『Kiss of blood』



ーーーああ。なんて、退屈なんでしょう。


 赤屍にとっての仕事とは、その過程を楽しむものだった。どんな敵が現れ、どう切り刻んでいくかーーー。
 だが、今回の仕事は全くといっていい程、切り刻む機会は訪れなかった。赤屍の殺気を感じただけで、掌を返したように対象者は依頼品を差し出した。
「なーんか、如何にも暴れ足りないって顔ね? 赤屍」
 依頼品を手にしている卑弥呼が、赤屍の顔を覗き込みながら言った。今は依頼品を、卑弥呼と共に馬車の待つトラックへ運んでいるだった。
 非公式に細菌を研究しているこの施設から、新種の殺人細菌を某国の軍事施設に運ぶのが、赤屍達の仕事だった。
 そんな怪しげな代物を作っている施設のわりに、ここは警備が手薄であった。防犯カメラは確認出来るものの、警備員もいない。あと数メートルで出口だが、外で誰かが待ち伏せているような気配も感じられなかった。
「ええ。奪還屋も来るという情報を手にしていたのに、フタを開けてみれば……、こうですからね」
 退屈な原因の一番の理由は、奪還屋が現れなかった事だ。どんなつまらない仕事だとしても、彼らがいれば話が違ってくる。期待していただけに、赤屍の落胆も大きかった。
「お陰で少しも楽しめませんでしたよ」
 大仰な仕草で溜息を吐くと、卑弥呼が苦笑した。
「いいじゃないの。たまには、こういう楽な仕事があったって」
 卑弥呼が話ながら一歩踏み出した時、ほんの微かではあるが、『カチッ』と何かが押された様な音がした。
「危ない!」
 赤屍は咄嗟に、卑弥呼を出口まで突き飛ばした。転がる様に施設の外に飛び出した卑弥呼は、直ぐさま体制を立て直して赤屍を見た。
「赤屍! だいじょ……」
 卑弥呼は絶句した。
 その光景は、まるで地獄絵図だった。卑弥呼も数多くの修羅場を経験し、グロテスクな場面に出会すこともある。ある程度の免疫はあると思っていた。その卑弥呼ですら、思わず目を背けたくなる光景が、そこには広がっていた。
 天井や壁や床から飛び出した細長い槍が、赤屍の体のあらゆる場所を突き刺している。皮膚を突き破り、筋肉を絶ち、骨を砕き、内臓をも抉り、これ以上刺す場所なんてない程の槍の数が赤屍を貫いていた。
「……な、にをしてるん……ですか? 卑弥呼……さん……。早く、馬車の、ところへ……」
「ば、バカ言わないでよ。そんな状態のあなた、放っておけないでしょ!」
 卑弥呼はようやく我に返り、赤屍を助けようと駆け寄ろうとした。ーーーだが。
「バカはどっちですか!」
 赤屍の鋭い声が飛んだ。卑弥呼は、思わず身を縮ませる。
 唯一、槍の突き刺さっていない頭部が動き、赤屍が卑弥呼を見据えた。槍は刺さっていないとはいえ、額からは血が溢れている。負傷しているのは、明らかだった。
「我々はプロです。プロの目的は、どんな状況だろうと仕事を完遂させる事。我々の仕事は何ですか?」
「……この細菌を、依頼人に運ぶこと」
 熱い鉛を飲み込む様に、卑弥呼は答えた。
「だったら、私に構っている余裕なんてないはずです。さぁ。行って下さい」
「でも……」頭ではわかっていても、卑弥呼は二の足を踏んだ。非道な仕事ぶりに辟易する事もあるが、赤屍は共に仕事をしてきた仲間には違いなかった。
 だが、ここで自分も捕まれば、ここまでして助けてくれた赤屍に申し訳が立たない。
「わかったわ。必ず助けに来るから、絶対助かりなさいよ」
「私を誰だとお思いですか?」
 余裕たっぷりに微笑むと、卑弥呼も決心がついたのか、馬車の元へと駆け出していった。
 赤屍は、その後ろ姿を見送るが、その姿が次第に霞んできていた。
(少々、血を流し過ぎましたかね)
 死をイメージ出来ない赤屍は、そう簡単に死ぬ事はない。けれど、床に堪った血だまりの量は、血の海の表現が大袈裟ではないくらいに流れ落ちている。普通の人間であれば、すでに死んでいてもおかしくはなかった。
 警備員すらいなかったのも、こうしたトラップを仕掛けておいた為なのだろう。窓もなく、出入り口がここしかなければ、大抵の人間はここを通る。警備が手薄と油断させ、あとは監視カメラからタイミングを計って、トラップを発動させておけばいい。
「まんまとやられてしまいまし……ごほごほっ」
 呟くと、喉に堪った血でむせ返った。死んだ頃を見計らって、施設の人間が死体の回収に来るだろう。そこを狙って切り刻むというのも手だが、果たして自分はそこまで持つのだろうか? 赤屍がそう考えた時だったーーー

→ つづく



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