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以下、拍手のみにて公開の、『王と細工師』と関係ない連載、よろしければどうぞ。(現在三話まで連載中です)
>1.少女騎士と姫君
我が姫様を初めて見たのは、私がまだ騎士としての誓願すら立てていない歳若い頃のことだ。
その頃既に宮中護衛を任されていたために、目出度い春の宴の片隅で不届き者が出ないよう、私は緊張しながら目を光らせていた。王族が全て出揃うような大きな行事は稀で、春の宴は毎年盛大に開かれるその一つである。招かれる人間の数も内外問わず夥しい故に、もっとも王族の命を危険に晒す行事でもあった。
「ティナ・マラドガル・クライン様のお成りですって!」
いかような些事であれ取り逃すまいと耳をそばだてていた中、突如響き渡った甲高いその声に私はびくりとする。ティナといえば、その日先輩方から厳重に注意せよと伺っていたお方だ。今まで辺境にあって、隠された花として名高かった。いかなる御仁だろう。確か陛下の末の娘御であられたはず。
わっ、と今までになく扉の周辺が騒がしくなったのに興味深々で目をやって、私は唖然とした。
本物の金を溶かしたような色の、高く結われた艶やかな髪。王族貴族の乙女が集う場でその誰よりも白く、血色のよい滑らかな肌は、優雅なドレープを描く淡い花の色のドレスに包まれている。そして……何より印象的な、遠目ですら見とれるような、澄み切った深い青碧の瞳。誰もがその姿に目を奪われる中、現れた乙女はす、と背を伸ばし、笑んでみせた。
それに放心したように動きを止めた静寂の世界で、彼女は上品に一つお辞儀をすると、「皆々様、初めまして」と一言だけ述べた後、まっすぐに陛下の元へ向かった。
その美に打たれたものか、自然と人が避け、道が出来る中を注視に怖気づくことなく堂々と彼女は歩いていった。
ややあって宴の奥で待つ陛下の元へ辿り着くと、彼女は完璧な仕草で膝を折り、頭を垂れた。それは姫君というより、決闘直前の誇り高い騎士の所作のようであり、それに私は目を見張る。陛下はそれに動じたご様子一つなく、鷹揚にお声をかけられると彼女の顔を上げさせた。
「よくぞ参った、ティナ」
「お招きいただき有り難う存じます――――陛下」
「ああ。十二分楽しむがよかろう」
ぴりりと一方向に緊張した気配を漂わせながら、親子の会話にしては、それは実に簡潔に距離を持って幕を閉じた。彼女が再び戻ってくると、それまで影のように彼女に寄り添っていた彼女の兄たる王太子殿下が皆に向かって両手を広げた。
「斯様なまでに美しい我が妹姫に見とれるお気持ちはよくよく分かるが、皆様方が彫像と化してしまってはせっかく招いた楽団も飾り物となってしまう。それはあまりに勿体ない、さあさあ、気の向くままに踊り歌い、騒がれるとよい。今日という日は無礼講なのだから」
親しみやすいお人柄で知られる殿下の心のこもったお言葉と、彼の合図と共に奏でられだす音楽に、ようやく呪縛が解かれたように人々は動き出す。するとあっという間に美しい人は人ごみに紛れて見えなくなった。そのことに他の人々より遅れて身動きが取れるようになった私は、沸きあがる不思議な焦燥のあまりに思わず駆け出そうとして強く腕をつかまれる。
「待て、ラウラ」
「なに、ミカ」
苛々と問うと、相手は深いため息をついた。
「お前、どこへ行って、何をする気だ?」
「どこへって……」
答えようとしてはっとする。
「そうだ、やめとけ。俺たちみたいな下っ端がいくら護衛の仕事があるとはいえ近衛でもないのに仮にも王族のすぐお側に行けるわけがないだろう」
私と同い年なのに、深みのある大人びた声で一気に言い切られて俯く。
今、私は何をしようとしていた?
帯剣した身で分も弁えず職務を見失って動くなど、うっかり首を刎ねられても仕方ない。
「すまない、恩に着るよ」
控えの位置に戻り、身を正すと隣で彼は笑った。
「気にしなくていい。しかしお前の様子を見るに……あれって女でも心を奪われるような美貌なんだな」
「え?」
顔を向けずに私は思い切り首を傾げる。
「ミカは何も感じなかったの?」
「いやまあ、かなり見目が整っているとは思うけど、それだけ。あの王族の一家ではあるし想定の範囲内だろう? 俺にはあの姫が気の強そうなお人形に見える」
「気の強そうな人形? 随分な言い草だ」
確かによく貴族の子女に見られる、お菓子のような甘さはどこにもなくて、かえってどこか強かで冷たい雰囲気を纏われた方ではあるが、彼のあんまりな表現に私は憤慨した。
「陽の光に透き通って美しく煌く、氷の花みたいなお方だと私は思うけど」
彼女の金の髪と青碧の目の輝きを思い出しながらそう言葉を選んで私が述べると、隣で吹き出す声がした。
「くくっ、まさかお前が詩的な表現を持ち出すなんて思わなかった。ティナ姫に誓願をたてたいとか言い出しかねないな、その調子だと」
その言葉に私は思わず彼へと目を向けた。そうか、誓願をたてて近衛騎士となれば、あの誰よりきらきらとした方の傍にいるのになんら障害はない!
