【葬送】



これは俺の自己愛的妄想ではなく、彼は確かに俺を好いていた。

当時、それに俺は気づいていたが、敢えて気付いていない振りをしていた。何故気付いていない振りをしていたのか。俺はそれに応える気がなかったからだ。俺にはその意気地がなかった。そうはいっても、彼は報われない恋をするべき男ではなかった。彼は自らが幸せになるだけの幸福を、幾人もの人間に与えていた。そのような彼が、俺なんかに翻弄されるのを見ているのは忍びなかった。けれど、当時の俺には彼の想いに応えようがなかった。俺は同性愛者ではなかったし、彼を人として尊敬していただけに、お情けでセックスしてやるというような彼を軽んじる行動に出ることはとてもできなかった。いっそ彼を突き放して、完全に望みを絶てば良かったのだろうか。とは言っても、他人に幸福を与える彼の存在は俺にとっても心地好かったわけで、彼との関係を絶つのは俺が嫌だった。当時の俺は、どっち付かずの中間地点で密かにうろたえていたのだ。

彼は俺とは違い、多くの人に愛される才能と人格と容姿を持っていた。特に容姿は飛び抜けており、それは見る者を緊張させるほどだった。その容姿を持ってして意外なことだが、大人しい性格が災いしてか、彼は迫害を受けた過去を多く持っていたようだった。だからか彼は他人に嫌われることを恐れ、自分が傷付かぬようにいつも上手く立ち回っていた。他人と摩擦を起こすこともなく、遺憾なく才能を世に発揮していた彼の得られぬものなど、傍目には殆どないようだった。そんな彼の片思いを、俺だけが叶わせなかった。
今考えても、何故彼が俺を好きだったのかよく分からない。当時の俺は彼とは違い、かなり荒んだ人間だった。ただ同じ仕事をしていたから関わっていただけの全く性質の違う人間だった。その彼が俺に無防備に好意を見せるのは不思議だった。彼は俺に何かを感じていたのだろうか。彼と俺は、見えない弱さを抱えているという意味で少し似ていたかも知れない。しかし、彼の俺への想いが生まれたこと自体間違いだったと、今でも思っている。本来、彼が俺を好きになるわけなどないのだ。彼は多くの人から愛される人なのだから、俺のことを構う隙などなく捨て置く人種のはずなのだ。
そう、俺なんかを間違って好きになった彼が悪い。彼の周りには、彼の気持ちに応える準備のある者が俺以外に沢山いたはずだ。そいつではなく、俺に気持ちを向けた彼が悪いのだ。彼が悪いはずなのに、俺は後悔している。彼の誠実な想いに目を背け続けたことを。少しくらい応えてやれば良かった。寝てやれば良かったなどとは今でも思わない。けれども、彼の気持ちを知った上で、彼を友人としてでいいから全力で好きでいてやれば良かったと思う。勿論当時はそうしていたつもりだった。しかし、思い返せば彼に対して持っているはずの親愛なる情とは逆行した、自分の愚行ばかりが思い起こされる。例えば彼が俺の過去の発言を覚えていたことや、彼がたまたま俺と同じものを持っていたことなど、そういう些細な事に過剰反応し、「うち来る?」と彼に問われれば妙な勘繰りを得手勝手に起こしてその誘いを全力で断っていた。それはむしろ、親情と恋情のパワーバランスを保つ為に善かれと思って取っていた行動だった。距離を縮めるでも離すでもなく現状維持を図ることが、俺達の関係にとって最適だと考えていた。そんな俺の狭量さが、彼を知らず知らずのうちに傷付けていた。当時は傷付けていた自覚などなかった。だが、今なら分かる。自分達の過去すべてを、靄の晴れた俯瞰から見通すことができる。何故この視点を当時は持ち合わせていなかったのか。今更見ることができようと、もう決してあの頃に干渉することはできないのだ。

嗚呼、後悔ばかりだ。何故もっと彼に良くしてやれなかったのだろう。彼は俺なんかを好いてくれたのに。


先程、彼との共通の知り合いだったKに言われた。

「…あいつ、何だかんだでお前のこと好きやったなあ」


今こうやって激しい後悔を抱いている時点で、自責に駆られている時点で、恐らく俺は彼の事を好きだった。皮肉だ。彼がいなくなったが故に、俺は歪曲した自分の心を素直に見つめることができている。彼がいなくなった今じゃなければ気付けないなど――。

「お前…馬鹿だよ」

俺は呪詛のように呟いた。自分に対して、彼に対して。その呟きは音になるや否や、多くの慟哭によって掻き消された。

今更気付いたこの感情を、俺は一生昇華させることなく抱き続けていくのだろう。もう、俺は彼に何かを伝えようがない。
応えられるはずだった彼の想いは何処にいったのだろう。
彼が俺を想った証は何処に遺っているだろう。


彼は今、たくさんの涙に送られる。



20101014-1106



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