『幸せになりたい棘』1


 お前は庶民とは違う高貴で神に愛される尊い身分なのだ、と周囲から囁かれて育った。
 なるほど俺は特別だ。だけれどそれは身分とか位とか王位とか、そういう意味でじゃない。
 異質なんだ。俺は世界から浮いている。
 俺の考えを誰も知らない俺の好きな物を誰も知らない俺の嫌なものを誰も知らない。
 俺はただ喋る。挨拶やねぎらいの言葉やご機嫌取りの口上を口からだだもれにしている。
 皆はただそれを聞く。聞いた後は毎回同じような言葉で返事をしてくる。ありがとうございます皇子あなたのおかげです皇子お優しいですね皇子。
 奴等は口から糞しか出さない。
 ぼたぼたぐちょぐちょ口から糞を出されてそれでも俺はその目の前につっ立って笑う。にこにこにこにこ一ミリたりとも狂わない笑顔で立ち続ける。気の遠くなるようなそんな時間、ふと思う。
 俺は何処に居る?
 この世界の今ここに確かに居るが本当の俺は俺の意識はどこに居る? ここには居ない。今ここで笑っているのは俺じゃない、ただの糞の掃除係だ。
 本当の俺は何処だ?
 気づいたときにはこの疑問がいつでも頭にあった。
 俺は何処だ? 俺は俺に尋ね続ける。
 何処に居る? 探さなければならない。
 見つけられなければ、本当に俺が糞じゃないという証明が出来ない。


 上等な絹の服を脱げば俺が俺だと分かる証拠はなくなる。
 王族の証である金の装飾がふんだんに使われているあの服は――正直重くて動きづらくてとにかく無駄が多い。
 マントとか焼きたくなる。時代錯誤もいいとこだ。
 俺は今、夜の城下町のヤバめな路地裏に居る。城の俺の部屋には俺が眠っているはずだ。人形の。ちゃんと『ライオネル』って書いてあるから、とりあえず大丈夫。まあ、俺が部屋に入るなって言っておいたから、火事でも起きない限りあの部屋に使用人は入ってこないだろう。よって俺の遊び心に気づく人間はいない。
 表の俺を知っている人間で本当の俺に気づくやつは誰も居ない。父王でさえ兄弟でさえ使用人でさえ。
 誰も見ようとはしない。
 だが、ここは違う。
 この世界は違う。
 本当の俺に近い暗くて開けっぴろげで派手好きな、下町の卑猥な空気。
 ここで俺は俺を探す。
 ここでは俺は本当の俺に近くなれる。
 博打を打ったり酔っ払いを蹴っ飛ばしたり。酒をかっくらって娼婦を抱いて何もかもを忘れて『本当の俺』に酔う。
 だがそれも朝までだ。
 朝になれば俺は城の豪奢な天蓋付きの寝台に逆戻り。詰まらないお祈りから始まって反吐が出そうなお祈りで夜また独り自室に取り残されるまで、偽者の俺になる。
 別にそれでいい。
 もう慣れた。
 二十七年間もこの生活を続けてきた。諦めた。受け入れた。というかどうでもよくなった。自分は不幸だとか悩んでても意味がない。ちょっとでも楽しい事があるならそれを全力で味わい尽くせばいい。限られた幸せならそれにすがり付けばいい。皆そうしている。兄陛下や父王も、皆何かに縋り付いている。愛人だったり権力だったり贅沢だったり。
 人間なんてそんなもん。
 俺の座右の銘だ。なんでもかんでも受け入れてやればいいそのかわり本当の自分の幸せは逃すな。唯一、俺が認めた男が言っていた。ちなみにその男は誘拐犯で、俺誘拐されて、で男は死んだんだけど。まあ、人間なんてそんなもんさ。







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