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アンモナイトの夢

太陽が直接当たらないように設計された書庫は、それでも暖かい光が差し込んでいて、まるで家の持ち主のようだと思った。
こんな風に彼のことを賞賛すると、必ず「そんな大したものではありませんよ」と、謙遜というよりは本気で否定されるので、ギリシャは最近あまりそういったことを口にしない。
心の中で思っているだけで、伝わるわけがないとは分かっているけれど、言葉以外で示しているから大丈夫だ、と思う。というか、思いたい。
古い本が見たいと言ったのは自分だけれど、いざ覗いてみると触れただけでぽろりと崩れてしまいそうなものが沢山ある。
さすがに、これを見せてと口にするのは躊躇われた。
何でも、多くの国民はこの本がここにあるということを知らないそうだし、歴代の上司たちも見に来た者は少なかったらしい。
それを、別の国である自分が見ていいのかどうか、判断がつかなかった。
同じ題の本が沢山あったので、比較的新しそうなものを手に取る。それでも、江戸時代に日本が自ら写本したものだと言われた。
彼らしい、丁寧で柔らかな文字だった。
漢字が多くて、日本語というより中国語のように見える。
もちろん、ギリシャには読めない。
「それは、古事記…ですね。日本神話などが書かれていますよ」
「日本にも、神話があるんだな」
「そうですね。どちらかと言えば現実離れした話が多いですね。出てくる神様たちも、なかなかに苛烈な性格で…ギリシャさんのところとは大違いです」
「カレツ?」
「ああ、人間くさいところがないというか…文章のせいもあるかもしれませんね。感情を顕にしない神様が多いようです」
「日本…らしい?」
尋ねると、微妙な表情で首を傾げられた。
自分の性格やタイプを言い当てられることに、日本はひどく当惑する。
当たっているとも、当たっていないとも、言いづらいらしいのだ。
「そうだ、日本神話には、ギリシャ神話に似た話もあるんですよ」
強引に話題を変えられたようだったが、少し興味深い話だった。
「ギリシャ神話だけではなくて他の国のものもいくつか混ざっているようですが…大陸から伝わってきたんでしょうね、話が」
ギリシャ神話がいつ頃出来たものなのか、ギリシャには分からない。確実に母親の時代なことは間違いないし、彼女も正確なことを伝えないまま消えていった。
それでも、自分の国で生まれたものが、長い道のりを超えてこの島国にまで到達したと思うと、なんだか嬉しかった。でも、同時に少し悲しかった。
どうしてだろう? と考えると、目の前の日本が小さくため息をついた。
「日本神話が編纂された時期には、もうすでに自我が生まれていたはずなのに、あまり覚えていないんです」
「昔のこと、だから仕方ない」
「あの頃だって、今と同じように沢山の人達に囲まれて、長い時間を過ごしていたはずなのに、最近では夢で見る機会も減ってきたんです。薄情ですね」
ぽつぽつと、呟く。
ゆっくりと日が傾いて、静かに暗くなる部屋で、日本の姿も闇に溶けてしまいそうだ。
誰か、親しい人が亡くなったのだろうか。人より長い時間を生きているのだから、こういう感情も薄まればいいのに、人間的なこの気持ちは、なかなか消えてくれない。昔から一緒にいるならば、尚更だ。
人は自分たちを置いて先に逝く。それは、ごく当たり前のことだ。だから、こんなにも淋しいのか。
彼は今まで、一人でこの悲しみに耐えていたのだろうか。それとも、自分以外の誰かが彼のそばにいたのだろうか。
東の果てで、ギリシャの知らない時間に、涙を零すことがあったのかもしれない。
「…俺の、国のことと、日本の、国のことが、一緒になって生まれたっていうことは…それは、俺達の子供、みたいなものかもしれない」
言った後でひどく後悔した。
日本は、大きく目を見開いて、手にした本がずり落ちそうなのを慌てて堪えていた。
ああ、どうしよう。こんな気障なセリフを言うつもりはまったくなかったのに。
ただ、日本が淋しそうだったから。
そして、自分も淋しかったから。
確かに繋がっていたはずなのに、こんなに長い時間離れ離れになってしまっていたなんて。
恥ずかしさに俯きかけたギリシャは、ふと違和感を覚えて日本を見る。
彼は、微笑んでいた。
愛想笑いじゃなくて、嘲笑でもなくて、失笑でもなくて困ったような笑みでもない。
思慮深く他人との間に線を引きたがる日本には珍しい笑顔で、
「ああ…それは、とても素晴らしい考えですね」
お世辞とは違う声質は、本当にギリシャの提案を良いものだと言ったように聞こえて、思わず強く抱きしめた。



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