沖田先生っ! 近づきすぎですっ!」

焦るようでいて、どこか恥かしげな可愛らしい声が、それに続く。




『じゃあ、今後神谷さんは局長副長公認の私の念友として扱いますねっ!
 あ、もちろん近藤先生には、もう許しを得てますから安心してくださいっ!』

キラキラと輝く瞳の弟分の言葉に、土方が絶句する。

『一番隊組長の念友ともなれば、妙な手出しをするものも居なくなるはずです。
 これ以上にあの人を守れる鎧は無いでしょう?』

それはそうだろう、と土方も思う。
神谷自身も総司を他の隊士とは別格に扱っているのだ。
総司が念友宣言すれば、ちょっかいをかける者は首が飛ぶのを覚悟せねばならない。

『大丈夫ですよ。私に男色の趣味はありませんからっ! ただ一から育てた愛弟子を、
 守りたいだけなんです! 本当は斎藤さんにお願いする事も考えたんですけど・・・』

『いや、それは・・・』

斎藤本人から神谷に対する恋情を聞いている以上、土方も火に油を注ぐような
マネは控えたい。
暗に自分は反対だと言う意味を含めて、視線を逸らした。

『そうですよねっ! 神谷さんは一番隊の隊士ですし! だったらやっぱり
 常に眼を光らせる事ができる私が、その役を担うべきですよねっ!』

かといって、実に嬉しそうに頬を紅潮させた弟分の顔など正視したくない。

男色では無いと本人が言う。
任務に関して信頼できる斎藤も、沖田と神谷は男色ではないと断言していた。

・・・・・・だというのに、漠然としたこの不快感は何だろう・・・。

今後は神谷の一切は自分に任せてもらう。
妙な手出しをしてきた相手は、幹部といえどそれなりの報復を覚悟してもらう。
自分の行為が一見本物の男色に見えようと、近藤と土方には妙な疑いを
持たないで欲しい。

まるで百万遍も繰り返したかのような滑らかさで告げられる弟分の言葉に、
土方は意識を遠くに置きながら、ただ頷くだけだった。




「ねぇ、神谷さんってばv」

「は、離してください、沖田先生! 洗濯物がっ!」

「洗濯物なんて朝のうちに全部洗ってしまったじゃないですか。
 貴女ってば働き者さんなんですから」

「そうですけど・・・いい加減に洗濯物を片付けないと、生地が傷んでしまいます。
 夏の日差しがとても強いのはご存知でしょう?」

「ええ~? そんな事、他の誰かに任せれば良いじゃないですか~。
 午後は一緒にお昼寝するっていう約束を、忘れたんですかぁ?」

「忘れてませんよっ! だから、少しだけ待ってくださいと・・・」

「待てませんっ! 私は眠いんですっ!」

「だったら先に部屋で・・・」

「嫌ですよっ! 貴女と一緒じゃないと、私はゆっくり休めないんですっ!」

「もっ、もうっ! 沖田先生ってばっ!!」


「あ、あの・・・神谷はん・・・」

遠慮がちに割り込んだ小者と思われる年嵩の男の声を最後に、
潜めたような言葉の断片以外土方の耳に届かなくなった。



「はぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・」

深い深い溜息と共にゴツリと背後の木に頭を打ちつけた。

“芝居”で念友のフリをする許しを土方からもぎ取って以来、一番隊組長は
一切の遠慮無く神谷にまとわりつくようになった。
朝も昼も夜も、のべつ幕無し、傍らに愛弟子を置いてイチャついている。

あまりの様子に斎藤に尋ねても、不機嫌な顔で「男色ではない」の一点張りだ。

だが・・・。


「神谷さん・・・大好きですよv」

「ちょっ、ちょっと! 沖田先生ってば! こんな場所でそんな事っ!」

「ここじゃない所が良いですか? 私は誰に聞かれてもかまわないですけど?」

「・・・・・・もうっ・・・」
 

恥らう高い声と、耳に馴染んだ男のこれ以上無いだろうという甘い囁きに、
土方は慌てて耳を塞ぐ。

「アレは芝居だ、芝居だ、芝居だ・・・」

自己欺瞞と承知していようとも、認めたくない事実はあるものだ。
神谷が女子に変じるなら、いずれ総司の嫁にすれば良いだろうと笑った
のんきな近藤の顔が脳裏に浮かぶ。
けれど神谷は元が男と知ってる自分は、そんな事を認めたくなど無いし、
未来永劫認めるつもりなどありはしない

「芝居だ、芝居だ、芝居だ・・・」


昼下がりの庭に盛大な蝉の鳴き声に、念仏のようにブツブツと続く
男の呟きが溶け消えた。



2011.07.13.~





ついでに一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
お名前
メッセージ
あと1000文字。お名前は未記入可。

簡単メッセージ