ありがとうございました!


以下はお相手藤代誠二でお送りします、短めのものです。
お楽しみいただけたら幸いです!


着信履歴





「あれ?」

 見覚えのない電話番号が着信履歴に加わっていた。
 その着信は今さっきだったようだけれども、音が鳴ったのだろうか。マナーモードにはしていないはずだったのに、ちっとも気づかなかった。いつもならそんな番号なんて気に留めずに放っておくのだけれど、妙なことに、そういう気持ちになれずに電話をかけなおしてしまった。
 きっと未練があったのだろう。
 私は三日前に付き合っていた彼氏に振られた。彼かもしれない、と儚く期待を寄せてしまった馬鹿な私。

「はい」

 数度の呼び出し音の後、電話越しに出たのは確かに男の声だった。
 …でも、それは予想していた耳慣れた声とは違っていた。
 急激に冷えていく頭の中。潮が引くように、単純な期待が波にさらわれてゆくように。
「…、誰?」
「誰?ってもしかして、分かりませんか?今度番号教えるのに電話かけますって言ったじゃないっすか」
 その口調に聞き覚えは確かにあった。
 先週だったか、久々に出会った。私が通っている私立の学園の中等部時代の後輩。私が高等部に入ってからはめっきり顔を合わせることもなくなったのだけれど、こないだ、彼らの所属する(そして私の所属していた)サッカー部の全国大会に応援に行ったときに何ヶ月ぶりかに話したんだった。
「……もしかして、藤代?」
「そうですよ!せんぱい!」
 彼はずうっと変わることのない天真爛漫さで、久しぶり、という空白が無いかのように話す。
 何ヶ月ぶりかというと、実に4ヶ月ぶりなので、よく考えたらそうそう人が変わってしまう期間でも無いが、私が部活を引退してからはそれまでのように毎日顔を合わす訳ではなく、実際には1年程は空白があったような気がする。
「ああ、そうだった。何、元気?」
「あー、元気っすよー。昨日も勝ちましたからねー!観てくれてます?」
 そうだった。昨日は決勝戦だった。うっかり、すっかり、忘れてしまっていた。というより、思い出す暇もなかったというべきか。通話口にかからないようにため息を一つ、落とす。
「ごめん、観てないや」
「ええ!?なんすかそれー、俺、張り切ってスタンド見回してたのに!いなかったんすかー」
 あーあ、とかまったく、という非難の色を耳に押し当てられて、不意に泣きそうになった。弱ってる。すごくこれは弱ってる。
「ふ、じ…」
「せんぱい?」
 どうしてそんなに優しい声を出せるのだろう。
 堪えられずに、私は涙を零した。
 私は知ってる。藤代は優しいから。こんな弱った声を出したらきっと心配かけてしまう。何でもないよ、と声に出したつもりが、音にすらならずに電話機からは沈黙が流れていた。
「何かあったんですか」
 耳には低い、落ち着いた声が通る。久しぶりだからか、もしくは電話を通しているからか、藤代の声は大人びて聞こえた。すぐには気づかないはずだ、と思った。



