拍手SS  アキヒカ子





ちびラブ 5 (1)



過去の拍手SSにある、ちびラブ2の前くらいの話でしょうか…… アキラくんは小学1年生です。








風を切り裂いて、新幹線の先頭が駅に入って行く。
空気の漏れるような音と共に開いたドアから、ヒカルはホームに降り立った。
ぐるりと見回した目の先に、ホームの丸い時計がある。


「あ~あ、もうこんな時間かあ…… これじゃ、まっすぐ家に帰るしかねえな」


思わずヒカルは呟いた。すでにあたりは暗くなっている。
ついこの間まで長々と陽が照っていたのに、すっかり夜が来るのが早くなってしまった。

この土日、ヒカルは棋院主催の一泊イベントに借り出された。
二日目にヒカルの仕事はあまりなく、さっさと早く帰ってくるはずだったのに、
ついつい公開対局に見入ってしまい、帰るのが遅くなってしまった。


「しょうがない。アキラにお土産渡すのは、また今度だ」

ホテルの売店で買ったお土産の入った手提げをぶらさげて、ヒカルはホームを階段を
のんびりと下りはじめた。
だが、乗り換えのコンコースでふと見覚えのある顔をみつけ、足が止まる。



「あれ……? あの人」

多くの人が行き交う通路の向こうに、知り合いの若手男性棋士がいる。
その傍らには妙齢の美女が笑顔で寄り添い、仲睦まじく歩いていた。
思わず大きな目でヒカルは二人を追いかけた。

実は彼が女性と歩いているのを見るのはこれが初めてではない。
つい先月もヒカルは、彼が女性と歩くのを街で見かけていた。
そして今、彼の横にいる人は、その時の女性とは違う人のようだ。

やがて二人は水のように流れて行き、すぐにその姿は見えなくなっていた。






「わあ、しんどう、どうもありがとう!」

数日後、研究会の後、ヒカルからお土産を手渡され、アキラは色白の頬を輝かせた。
ヒカルは塔矢門下ではないのだが、最近では普通に研究会に出現し馴染んでいた。

まだ夏の余韻はたっぷり残るが、それでも季節の主役はゆっくりと秋に譲りつつある。
以前より長く伸びてきた日差しが、明るく畳を照らす客間の中で、
アキラは嬉しそうに袋から中身を取り出した。
小さな手の中に、動物のマスコットがついたストラップが大事そうに握られる。
アキラはにっこりと目を細めた。


「おもしろい、たぬきだね」
「ちげ~よ、タヌキじゃねえよ。よく見ろよ」
「え?でも……」
「どれどれ~~~?」


戸惑うアキラの横から芦原が覗き込んできた。
見るとアキラの手の中には、タヌキともなんともつかぬ、得体のしれない動物キャラクターがあり、
大きな顔とどんよりとした目が、妙に重いインパクトをこちらに与えている。
芦原は一目見るや、得意げな顔をした。


「アキラ~~ こりゃ猫だよ。猫のストラップ」
「ねこ……」
「そう、猫!しかし変な顔の猫だなあ……」
「ちげーよ、もう~~ 芦原さんまで何言ってんだよ、クマだよクマ!!」


嘆かわしそうに声を上げ、ヒカルが二人を睨みつける。


「最近話題のご当地限定ゆるキャラ・どん君だよ! かわいいだろ~~
こないだ行われた全国ゆるキャラコンテストでも、ベスト5に入ったんだぞ!?」
「ベスト5………」


これが――?? と、芦原が複雑な顔になっている。
激しくデフォルメされ、顔のパーツも狂い、芦原にはどこがいいのかわからない。
これを可愛いと言うヒカルも、ベスト5に選んだ全国の皆さんのセンスも正直、謎だ。
だがアキラは素直に喜んだ。


「そうなんだ、すごいんだね」
「だろ?オマエ、こういうのウトイから買ってきてやったんだかんな、大事にしろよ」
「うん、しんどうからもらったんだもの、ボクだいじにするよ」
「よかったな、アキラくん。ランドセルに付けて行ったらどうだ」


座卓でお茶を飲んでいた緒方が、笑いながら声をかけてきた。


「案外、学校でモテるかもしれないしな」
「えっ、もてる?このクマで??」

途端に芦原の顔が引き締まった。


「もてるかあ…… ううん、そうか~~ じゃあ、オレも今度そうゆうの買おうかな~
そしたらモテルかな? ねえ、どう思う?進藤くん」


畳の上をにじり寄る芦原の顔が、いつになく真剣だ。
だがヒカルはそれを無視して、のどかな声をあげていた。


「そういえばさあ……オレ今まで考えたことなかったんだけど、
棋士ってもてるのかなあ。芦原さんは別として」
「「えっ!?」」


その時、客間にいた男性棋士の目が一斉にヒカルを見た。
塔矢門下には女性棋士がいない。
つまりこの日、留守だった行洋以外の全員の目がヒカルに向けられた。
そしてその質問に、それぞれ勝手に応えはじめた。


