土曜の朝。校門が開いてすぐの時間は、教師も生徒もまだほとんどいない。いつも遅刻ギリギリの俺がそんな時間にもう学校にいるのは、ただ単に目が覚めたから、それだけのことにすぎない。天気予報でもうすぐ雨が降るでしょうなんてやっているから、じゃあ降られる前に行くか、なんて気まぐれに思っただけ。
どことなく湿っぽくて薄暗い校舎内を抜け、図書室へと辿り着く。部活に励むでも、委員会にいそしむでもない、ささやかな趣味と言ったらこの程度だ。
ゴロゴロ、と扉のキャスターがあいまいな音を立てて動く。室内はしんと静まり返っていた。誰もいない様子にほっとしながら扉を閉め、振り返ればさっきは気づかなかった人影がテーブルの一角を陣取っていた。眉をひそめかけ、顔を上げて振り向いた人物があまりに意外で思わず目を見開く。
「水品センセェ?」
「おーなんだ、桜井か。早いな」
「あーうん。まあ」
何気なしに向かいの席へ荷物を置く。英語の辞書や分厚い本に遮られ、手元は見えなかった。
「見るなよ? 小テスト作ってんだから」
「ちょっとーやめてよ知っちまったら見ちゃうじゃん!」
「あ、そっか」
見ないよ、見ないからね、そう言いながら本棚に向かう。数冊の目当てを抱えて戻ってくれば、先生の手元は相変わらずモザイクがかかっているかのような鉄壁防御だった。
覗き見をあきらめ、持ってきた本から図書カードを抜いていく。カバンを開けてペンケースを探していたら、向かいから乗り出した先生が俺の選んだ本をひっくり返した。
「おお、懐かしいな。まだこんなの置いてるのか」
「知ってんの?」
「あー、好きで読んだなあ昔」
「マジで!」
しばらく本の話で盛り上がった。一回りも年上の人と、勉強じゃない同じ話題で話ができることを知ったのは今が初めてだ。
楽しい気分でペンケースからシャーペンを取り出し、カードを埋めていく。一枚もう余白がないのを見つけて、勝手知ったるで受け付けの机をあさって新しいカードと取り換えた。
頬杖をついていた先生が俺の行動に気づき、少しばかり意外そうに呟く。
「桜井は案外マメだなあ」
「げ。やめてよ、嬉しくないんだけど」
「なんでだ。喜ばれるだろ、女の子に」
「……いいように使われるっていうんだよ、それ」
人の話を聞いているのかいないのか、先生は小さくそうだそうだとか呟きながら自分のカバンへ手を伸ばした。中から大きめの茶封筒を取り出し、俺に向けて差し出す。
首をかしげたところへ落された返答に、思わず受け取りかけていた手が止まった。
「なにこれ」
「小橋に渡してくれないか。小橋乙穂」
「な……あ、え、小橋?」
「あれ、お前ら同じクラスじゃなかっ……あ」
ああ、なるほど。そう言いたげな目が瞬いて、にやりと半月に曲がった。何を言われたわけでもないのに、勝手に動揺してボロを出した自分にため息が出る。
がっくりうなだれて今度こそ受け取った封筒は、少しだけ重くて厚みがあった。さっきとは逆に首をかしげれば、面白がるような表情のまま先生が悪魔の囁きをする。
「見てみるか? 中」
「え」
「部活動の記録だからな。人に見られて困るもんでもなし」
ここで中身が気になると言えば、小橋を気にしていると認めたことになりそうで。さんざん迷って、迷っている時点で認めたようなものだということには気づかないふりをして、結局そそのかされたことを言い訳に好奇心に負けた。
封筒をひっくり返したら、手のひらに長方形の塊が落ちてきた。滑り落ちそうになるそれを慌てて持ち直す。写真部の部活動の記録にふさわしく、写真の束だった。
指紋をつけないように気を付けながらぱらぱらとめくる。運動部の練習風景。休み時間に校庭で遊ぶ生徒。雨の日だろう、校門を通る傘の群れ。美術室に置かれた作りかけの彫像。文化祭の準備をする生徒たち。
「ねえ、水品センセぇ」
「んー?」
「小橋にはさ。こんな風に、見えてんのかな」
つまらない学校も。自由のない学生生活も。あいつには、この写真のように、色鮮やかに見えているのだろうか。何度かその場に居合わせたことのある、カメラを構えてシャッターを押す姿を思い出す。真剣に向き合って。真剣に見つめたら。
こんな風に、世界が色鮮やかに見えるようになるんだろうか。
「さあ、どうだろうなあ」
「どうだろうって」
「写真を撮る技術が高いからって、実際にそう見えているとは限らないさ。写真って、結構あいまいなもんなんだぞ」
言葉の意味が解らずに首をかしげる。現実の記録。ごまかせないもの。そういう風に、思っていたけれど。
「結局さ。写真がどう見えるかってのは、見た人間次第ってことだ。だから小橋のとる写真が色鮮やかで綺麗なものに見えるなら」
それは、桜井が小橋の世界を、色鮮やかで綺麗なものだと思ってるんじゃないのかな。
告げられた言葉に瞠目して、反論を探したけれど見つけられなくて。ややあって、あきらめにため息を吐き出した。両手を上げる。
「降参」
「……されても」
「ううん。いや、うん。アリガト、センセぇ」
「そうか?」
認めざるを得なかった。そう、確かに思っている。小橋の世界は、俺が好きな奴の世界は、色鮮やかで綺麗で、躍動感に満ちている、そんな世界なんだと。そしてそれは、小橋が再三、俺に向かってそうじゃないと言い続けているあいつの姿そのものなんだと。
解っている、そう言いながら、俺は解っていなかった。解ろうともしていなかった。気づいて、認めて。
やっと、小橋を好きになるスタートラインに立てた気がした。
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