「寮抜け出したら、罰でしょ」
「せんぱい、この期に及んでそんな意地悪言うんすか?」

 ぬるい風が私の頬を抜けていった。それでも都市部よりはまだましなのだろうか。夜になっても、夏真っ盛りの外は暑い。私は寮の部屋の窓を全開にしていた。
 藤代は身軽なのをいいことに、するすると塀を昇り、よその部屋の窓を伝い、とうとう私の部屋まで来てしまった。私は高等部の寮にいる。藤代の住まう松葉寮からは離れているものの、一応学園内ではある。だからと言って、夜、寮を抜け出したら大目玉なのは間違いない。なにより女子寮まで来ていることがばれてしまった日には、何らかの処分は必至。
 私が窓から離れると、藤代はきちんと靴を脱ぎ、左手で持つと、軽やかに階下に響かぬように配慮しながら、部屋の中に降り立った。
「せんぱい、一人部屋?」
 かけられた言葉に私は窓を閉め、カーテンも閉めながら返事をする。
「ううん。相方は今日はお泊り。…彼氏のところに」
「夏ですもんね」
「…どういう意味?」
「いや、ひとなつのあばんちゅーる?」
 意味を分かっているのかいないのか?藤代の顔を覗いてみたけど、変わらず、うっすら口元に笑みを浮かべているだけだった。
 Tシャツにジャージ素材のハーフパンツの部屋着兼、パジャマ、といった格好をしていたが、それだけに益々精悍さを増したのが見て取れて、私は少し驚いた。
「ちょっと、背もまた伸びた?」
「ああ、そうっすねー。そうかも」
 見上げると、藤代はすぐに悲しそうな顔をした。泣きボクロも一緒に動く。
「で、まずはその涙の痕、どうしたんですか」
「え?」
 慌てて頬をぺたぺた触れてみるが、分かるはずもない。筋がつく程、今日は泣いていない。不思議に思って藤代を見ると、彼はふ、と息を吐いた。ヘンに大人びた仕草だ。
「せんぱいが泣くと、俺、わかるんすよ」
「やめてよ。泣いてません」
「そうなんすかねー。悲しくない人があんな声、出さないんじゃないんすか」
 軽い調子で藤代は言った。
 でも、それが逆に気を使わせているのだ、と気づくと、どうにも止まらないような熱さが喉に駆け上がってきて、私はまた泣きそうになる。
「…ほら。泣きそう」
「だって…………」
 藤代は私を床に座るように促し、彼自身は私から少し距離を取り、私のベッドに上に腰を下ろした。
「えーっと………バレー部の先輩でしたっけ?その、別れたってマジなんすか」
「うん、そう」
 藤代がどんなに私を見下ろしても、俯く私の涙は見えない。そうか、それで彼は私よりも少し高い位置に座ったのか、と思うと、また泣けてきた。
「あー。もう。嫌だ。もう。どうしてここに藤代がいるの」
「行くって言ったら、来れるもんならね、って言ったじゃないっすか。だから来たのに」
 危険を冒してまで、と小さく藤代は付け加えた。私は余計に理不尽な怒りを募らせる。八つ当たりなことは十分分かっているのに。
「来ないで、って言えばよかったの?」
 顔を上げて、藤代を見る。てっきり困った顔をしているもの、と思っていたら、全く違っていた。予想に反して彼はすっきりした眉を歪ませ、唇を引き締め…。苦しそうな顔に見えた。
「それでも、俺は来た。だってせんぱいが呼んだも同じじゃん」
 ズルイ。私は、ズルイ。藤代にもそう言われた気がして、思わず溜めていた涙を零してしまう。
「呼んでなんか、ない………」
 ふう、と息を吐く。そして私は言った。
「…ことないよね。ごめん」
「でも来ないほうが良かったのかも」
 藤代が言った。苦しくなった。重たいものがお腹の中に入ったように。
「正直、藤代に心配して欲しかったのかもしれない。ごめんなさい」
 来ない方が良かった、と言われ、急に心細くなった。こんなに後輩に甘えてしまって、かっこ悪すぎる。更に苦しくなってきて、もう泣くことを止められなかった。
 藤代がふいに立ち上がるので、つられて見上げると、次の瞬間、痛かった。
 痛くなるほど強く、抱きしめられた。熱い顔を肩に押し付けられて、硬い腕に拘束されて、苦しくて、痛い。

「いたい…!」
「そんな風に言われたら、期待しちゃうじゃないっすか」
「…ズルイでしょ」
「ズルイっす。許してやりません」

 誰かに抱きしめてほしかっただけなのか。でもこの瞬間、私はとても嬉しかった。
 期待していたということを認めざるを得ない。
 せっけんの香りを深く吸い込むと、少しだけ、落ち着いた。少しづつ、藤代の腕から力が抜けて、私は自発的に彼から離れた。藤代も中腰にしていた体を床に座らせた。
「ごめん」
「ごめん、じゃないっす。いいから。利用してください」
「ごめん」
「止めてくださいってば」
 ただ寂しいだけなのか。
 どきどきと胸が苦しいのを必死に抑えて、私は口を結んだ。
「いつか、言ったことありましたよね。俺はきっと先輩に好きになってもらうって」
 目を閉じた。あれは夏だった。3年の引退試合が終わってすぐだった。砂と埃と汗でべたべたになった藤代の顔がすごくきらきらしていて、まともに顔を見れなかった。

「もう先輩はあの人と付き合ってたけど」

 皆が散り散りになったグラウンド。言いたいことだけ言うと藤代は颯爽とキャプテンの元へ走り去っていったから、私は何のアンサーもしていなかった。する必要も感じさせずに藤代は感情だけを私にくれた。

「きっと俺を見てくれるときが来るって思ってたから」

 藤代はいつも眩しかった。強く強く自ら熱を放ち、いつの間にか私の外膜を侵食する、太陽だった。知っていた。

「先輩」

 私は必死に目を逸らしていた。あの人を好きだったことは本当だけど、抗えようともできない彼の魅力は怖かった。それ程あの人が好きだったのだから。だから藤代のことは見られなかった。

「先輩が俺は欲しかった」

 それでも無駄な抵抗だった。さっきのように抱きしめられてなどいないというのに、既に私は拘束されているように動くことも瞬きすらもできなかった。






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