目を輝かせて「成る程」と私が深く頷いたのを見て、彼のやわらかい榛色の目が見開かれた。
「おい、冗談だろう? ラウラ?」
「ありがとう、ようやく目標が出来たよ、ミカ。そうなると、まずは白鳳騎士一の腕にならなければね。休日の訓練を上乗せするか……いや、それより」
「待て、あのな、ラウラ。あの方は確かにお綺麗な人だけれどその母君は……」
慌てたようになにかを言いかけたミカの言葉は、グラスの割れる音で遮られた。途端、和やかだった宴の席に緊張が走る。その最中に、やはり件の姫君がいた。
その美しい髪は濡れ、淡い色の彼女の衣装は暗い赤紫の色に染まりだしていた。
「汚らわしい身の上で、よくもこの場に顔を出せたものね。厚顔な『お姫様』」
彼女を見下して高らかに嘲笑いながらも、下品どころか高貴に映る女性は、気性の激しいと噂の彼女の姉姫様である。騒ぎに駆けつけた王太子殿下が、葡萄酒に濡れたティナ姫に手巾を手渡し、庇うように前に立った。
「アイロラ、やりすぎだ」
「どうしてお兄様はこの者の肩を持つの? まさかご存じない? この娘は」
「アイロラ!」
温厚な殿下には珍しく声を荒げるのに、周囲の温度が幾許か下がったような空気の中、平然としているものが一人いた。手巾で顔を拭い終えたティナ姫である。化粧が多少乱れても、その美しさに翳りは見られず却って息を呑むような色香が漂っている。
「構いません、兄上。お退きくださいませ」
「しかしティナ」
「大丈夫です」
きっぱりと告げると、彼女は殿下の前に出て姉姫と向き直り、まだ少女と呼べる年頃の娘に似合わない威を持って相手を睥睨した。
「そうです、あなたが仰るまでもなく、私には娼婦の血が流れております」
その言葉にざわめきがあがる。「噂は本当だったのか」「信じられない、あんなに美しいお方が……」「正妃の娘ではなかったのか」――――、私も少なからず動揺した。だが、市井に生きる者の一人として、それは貴族の受けた衝撃ほどではなかったために、寧ろ陛下を貶めるような言葉を放ってなおそれを糾弾したアイロラ姫のお心が分からずに困惑してしまう。ティナ姫が余りに開け広げにそれを言ったせいもあるかもしれない。彼女はざわめきに動じる様子が欠片もなかった。おそらくこのような事態は予め覚悟して、この場に現れたのだろう。
「しかし貴女の蔑むような存在へと、貴女はこの上ない歓迎をしてくださった」
彼女は唇をぺろり、と舐めた。そのしどけない仕草に、男たちがごくりとつばを飲むのを見渡して、嫣然と彼女は口を開く。
「初めて味わいました。王族のみ口にすることが赦されるという『神の血』。噂のとおり赤い薔薇の香りがするのですね。とても重たい味の馨しい葡萄酒だと伺っていましたけれど本当だわ。美味しい。残念ながら未だ成年には至らず、今日口にすることはとても叶わないと思っておりましたから思わぬ僥倖でした。このように私を、王族の一員とお認めくださるとは嬉しいこと」
その言葉に唖然とする姉を彼女は真っ直ぐに見つめた。
「『素晴らしい歓迎』、痛み入ります、姉上」
辞儀を受け、さっと姉姫の顔が青褪める。それに対して、その淡い色のドレスにはっきり浮かび上がっている無残な葡萄酒の染みすらあえかな美しい花の模様であるかのように凛然と振舞う妹姫。この舞台の主役はもはや明らかだった。
やがて怒りからか、かっと頬を染めた姉姫が退出し、妹姫も衣装の汚れたために殿下に連れ出されると、一気に人々は幼い姫の勇姿を語り、称え始めた。その中にあっては、彼女の出自を卑しいと蔑む者は声を低めるしかなかった。
「……格好いい」
「おーい、ラウラー?」
彼女の去った後を、ミカにはたかれるまで護衛の任も忘れてうっとり見ていた私は、いつか必ずや彼女に誓願を立てることを胸に誓った。
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