潜入任務当日。短いクラクション音が聞こえたので窓から顔を出すと、シャツの袖を捲り、ベストを着込んだバーボンがこちらにさわやかな笑顔を向けていた。彼の双眸のように美しい桝花色をしたタイブローチが、午前の陽の優しい光に照らされてきらきらと輝いている。視線がかち合うや否や、白の手袋に包まれた彼の指先が「おいで」と数度揺れた。飼い猫よろしく外に出たらばあいさつもそのままに彼が後部座席のドアをそっと開ける。すると視界に飛び込んできたのは車内から溢れんばかりのとてもとても大きな花束だった。花の種類も彩りも、一つとして同じものはないのに、驚くほどに均整の取れたそれ。美しさを前に息を漏らすように、「なんて素敵な花束なの」と言うと、彼は目を弓なりに、「あなたへのプレゼントですよ」と微笑んだ。

「バーボンって恥ずかしげもなくキザなことを簡単にするのね」
「何を言ってるんですか、あなたにだけですよ、こんなことをしたくなるのは」
「からかうのもいい加減にしないと本当にこの花束貰っちゃうわよ」
「おっとそれは困りましたねえ」

「全然困っていなさそうよ」。その言葉を飲み込んで助手席に乗り込んだ。ベルモットの特等席はとても眺めが良い。おまけに今日は花の香りに溢れている。この花束が私のものじゃないのが残念だけれど。

「あなたが望むのなら、いくらでもプレゼントしますよ」
「いらないわ。だって枯れてしまうのが切ないもの」
「そしたら僕がドライフラワーにしてあげますよ」
「それを見るたびにあなたのことを思い出しそう。ますますいらないわ」
「素直じゃないですね」
「あら、いらないものをいらないと言ったのだから素直でしょ?」

ふふ、と彼は喉を鳴らしてアクセルを踏み込んだ。景色がどんどん変わっていく。街並みも、行きかう人々も、雲の位置も、なにもかもが目に鮮やかに飛び込んでは消えていく。
今日が任務でなければきっと気持ちの良いドライブ日和だったに違いない。そんなことを思えば、まるで心の中を読んだかのように彼が言った。「このまま逃避行も良いかもしれませんね」と。
返事はしなかった。フロントガラスの奥の世界だけを見つめて、彼とどこを車で走り抜けるのが良いかを想像した。東京を出てどこかのどかなところに行くのも良いかもしれない。どこか遠くの、観光客も地元の人間も訪れないような海に行くのも良いかもしれない。

「楽しそうですね。何を考えているんですか?」
「このまま任務に行かないバーボンがジンに怒られてるところ」
「おやおや、困った人だ」
「そういうあなたこそ楽しそうよ。何を想像していたの?」
「天邪鬼なあなたには絶対に答えてあげませんよ」
「いじわるね」
「あなたにだけはね」











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