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フィギュアスケートパロの続きです。

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噂の渦中にあるロシアの天才スケーター、イヴァン・ブラギンスキと私が初めて会ったのは、数年前 ロシアで開催された国際大会のリンクだった。

本番への調整をしていたところ突如周囲が慌ただしくなり、収まることのないざわつきに苛々してリ ンク外に目を向けると、関係者出入口のところから少年がこちらに歩いてくるのが見えた。ロシア出 身の名コーチが数人隣に寄り添い、更にその周りを記者らしき取り巻きが囲んで引っ切り無しに質問 を投げかけているようだった。
スピードを緩めてその人物を注視すると、当時ジュニアの世界大会連覇と激戦のロシア国内選手権を 圧倒的な強さで勝利したと世界を驚かせた、若き天才の姿だと分かった。なぜこんなところに、と目 を見開く。関係者以外は一切リンクに入れないようにと話をつけていたはずだったのに。
「…っ」
ぱち、と目が合う。
驚きで思わず肩が上がるが、警戒する私を余所に彼はにっこりと笑ってリンク脇へと近寄ってきた。 彼の周りにいる大人たちの視線も自然にこちらに向かい、注目を浴びてしまっていることに居た堪れ なくなる。これでは集中して練習など出来ないではないか。
本田さんこちらへ、と連盟の者から手招きされ、渋々練習を中断してリンク脇へと近づいた。
「突然ごめんね。日本の選手が調整してるって聞いたから、挨拶をしたくて無理言って入れてもらっ たんだ。」
申し訳なさそうに微笑む天才スケーターと挨拶の握手をし、至近距離で見る彼をまじまじと観察する。氷 上で演技をするときの鋭さとは反して、ふわふわとした雰囲気をもった少年だという印象を受けた。
「……長居されないのであれば、構いませんが。」
「ところで4回転をまだ跳んでいないけど、今日はまだ調整しないのかな?」
「…4回転は取り入れていません。」
「……………ふーん、そうなんだぁ。」
取り入れないと言った途端彼は面食らった顔をしたため少々気になったが、少しの間の後彼はまた笑 顔に戻った。何か気に障る事を言っただろうかと思案したところで、再び彼が口を開いた。

「がっかりだなぁ。日本のレベルってこんなものなんだね。」

にこにこと表情を崩さずに言うものだから、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「…………………え?」
薄く笑みを浮かべながら落胆したという、その言葉に大いなる侮辱が含まれている事を悟るのに時間 がかかった。
「君が日本で1番のスケーターだって聞いてたから楽しみにしてたのに。」
「1番…?それ、は…」
「君、優勝する気あるの?」
年下だというのに先程からズケズケと失礼なことをのたまう彼にカチンときて、さすがの私も剣呑な 表情になる。仮にも国際大会に国の代表として出場する選手に対して優勝の意気込みを疑うとはなん という侮辱なのだろう。もちろん自分の実力が世界のトップスケーターに充分匹敵するなどとは思っ てはいないが、優勝への憧れを想わずに試合に挑むなどあり得ない。
語気を荒げて「ありますよ!」と言い返すと、彼は態とらしく大きく嘆息した。
「僕は合わせて3回跳ぶよ。四回転。」
「……知っていますが。」
「優勝するには僕以上の技術点を出さないと厳しいって分かってるんじゃないの?なのに4回転を回 避するなんて、優勝するつもりはありませんって言ってるようなものじゃないかな。君は日本のトッ プ選手なのに?」
母国を背負うトップの選手。そんなことは分かっている。
だからこそ私は私なりの戦略があり、世界的にも評価をいただいている「世界一のトリプルアクセル 」を武器に加点を狙い、且つそれらを後半に2つ跳ぶことで高得点を狙っているのだ。
4回転はもちろん練習をしたことはあるが成功した試しがない。本番で4回転を取り入れて失敗をし、 体力を削られて己の最大の得点源のアクセルで転ぼうものなら表彰台は叶わない。だから私は、リス クを負うよりも完璧な演技をすることを選んだ。
「…っ そんなの、試合は何があるか分からないじゃないですか!私は完璧な演技をしたいんです。 」
「………もしかして、僕が失敗すると思ってる?」
先程と同じように驚いた表情をした後、今度はあはは、と声にだして笑い始めた。この無礼な少年は 一体何のつもりなのだろう。馬鹿にしたような物言いと生意気な態度が癪に障って気分が悪い。
「僕は失敗しないよ。絶対にね。」
目尻に溜まった涙を指で拭いながら、それでもはっきりとした声色で自信を覗かせた。そしてゆっく りとこちらに向き直り、正面から彼は真っ直ぐな視線で私を射抜いた。

「上を目指さないスケーターには、絶対に負けない。」

ハッと息を呑む。
失敗ばかりで諦めて、安全策をとることで高みを目指そうとしている私を彼の言葉は刃のように貫い た。国内のトップスケーターだからと言い訳の逃げ道をつくりあげ、心の裏側で高をくくっていた慢 心を彼に見抜かれたような気がした。目の前に立つ、初めて会う天才スケーターに。
居た堪れなさと情けなさで、拳を握り締めて項垂れる私に「ねぇ、」と彼が問いかける。顔を上げる と、彼は私の肩に手をポンとのせた。
「死に物狂いで練習してみなよ、4回転を。そうすればきっと世界は変わる。そしてこの競技をさら に上へと導くんだ。」
今まで見せていた嘲笑とは違い、ふんわりと優しい表情で彼は微笑んだ。
ああ、彼はこの競技を心か ら愛しているのだ。自分の成績のみに固執するのでなく、フィギュアスケートの未来さえも背中に負 っているのだ。競技として衰退することがないよう、そして高難度の技を披露する事で観客を沸かせ るよう、彼が考えて取り組んでいるのが4回転なのだろう。そう思うと、表彰台のことばかり考えて 自分の結果のみにこだわっていたことを恥ずかしく感じた。
妙に棘のある言い方と馬鹿にしたような嘲笑は、もしかしたら彼なりの鼓舞だったのかもしれないと 悟って、様々な感情が混みあがる。握り締めた拳からフッと力が霧散していく。
「………」
「また会おうね、本田君。今度は表彰台で。」


  
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