「♪嗚呼〜花が咲く 理由もないけど〜 肩落とす僕の上 凜と微笑む♪」
 大きく開いた傘の向こう、やや調子の外れたその歌声は、シンゴさんのものだった。自分達のバンドとはライバル関係にある、その割にはシンゴさんとユウさんの音楽性は、ハリオスさんの足を引っ張っているとも言えた。今も、やたら気持ちよさそうに歌うその歌は、お世辞にも上手いとは言えない。
 「シンゴさん」
 放っておいたら俺が後ろにいる事に気付かずいつまでも歌い続けるんやろな、と思ったから歌途中にちょっと大きめの声で呼びかけた。雨の中でも聞こえたらしい、ぴたりと止まった歌声と同時に、シンゴさんが振り返る。


 「シ、聞いとったんか」


 顔を顰めるでもなく、照れ笑いを浮かべる訳でもなく。気付かへんかった、それだけの反応でシンゴさんは俺を見た。決して上手くはないけれど、きっとこの人は歌うことが好きなんやろうなって、そういうのはよく分かる。
 「学校は?もう終わりか?」
 「いえ、今日は休講になったんです」
 中途半端な曜日の中途半端な時間帯に会っただけの世間話をしながら、シンゴさんと肩を並べて歩き出す。午後から降り出した雨は、止むことなく降り続け、アルファルトに出来た小さな水溜りが靴に撥ねた。
 「雨ですね」
 「雨やな〜。…ん、何やオマエ、傘持ってへんやないか」
 そこで初めて濡れてる俺に気付いたらしいシンゴさんが、驚いた声を出す。…イヤ、遅いと思うねんけど。あんだけはっきり見ておいて、気付かんかったも何も、よっぽど適当に見てたんやなぁって今更ながらに思う。まぁ、別に傘に入れて欲しくて声をかけた訳違うから、ええねんけど。ちょっと寂しくなっただけ。
 「大丈夫ですよ、小雨やし。霧雨やし」
 「イヤイヤ。アカンやろ〜これが酸性雨やったらどないすんねん。ちゃんと傘に入り」
 言ったシンゴさんが傘を差しかけてくるのを、ええですよ、シンゴさんが濡れるでしょ、とちょっと逃げてみたりする。親切を仇で返すみたいで申し訳ないねんけど、例えば俺が酸性雨にやられても、シンゴさんは守りたい。
 俺が妙に拒むのを、シンゴさんは不思議そうな顔で見返したけれど、不快には思われなかったらしい。
 実はこの前、リョウにこっそり聞いてしまった。
 被爆した母親から生まれたシンゴさんも、その体内に放射能の影響を抱えているという事。それをシンゴさんと同じ立場にいるハリオスさんは、「死を呼ぶ悪魔」と言ったらしい。
 死を呼ぶ悪魔。罪を犯さない死刑囚。
 そんな言い方でハリオスさんは、やり場のない怒りを堪える。今を平和に生きる俺達に、その激情は分からない。想像する事すら出来ない。果たしてそれがどれほどの怒りか、どれほどの恐怖か、どれほどの。
 シンゴさんは。
 優しい嘘を吐く。そんな事をおくびにも出さず、酸性雨にすら気を遣う。死ぬのは嫌だ、と言う。きっとその真実を誰にも打ち明けず、この先も、一人で抱えて行くのだろう。俺がその事を知ったのはたまたまで、だから、悟られてはならない。知らない振りをしなければならない。
 黙り込んで、考え事をしていたから、隣を歩くシンゴさんがこっそりと俺の方に、傘を斜めに差し掛けてくれていることに気付かなかった。俺の方に僅か傘を傾けた分、シンゴさんの右肩がしっとりと雨に濡れて。それに気が付いた瞬間に、何だか無性に泣きたくなったけれど。何も言わないシンゴさんの為に、俺も黙って気付かない振りをする。
 死なないで、なんて。死んでも言えないから。
 シンゴさんの優しい嘘に、騙された振りをする。祈るような気持ちで、その嘘が、嘘であり続けるように。
 「♪La〜lalalalala…♪」
 ぽつん、と唐突に歌い始めた俺に気付いたシンゴさんが、横目で見つめてくる視線を感じた。
 「♪泣き出しそうな僕のために 舞う花吹雪♪」
 「…お前それ、歌終わりやんけ」
 苦笑混じりのシンゴさんが笑う。満開の桜の代わりに俺の肩に落ちるのは、涙のような雨粒だったけれど。

 そして今、君に心を込めて。唄を歌おう。








Osaka rainy blues/tadayoshi OKURA as YOSHI
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