「そうだなあ、まあ、確かにもてないことはないな」
「昔は爺臭いとか言われたが、今はずいぶん印象も変わってきたようだから」
「イベントでも若い女性が急に増えたし」

気のせいか、口々に言う皆さんのお顔が少しばかり自慢げだ。
どうやらまんざらでもないらしい。


「まあ、上位に行く棋士はマスコミに顔も出るし、確かにもてるだろうな。
いつまでも1次予選、2次予選をうろついてる奴はわからんが……」


緒方が煙草を片手に、ちらりと芦原を見る。
芦原は海の水でも飲んだみたいな、しょっぱそうな顔でうなだれていた。




「そうかあ。棋士ってパフォーマンスは地味だけど、知的で物静かに見えるもんなあ。
だからもてるのか……ふ~~ん……なるほどね……」

妙に感心したような顔でヒカルが納得している。
その横でアキラは不思議そうな顔でヒカルを見ていた。


「しかし進藤、どうしたんだ急にそんなことを訊いてきて」
「あ~~ ちょ、ちょっとね。 あ、じゃあさ。
緒方先生の知ってる棋士の中で1番もてるのって誰?」
「なに……」

緒方の目の淵がぴくりと上がる。ヒカルはにんまり笑い返した。

「まさか自分だなんて言わないでよね~」
「ばかもの!当たり前だ! 誰がもてるかなんて決まっているだろう!」


突然、緒方は立ち上がり、白スーツの腰に手を当て、胸を張る。


「今の棋界で1番モテると言ったら、それは塔矢先生に決まっている!」


緒方は誇らしげに宣言した。門下一同の棋士がうんうんとそれに頷いている。
畳にぺたんと座ったまま、ヒカルはその光景をぽかんと見つめ―――
やがて、あどけなさを残した眉をみるみる顰めて呟いた。


「………マジ……?」
「なんだと!」
「や、だって、塔矢先生、晩婚だし~~ おムコに行きそびれたんじゃねえの?」
「ばかもの違う!」

緒方の激しい剣幕に、ヒカルは慌てて畳の上を後ずさる。


「え~~~だって行洋先生はさ~~ すげえ碁バカで気がついたらイイ年になってて、
最後に来た見合い相手の明子さんに、頼むから結婚して下さいってお願いしたんだと、
オレ思ってたんだもん……」

「………だからつくづくオマエは失礼な奴だと言うんだ! いいか、行洋先生の
華々しい武勇伝を教えてやる!先生はな―――」

「緒方さん?」


その時、緒方の後ろの襖がすっと開き、しっとりとした声が客間に響いた。


「ずいぶんにぎやかね。お茶とお菓子のおかわりいかが?」


柔らかな笑みを浮かべ、静かに明子が立っていた。
その手には盆があり、大ぶりの急須とお饅頭が乗っている。


「あ、明子さん……」
「やった。クリ饅頭、オレ大好き~~」

ヒカルは無邪気な笑顔で立ち上がり盆を受け取った。が、緒方の顔は一瞬で強張っている。
明子は穏やかな顔を緒方に向け、おっとりと話し続けた。

「急用で行洋さんがいなくて申し訳ないと思ったけれど、こんなに熱の入った研究会が
開けてとても良かったわ。緒方さん、どうもありがとう」
「い、いえっ」

固い声で返事をし、緒方は明子が再び襖の向こうに消えるまで、直立不動で見送った。
明子が去り、折れるように座り込む緒方にヒカルが続きを催促する。



「で? 緒方先生、塔矢先生の武勇伝、教えてよ」
「バカやろう………空気を読まんか」

冷ややかな目でヒカルを睨み、緒方は手で額の汗をぬぐった。



そしてヒカルが何度頼んでも、とうとう話の続きは語られずに研究会は終わってしまった。
門下の棋士たちが帰った塔矢家の縁側で、ヒカルはアキラ相手に愚痴っている。

「ちぇ、なんだよ、もったいぶって~~ 結局なんも教えてくれねえじゃん。
これだから大人って奴は~~~」

残った饅頭を頬張りつつ、不完全燃焼でくすぶるヒカルに、アキラはおずおずと口を開く。



「しんどう……」
「ん?」
「しんどうは、もてたいの?」
「はあ?」


饅頭を手にしたまま、ヒカルはきょとんとアキラを見た。
意外にも真剣なつぶらな瞳と目があった。


「う~~ん。オレは別にもてたくなんかねえな~」
「ほ、ほんと?」
「だって、もててもお腹がふくれるわけじゃねえもん」
「………………」
「碁を打ってる方がよっぽどいいじゃん。さあて、休憩終わり。そろそろ打つか~~」
「え……?打つって、ボクと?」
「当たり前だろ。その為にわざわざこうして残ってるんじゃん」


手の中に半分残った饅頭を口に放り込み、ヒカルが笑う。


「オマエ、研究会の間、ず~~っと自分の部屋でケナゲに我慢してたじゃん」
「あ、ありがとう!そうだよね、モテるより打てる方がずっといいね」
「そうそう。さあ、碁盤持ってこようぜ」
「うん!」


二人は同時に立ち上がり、客間の隅に置かれた碁盤に向かった。
空は早くも暮れかかり、縁側の向こうの庭から虫の鳴き声が聞こえ始めていた。









ちびラブ 5(1) 完


2012年9月12日



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